【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part2最終更新 2025/11/23 05:351.◆JBLfMwCXhYYdaGe中論を理解しよう。リダン君、教えてください。中論https://talk.jp/boards/psy/17387112042025/11/07 23:30:35717コメント欄へ移動すべて|最新の50件668.◆JBLfMwCXhYVlYOy中観派にとって縁起とは「自立して存在するものなど何もない。すべては相互依存している」という話2025/11/17 06:18:52669.◆JBLfMwCXhYVlYOy難しい用語を使えば「此縁性縁起」と「相依性縁起」だ2025/11/17 06:19:26670.◆JBLfMwCXhYVlYOy中観派の影響は大きく大乗仏教で縁起といえば、そういう話になった2025/11/17 06:20:26671.◆JBLfMwCXhYVlYOyもとはといえば、原因と結果の法則だった2025/11/17 06:20:47672.◆JBLfMwCXhYVlYOyこうすれば、ああなるああしたから、そうなった2025/11/17 06:21:13673.◆JBLfMwCXhYVlYOyこれが本来の因果律因縁果の法則だ2025/11/17 06:21:34674.◆JBLfMwCXhYVlYOy中観派で、主旨が変わった2025/11/17 06:21:51675.神も仏も名無しさんIae18左脳が思い悩むを作り出す。厳密には、左脳中心で、右脳も補助的な役割をする。悩みとは作り出すものである。思い悩みは言語を取ることから生じる。 言葉は世界を整理する力を持つが、同時に「悩み」を生み出す力も持つ。2025/11/17 07:31:04676.神も仏も名無しさんa2ofbどーてもええ😃2025/11/17 08:06:39677.神も仏も名無しさんGlESU『天台小止観』は、中国天台宗の開祖である天台智者大師が、座禅・瞑想の具体的な方法を簡潔に説いた仏教の書物です。『摩訶止観』の入門書にあたり、「止」で心を静め、「観」で真理を把握するという『止観』の要義が網羅されており、仏教史上初めて体系的にまとめられた作法書とされています。『天台小止観』の概要目的: 心を鎮め、外界の現象を正しく見極めるための修行法を解説する。形式: 『摩訶止観』が「大止観」と呼ばれるのに対し、初心者向けの簡潔な入門書として「小止観」や「童蒙止観」とも呼ばれます。内容: 修行の準備、欲望や悪しき心の克服、飲食・睡眠などの生活の調整、具体的な座禅のやり方、そして修行によって得られる成果など、段階を追って説明されています。意義: 仏教史上初めて集成された座禅の作法書であり、現在でも非常に懇切で実践的な指導書として価値が高いとされています。2025/11/17 15:09:52678.神も仏も名無しさんGlESU『天台小止観』で説かれる「止観」とは止(さんま:śamatha): 心の雑念を静止させ、安定させる修行。観(びぱすやかな:vipaśyanā): 安定した心で物事をありのままに観察し、智慧を得る修行。この二つは互いに補完し合う関係にあり、仏道を歩む上で不可欠な要素とされています。2025/11/17 15:10:15679.神も仏も名無しさんGlESUボンクラ猊下もなかなか詳しくやってるが臨濟への解釈は違うだろなだからボンクラだ😆https://www.engakuji.or.jp/blog/33239/2025/11/17 15:14:07680.神も仏も名無しさんGlESU日蓮くんもかなりの横車を押した『摩訶止観』は、隋代の天台大師・智顗が弟子に講じた内容を、章安灌頂が筆録した書物です。この書は、座禅を中心とした仏教の実践的な修行法である「止観」を体系的に解説し、天台宗の根本聖典の一つとされています。『摩訶止観』の要約目的: 「止観」という実践的な観点から仏教を捉え、悟りを開くための修行の道筋を体系的に明らかにする。