棒さんの独り言最終更新 2026/05/13 22:201.登り棒◆0mnwMe9WsAKgPZe私、棒が思ったことをつらつら書くだけの場所。2025/10/10 09:00:11224コメント欄へ移動すべて|最新の50件175.登り棒◆0mnwMe9WsAex3j8目的は論書の正確な理解ではなく、自分の言葉がどのような前提から語られているのかを可視化するもの2026/05/11 08:26:31176.登り棒◆0mnwMe9WsAex3j8そして前提から話されること自体が悪いのではなく、それが固定化してしまうこと2026/05/11 08:26:58177.登り棒◆0mnwMe9WsAex3j8なのであーしろこーしろではなくただどのような条件からその発想に至ったかを可視化するだけのもの2026/05/11 08:27:35178.登り棒◆0mnwMe9WsAex3j8気付きは自ずから2026/05/11 08:27:48179.登り棒◆0mnwMe9WsAex3j8他人に与えられるものではなくそれらはただのきっかけ2026/05/11 08:28:12180.登り棒◆0mnwMe9WsAex3j8仏教用語を使ってはいるが中身は用語の厳密な意味ではなくニュアンスという方向性からその言葉を便宜的に使っているが意味は中身の通り2026/05/11 08:29:10181.登り棒◆0mnwMe9WsAY25uyhttps://chatgpt.com/share/6a03a746-a78c-83a3-b058-0e20c2f476a0AIを利用した日常の会話のやり取りをして自分のどこが中心化しているのか?そしてそれが固定化しているのかを指摘し、可視化してもらうために作ったもの。上手く運用出来るかは分からないけどそういう意図で作ったもの2026/05/13 07:20:31182.登り棒◆0mnwMe9WsAeg8pvhttps://chatgpt.com/share/6a03d602-82d4-83a3-ae0d-0e281fca8780AIと対談による分析2026/05/13 10:42:40183.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ棒ちゃん、こんちゃ2026/05/13 14:30:37184.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ途中まで読んだけどわたし的にはどうでもいい内容だ2026/05/13 14:30:48185.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ所詮、遍計所執性でしかない内容だからだ。2026/05/13 14:31:55186.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ自分の事を真に知り得るのは自分でしかない2026/05/13 14:32:26187.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ自身の事を他人がどうのこうの言ったところでそれは遍計所執性(勝手な妄想や憶測)でしかない。2026/05/13 14:33:47188.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZそういう事に思慮を働かせる指向性をわたしは持たない2026/05/13 14:34:26189.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ概ねそういう時わたしは次のように自己を表現する「ふ~~~~~~ん」2026/05/13 14:35:53190.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT途中まで読んだが棒さんそれは固定化しないという固定化を作っていて、相対的に固定化しなければ良いという発想になっている。 これはむしろ固定化しなければ良いといいながら固定化しないことを固定化してるまず仮名をしってくれ2026/05/13 15:08:05191.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTと棒は固定化していると固定化していると固定化している…このように無限後退するわけだな仏教でも言語化するさいここがよく問題になる唯識では証自証分と自証分と言う仮名便宜上立ててで閉じる2026/05/13 15:10:51192.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTあとしょうもないなそのai対談そうじゃないから突っ込まなあかんそれこそリダンの固定化をしてるにすぎないなではそのaiに介入して対話をしようかと思ったら有料にしろ言われたわ2026/05/13 15:19:37193.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT◯そうじゃないから突っ込まなあかん✕そうじゃないというところから突っ込まなあかん2026/05/13 15:20:30194.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT✕そうじゃないから突っ込まなあかん◯そうじゃないというところから突っ込まなあかん2026/05/13 15:20:55195.登り棒◆0mnwMe9WsAv5pReお、リダンがきたな。とはいえ仕事中だから暇な時が夜になる。2026/05/13 15:45:16196.