内容: 座禅に始まる具体的な修行の作法や心得を説いており、仏教の思想原理を実践面から体系的に解説している。位置づけ: 天台宗の根本聖典である「法華三大部」の一つに数えられ、天台宗の修行法である「観心」を説いた書物である。成立: 594年に中国の荊州で智顗が講義し、弟子の章安灌頂が筆録して成立した。補足止観: 「止」はサマタ瞑想、心を静止させること。「観」はヴィパッサナー瞑想、対象を観察して智慧を得ることを指し、仏教の瞑想の基本的な要素です。「円頓止観」: 『摩訶止観』に示された内容を要約したもので、天台宗が悟りをひらくための方法の一つ。実践的な教え: 字句の解釈だけでなく、『法華経』の教えを実践的に把握するための重要な注釈書として位置づけられています。2025/11/17 15:19:20681.神も仏も名無しさんgHWcJ天台宗の中論解釈が垣間見えるhttp://www.tendai-jimon.jp/author/1/1.html2025/11/17 15:27:40682.◆JBLfMwCXhYhNzMc>>681これは参考になるな2025/11/18 07:49:28683.◆JBLfMwCXhYhNzMc天台宗のベースは中論だな2025/11/18 07:51:18684.神も仏も名無しさんw63T4唯識からの上のレベルの入口だ天台宗は😆2025/11/18 07:52:44685.◆JBLfMwCXhYhNzMc中観派の瞑想法中観派は、インド大乗仏教の2大学派の一つで、「空性」(すべての存在には本質・実体性がない)を中心教義としています。インド、チベットの中観派の伝統の「観」の瞑想(真理を認識する瞑想)は、「空」の教学に沿って行われますので、広い意味で「空観」と呼ぶことができます。そうして、無概念の直観的な認識を得ると共に、それを概念的に理解する智慧も獲得します。2025/11/18 07:53:50686.神も仏も名無しさんw63T4昨日夕方4時くらいに天台を読んでた😆2025/11/18 07:53:54687.◆JBLfMwCXhYhNzMc具体的には、まず、教義に沿って、例えば、以下のような概略に沿って瞑想します。「四念処(体、感覚、心、法には実体がない)」の瞑想によって、すべての存在が「空」であること(法無我)を考察します。つまり、すべての存在は実体ではなく、幻のようなものであると考察して、小乗の経量部などの実有論を避けます。五蘊(感覚器官・感覚・イメージ・連想や感情・思考)のどれも自分ではないと考察して、私という実体はないこと(人無我)を考察します。つまり、心(識)もまた実体ではなく、幻のようなものであると考察して、唯識派の唯心論を避けます。すべての存在は、他の存在を原因として生まれる(縁起)存在であるから、実体ではなく、本質を持たない(空)ことを考察します。実体を持たないといっても、何も存在しないということではなく、実体を持たないというあり方で存在しているのだと理解することで、「有」にも「無」にも偏ることがない立場(中)に至ると考察します。煩悩をなくして一切智を得て仏になるためには、「空性」を悟ことが必要であり、「空性」の認識によって慈悲の心を生み、功徳を積むことができると考察します。2025/11/18 07:54:32688.◆JBLfMwCXhYhNzMcまた、「空」の考察の方法として、チベットも含めて密教時代以降は、帰謬法(背理法)を使うことが良く行われます。つまり、Aが実体であると仮定する。AはBであるか非Bであるかのどちらかである。しかし、Bは成り立たない or BだとAは実体ではない。また、非Bも成り立たない or 非BだとAは実体ではない。だからAは実体ではない。という論法で考察をします。例えば、「人無我」に関しては、人は五蘊と一体であるか別であるかのどちらかである。人が五蘊が同じならば、複数の存在に依っているので人は実体ではない。人と五蘊が別ならば、人としての五蘊とは別の何かが見つかるはずだが見つからない。従って、人は五蘊よって仮説されたものに過ぎなく、実体ではない。他にも、「〇〇は単数であるか複数であるかどちらかである」、「〇〇は一瞬前の存在と同じであるか違うかどちらかである」といった論法を使います。このような論証・考察を徹底的に行うことを経て初めて、無概念の「空」の認識に至ります。2025/11/18 07:54:51689.◆JBLfMwCXhYhNzMcまた、論証ではなく、本質(自性)をつきつめて瞑想するうちに、それが否定される状態(空)に至るような瞑想の方法も行われます。例えば、目の前にある「本」について考察します。まず、「本」が実体であるとして、その本質を見極めようとします。これを「正理知」と言います。そのためには、「本」の偶有性、例えば、「厚い」とか、「カバーがある」とか、「本」が「本」たる所以となる本質的な属性でない性質を捨てていきます。すると、「本」そのものを見出すことができず、虚空のような無限の広がりを体験することに至ります。こうして、逆説的にも、無概念な状態で「空」を理解することになります。2025/11/18 07:55:22690.◆JBLfMwCXhYhNzMc以上のように、帰謬法であれ、正理知であれ、対象を分析的に観察することを通して、初めて無概念の直観的な「空」の認識に至ります。この無概念での認識を「等引智」、「虚空のような空性」と呼びます。その後、日常的な認識の状態に戻ると、また、「本」を「本」として認識することになります。しかし、今度は、以前のように「本」を実体としてではなく、「幻」のような存在として認識するようになります。この認識を「後得智」、「幻のような空性」と呼びます。2025/11/18 07:55:40691.◆JBLfMwCXhYhNzMcそして、分析的な「観」と、無概念の「止」(集中一体化する瞑想)を順に等分に行うことで、「等引智」と「後得智」を深めていきます。やがて、分析を行っているうちに、それを意識的に行わずとも、自然に正しい認識が行われる状態になります。この時、「止」と「観」が同時に行われる「止観双運」の状態になっています。さらに続けていくことで、最終的には、「等引智」と「後得智」が一致することで、悟りに至ります。2025/11/18 07:55:51692.◆JBLfMwCXhYhNzMc>>686> 昨日夕方4時くらいに天台を読んでた> 😆翌日に影響しそうだな?😆2025/11/18 07:56:13693.神も仏も名無しさんw63T4インド、チベットは倶舎論的な佐々木先生の動画で消す、とかいう感覚の向こうの空という気がする臨濟宗肌だと、わかりにくかったが最近、臨濟宗以外はそういうベースがあるのだろうな2025/11/18 07:56:14694.神も仏も名無しさんw63T4消すとかいう瞑想の間合いが今年上手くなった😆2025/11/18 07:57:04695.神も仏も名無しさん9TMGdただの、無門関というだけなんだよね。一遍、無門関をくぐると、それは永遠の魂と霊になる。囚われがなくなるわけ。2025/11/19 12:16:53696.神も仏も名無しさん9TMGd絶対神の無限時間無限空間の大包これは、一言、大包でいい。大包あっての、大乗。一柱も漏れ落つることなく全体的な得度、つまり、得度永久の生、不生之生2025/11/19 12:23:10697.神も仏も名無しさん9TMGd絶対的得度でした。2025/11/19 12:24:21698.神も仏も名無しさん9TMGd得度には、絶対的得度と、全体的得度が有りますね2025/11/19 12:25:16699.神も仏も名無しさん9TMGd私の前世の方以智も、この太無論を唱えたのだが、要するに、絶対神的無、これを無神と名づけようと思うのだが、そこには、無神的気・意・理があったわけなんだよね。対象ができると、そこに数字の二で関係が生まれ、働きができる。無神が最初に創ったのが何なのかは分からないが・・・2025/11/19 12:37:09700.神も仏も名無しさん9TMGd絶対神、つまり、法体主がいた。ここが、仏教で説かれていないところ。