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTここだけでも指摘しとくか「しなければ良い」は相対化の発想になる「固定化しなければ良い」と言った瞬間、固定化は行為管理になります。つまり、怒ってもよい。蔑んでもよい。罵ってもよい。ただし、それに執着しなければよい。という発想になる。そうではなく、怒るという現れのまま作為なしということ棒がいいたいのは怒りの現れ生成を見てないといいたいんだと思うがそんなのは同時成立だ副世俗でいえばそれが怒りの原因だねとなるだけ2026/05/13 16:29:11197.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT副世俗✕世俗◯2026/05/13 16:29:50198.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT中論で言われる戯論寂滅とはその一次情報(衝動)と二次情報(条件)は分節であるよといわばそれを実体化が戯論であるとしかし世俗としては仮名によって現れると棒がこれがいいたいんだろ?怒りの現れ生成2026/05/13 16:56:25199.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTそんなんは相手によって使い分ける2026/05/13 16:57:51200.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTようはニックは棒のように縁起の背景をみるって話はしてないの勝義的な意味合いの話ラベル化して荷物が増えとるとそんなんは捨てて指先の摩擦をみろとそれようの話を俺はしてたの2026/05/13 17:32:56201.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTだからババアなんてなあようは感情論の土台に上がって話しただけのこと道徳的にどうかとは別の話だわな2026/05/13 17:45:12202.登り棒◆0mnwMe9WsAv5pRe多分後は仕事のかたづけして終わりかな。>>196そう、同時成立。ただ作為がないわけでも意図がないわけでもない。言葉で説明すると時系列に順番に説明せざるを得ないがそれはそれ。>>191こちら側は相互依存を相対的に見て語るとそうなる。>>201私は倫理だけを見て話してるわけではない。2026/05/13 18:35:23203.登り棒◆0mnwMe9WsAv5pRe>>188こちらは元々私とほーさんの違いでもあるよ。私は内面の現れを重視する。というよりは他人がどうこう言った所でそれはその人を本当に分かってる事ではなく、かといってただの妄想でもなく、関係性によって成立した果だ。私は人を変えようとしてるわけではなく、その人に普段あがらない別の発想を立ち上げるきっかけになるように話してるだけなんだよ。それで違う発想に触れた時にその人に何か気付きが起こった時にその固定観念が外れる。無論防衛に走る事も多いけどそれもまた一つの果。縁が成熟しなければ気付きという果は現れない。思い通りにしたいわけでもなく、ただ閉じた見方から別の見方に触れた時に気付きが現れる。2026/05/13 18:42:53204.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZなるほど2026/05/13 18:50:06205.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZそれが棒ちゃんのやり方ならそれはそれで良いんじゃないかな2026/05/13 18:54:21206.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ棒ちゃんは棒ちゃんだからね2026/05/13 18:54:55207.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZわたしは棒ちゃんじゃないし棒ちゃんもわたしじゃない2026/05/13 18:55:37208.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZという事をリダンがいつになったら理解するんだろうね2026/05/13 18:56:55209.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ虚論寂滅いうてる限り無理だろね2026/05/13 18:58:03210.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ虚論寂滅=有る無しの二元論2026/05/13 18:59:15211.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論虚論寂滅=有る無しの二元論2026/05/13 18:59:48212.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT>>211ほう龍樹が有る無しの二元論というか?何様なんだ?ん?2026/05/13 20:36:56213.登り棒◆0mnwMe9WsAY25uy**戯論寂滅(けろんじゃくめつ)**とは、仏教、とくに中観思想などで使われる表現で、簡単に言うと、言葉や概念によるこね回しが静まった境地のことです。「戯論」は、真実を直接とらえる助けにならない概念的な議論・分別・言語的な作りごとを指します。たとえば、「有るのか、無いのか」「同じなのか、違うのか」「永遠なのか、断絶するのか」といった二項対立的な考え方に執着して、実相を固定的に捉えようとする働きです。