2025/11/19 12:38:08701.神も仏も名無しさん9TMGd勿論、法体主の名は、名無しだ。これを私は、今まで原点素神と読んでいたが、本当は、先天の素神、素神の先天。2025/11/19 12:42:03702.神も仏も名無しさん9TMGd元がなければ今はないと考えれば、必ず、この元は有るはずだ。2025/11/19 12:50:36703.神も仏も名無しさん9TMGd無神の世界は、無限極絶対境という。2025/11/19 12:52:56704.神も仏も名無しさん9TMGd名前については、「老子」に出ている。2025/11/19 12:53:46705.神も仏も名無しさん9TMGdああ、そう言えば、この、現実的絶対無は、儒教に、天下の大本をこれ中と言うと言って、すでに、答えが出ている。この、「中論」という書のの中ですね。2025/11/19 12:55:48706.神も仏も名無しさん9TMGdあれ、中って、バランスですよね?つまり、バランスの正体2025/11/19 12:57:18707.神も仏も名無しさん9TMGdこの、天下の大本の中とは、つまり、先天の中。2025/11/19 12:57:51708.神も仏も名無しさん9TMGdそれが、第何次元かまでは、分からないなあ・・・2025/11/19 12:59:02709.神も仏も名無しさん9TMGdでは、どうして、この先天は、現実の前の世界なのに、先天の中が有るのが分かるのですか?良くわからないが、御魂が高次元存在だからでは?悪霊は分かるかい?2025/11/19 13:01:00710.神も仏も名無しさん9TMGd先天の先天、先天の後天、後天の先天、後天の後天と有って、これは、6~3次元のことと思われる。それより先の、高次元は、かくれみの世界と言って、人間は知覚(感ずること)ができない。2025/11/19 13:04:43711.神も仏も名無しさん9TMGd高級品というのは、この、高次元を感覚できる。ハンティングワールドやフェンディ、中華料理の満漢全席やフランス料理のコースなど。2025/11/19 13:06:23712.◆JBLfMwCXhYGRmh7このスレでは、止めてもらえませんか?😅2025/11/20 19:23:57713.◆JBLfMwCXhYGRmh7いや、よく見ると中論の話ですな~😂2025/11/20 19:24:48714.◆JBLfMwCXhYGRmh7続きは、こちらで↓古本屋のつぶやき Part2https://talk.jp/boards/psy/17631931272025/11/20 19:26:19715.神も仏も名無しさんyRkKk>>714教えてくれて有難う。2025/11/21 23:39:04716.◆JBLfMwCXhYS4yKA中論の話を再開しよう😆2025/11/22 20:29:52717.神も仏も名無しさんfa1Jl丑三つ時トマスしようと思ったが寝てしまった😆2025/11/23 05:35:42
【国際】トランプ「同盟国の多くは友達じゃない」凍りつく…高市総理は台湾有事発言で米に見捨てられたか? 撤回できず、前にも進めず「八方塞がり」ニュース速報+84222132025/12/05 20:55:15
【高市自民】ネット大荒れ「はあ?」「子育てに罰金」「高市支持やめる!」 高校生の扶養控除縮小検討の報道に騒然「意味分からん」「ほーら増税始まった」「涙出る」「子育て支援は嘘」 公明離脱で再燃ニュース速報+489848.72025/12/05 20:52:02
リダン君、教えてください。
中論
https://talk.jp/boards/psy/1738711204
「自立して存在するものなど何もない。すべては相互依存している」
という話
「此縁性縁起」と「相依性縁起」だ
大乗仏教で縁起といえば、そういう話になった
ああしたから、そうなった
因縁果の法則だ
悩みとは作り出すものである。
思い悩みは言語を取ることから生じる。 言葉は世界を整理する力を持つが、同時に「悩み」を生み出す力も持つ。