「寂滅」は、それが静まり、消えた状態です。つまり戯論寂滅とは、真理は言葉や概念で固定できるものではなく、あれこれの分別が止んだところに現れるという意味です。龍樹の『中論』では、縁起・空の真理を表す文脈で重要です。すべてのものは独立した固定的実体を持たず、条件によって成り立っている。だから「有る」とも「無い」とも一面的には言えない。そのような極端な見方を離れたところが、戯論寂滅です。要するに、**「言葉で真理を所有しようとする心が静まった状態」**です。悟りや涅槃の性格を表す言葉とも言えます。2026/05/13 20:44:54214.登り棒◆0mnwMe9WsAY25uy**戯論(けろん)**とは、仏教ではだいたい次の意味です。真実を直接見ることを妨げる、言葉・概念・分別のから回り。もう少し噛み砕くと、ものごとを言葉で固定して、「これは本当に有る」「これは完全に無い」「これは私のものだ」「これが絶対に正しい」「悟りとはこういう実体だ」のように、概念を実体視してしまう働きです。ポイントは、単なる議論や会話そのものが戯論なのではないということです。言葉が迷いをほどくなら方便です。けれど、言葉によって執着・対立・固定観念が増えるなら、それは戯論になります。中観の文脈では、戯論は特に「有る/無い」「同じ/違う」「生じる/滅する」などの二項対立にとらわれて、縁起・空のあり方を見失うことを指します。一言で言えば、戯論とは、言葉を道具として使うのではなく、言葉に使われてしまっている状態です。2026/05/13 20:46:54215.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ龍樹は、真諦と俗諦の二諦論者だろ。またおかしな事を言ってるなー2026/05/13 20:58:58216.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ虚論寂滅とは、二元から離れるという二元論だと言っているんだろが2026/05/13 21:03:23217.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZおまえの二元論につきあわされるのはもうこりごりなんだよ2026/05/13 21:04:22218.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZいつまでも二元論で立ち往生してろ2026/05/13 21:05:14219.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ二元論で真如は語れんよ2026/05/13 21:06:11220.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZT>>219おま、空をおろそかだと円融のクオリティさがるが戯論寂滅が二元論とか言う時点でダメダメやん2026/05/13 21:57:42221.リダン◆3y/i8XtGLYrvwZTはあ嘆かわしい中論を分かったきになっとるせめて全部目を通せ2026/05/13 21:59:18222.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZそか良かったな2026/05/13 22:17:24223.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZ析空どまりのおまえに何言われてもどうでも良い2026/05/13 22:19:38224.法介◆T3azX0Hk1U0sMJZめでたい奴だなと思うだけだ2026/05/13 22:20:25
AIを利用した日常の会話のやり取りをして自分のどこが中心化しているのか?
そしてそれが固定化しているのかを指摘し、可視化してもらうために作ったもの。
上手く運用出来るかは分からないけどそういう意図で作ったもの
AIと対談による分析
わたし的にはどうでもいい内容だ
遍計所執性でしかない内容だからだ。
真に知り得るのは
自分でしかない
他人がどうのこうの言ったところで
それは遍計所執性(勝手な妄想や憶測)でしかない。
思慮を働かせる
指向性を
わたしは持たない
わたしは次のように自己を表現する
「ふ~~~~~~ん」
それは固定化しないという固定化を作っていて、相対的に固定化しなければ良いという発想になっている。 これはむしろ固定化しなければ良いといいながら固定化しないことを固定化してる
まず仮名をしってくれ
と固定化している
と固定化している
…
このように無限後退するわけだな
仏教でも言語化するさいここがよく
問題になる
唯識では証自証分と自証分と言う仮名
便宜上立てて
で閉じる
そうじゃないから突っ込まなあかん
それこそリダンの固定化を
してるにすぎないな
ではそのaiに介入して
対話をしようかと思ったら
有料にしろ言われたわ
✕そうじゃないというところから
突っ込まなあかん
◯そうじゃないというところから
突っ込まなあかん
「しなければ良い」は相対化の発想になる
「固定化しなければ良い」と言った瞬間、固定化は行為管理になります。
つまり、
怒ってもよい。
蔑んでもよい。
罵ってもよい。
ただし、それに執着しなければよい。
という発想になる。
そうではなく、怒るという
現れのまま作為なしということ
棒がいいたいのは
怒りの現れ生成を見てない
といいたいんだと思うが
そんなのは同時成立だ
副世俗でいえばそれが怒りの原因だねと
なるだけ
世俗◯
戯論寂滅とは
その一次情報(衝動)
と二次情報(条件)
は分節であるよと
いわばそれを実体化が戯論であると
しかし世俗としては
仮名によって現れると
棒がこれがいいたいんだろ?
怒りの現れ生成
棒のように縁起の背景をみるって話は
してないの
勝義的な意味合いの話
ラベル化して荷物が増えとると
そんなんは捨てて指先の摩擦をみろと
それようの話を俺はしてたの
ようは
感情論の土台に上がって話しただけのこと
道徳的にどうかとは別の話だわな
>>196
そう、同時成立。ただ作為がないわけでも意図がないわけでもない。
言葉で説明すると時系列に順番に説明せざるを得ないがそれはそれ。
>>191
こちら側は相互依存を相対的に見て語るとそうなる。
>>201
私は倫理だけを見て話してるわけではない。
こちらは元々私とほーさんの違いでもあるよ。
私は内面の現れを重視する。
というよりは他人がどうこう言った所でそれはその人を本当に分かってる事ではなく、かといってただの妄想でもなく、関係性によって成立した果だ。
私は人を変えようとしてるわけではなく、その人に普段あがらない別の発想を立ち上げるきっかけになるように話してるだけなんだよ。
それで違う発想に触れた時にその人に何か気付きが起こった時にその固定観念が外れる。
無論防衛に走る事も多いけどそれもまた一つの果。縁が成熟しなければ気付きという果は現れない。
思い通りにしたいわけでもなく、ただ閉じた見方から別の見方に触れた時に気付きが現れる。
それはそれで良いんじゃないかな
棒ちゃんだからね
棒ちゃんもわたしじゃない
リダンがいつになったら
理解するんだろうね
無理だろね
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
虚論寂滅=有る無しの二元論
ほう龍樹が有る無しの二元論と
いうか?
何様なんだ?
ん?
「戯論」は、真実を直接とらえる助けにならない概念的な議論・分別・言語的な作りごとを指します。たとえば、
「有るのか、無いのか」
「同じなのか、違うのか」
「永遠なのか、断絶するのか」
といった二項対立的な考え方に執着して、実相を固定的に捉えようとする働きです。
「寂滅」は、それが静まり、消えた状態です。
つまり戯論寂滅とは、
真理は言葉や概念で固定できるものではなく、あれこれの分別が止んだところに現れる
という意味です。
龍樹の『中論』では、縁起・空の真理を表す文脈で重要です。すべてのものは独立した固定的実体を持たず、条件によって成り立っている。だから「有る」とも「無い」とも一面的には言えない。そのような極端な見方を離れたところが、戯論寂滅です。
要するに、**「言葉で真理を所有しようとする心が静まった状態」**です。悟りや涅槃の性格を表す言葉とも言えます。
真実を直接見ることを妨げる、言葉・概念・分別のから回り。
もう少し噛み砕くと、ものごとを言葉で固定して、
「これは本当に有る」
「これは完全に無い」
「これは私のものだ」
「これが絶対に正しい」
「悟りとはこういう実体だ」
のように、概念を実体視してしまう働きです。
ポイントは、単なる議論や会話そのものが戯論なのではないということです。言葉が迷いをほどくなら方便です。けれど、言葉によって執着・対立・固定観念が増えるなら、それは戯論になります。
中観の文脈では、戯論は特に「有る/無い」「同じ/違う」「生じる/滅する」などの二項対立にとらわれて、縁起・空のあり方を見失うことを指します。
一言で言えば、
戯論とは、言葉を道具として使うのではなく、言葉に使われてしまっている状態です。
またおかしな事を言ってるなー
二元から離れるという
二元論だと言っているんだろが
もう
こりごりなんだよ
二元論で立ち往生してろ
真如は語れんよ
おま、空をおろそかだと
円融のクオリティさがるが
戯論寂滅が二元論とか言う時点で
ダメダメやん
中論を分かったきになっとる
せめて全部目を通せ
良かったな
何言われても
どうでも良い
思うだけだ