😃
『天台小止観』の概要
目的: 心を鎮め、外界の現象を正しく見極めるための修行法を解説する。
形式: 『摩訶止観』が「大止観」と呼ばれるのに対し、初心者向けの簡潔な入門書として「小止観」や「童蒙止観」とも呼ばれます。
内容: 修行の準備、欲望や悪しき心の克服、飲食・睡眠などの生活の調整、具体的な座禅のやり方、そして修行によって得られる成果など、段階を追って説明されています。
意義: 仏教史上初めて集成された座禅の作法書であり、現在でも非常に懇切で実践的な指導書として価値が高いとされています。
止(さんま:śamatha): 心の雑念を静止させ、安定させる修行。
観(びぱすやかな:vipaśyanā): 安定した心で物事をありのままに観察し、智慧を得る修行。
この二つは互いに補完し合う関係にあり、仏道を歩む上で不可欠な要素とされています。
なかなか詳しくやってるが
臨濟への解釈は違うだろな
だから
ボンクラだ
😆
https://www.engakuji.or.jp/blog/33239/
かなりの横車を押した
『摩訶止観』は、隋代の天台大師・智顗が弟子に講じた内容を、章安灌頂が筆録した書物です。この書は、座禅を中心とした仏教の実践的な修行法である「止観」を体系的に解説し、天台宗の根本聖典の一つとされています。
『摩訶止観』の要約
目的: 「止観」という実践的な観点から仏教を捉え、悟りを開くための修行の道筋を体系的に明らかにする。
内容: 座禅に始まる具体的な修行の作法や心得を説いており、仏教の思想原理を実践面から体系的に解説している。
位置づけ: 天台宗の根本聖典である「法華三大部」の一つに数えられ、天台宗の修行法である「観心」を説いた書物である。
成立: 594年に中国の荊州で智顗が講義し、弟子の章安灌頂が筆録して成立した。
補足
止観: 「止」はサマタ瞑想、心を静止させること。「観」はヴィパッサナー瞑想、対象を観察して智慧を得ることを指し、仏教の瞑想の基本的な要素です。
「円頓止観」: 『摩訶止観』に示された内容を要約したもので、天台宗が悟りをひらくための方法の一つ。
実践的な教え: 字句の解釈だけでなく、『法華経』の教えを実践的に把握するための重要な注釈書として位置づけられています。
垣間見える
http://www.tendai-jimon.jp/author/1/1.html
これは参考になるな
天台宗は😆
中観派は、インド大乗仏教の2大学派の一つで、「空性」(すべての存在には本質・実体性がない)を中心教義としています。
インド、チベットの中観派の伝統の「観」の瞑想(真理を認識する瞑想)は、「空」の教学に沿って行われますので、広い意味で「空観」と呼ぶことができます。
そうして、無概念の直観的な認識を得ると共に、それを概念的に理解する智慧も獲得します。
😆
「四念処(体、感覚、心、法には実体がない)」の瞑想によって、すべての存在が「空」であること(法無我)を考察します。
つまり、すべての存在は実体ではなく、幻のようなものであると考察して、小乗の経量部などの実有論を避けます。
五蘊(感覚器官・感覚・イメージ・連想や感情・思考)のどれも自分ではないと考察して、私という実体はないこと(人無我)を考察します。
つまり、心(識)もまた実体ではなく、幻のようなものであると考察して、唯識派の唯心論を避けます。
すべての存在は、他の存在を原因として生まれる(縁起)存在であるから、実体ではなく、本質を持たない(空)ことを考察します。
実体を持たないといっても、何も存在しないということではなく、実体を持たないというあり方で存在しているのだと理解することで、「有」にも「無」にも偏ることがない立場(中)に至ると考察します。
煩悩をなくして一切智を得て仏になるためには、「空性」を悟ことが必要であり、「空性」の認識によって慈悲の心を生み、功徳を積むことができると考察します。
つまり、
Aが実体であると仮定する。
AはBであるか非Bであるかのどちらかである。
しかし、Bは成り立たない or BだとAは実体ではない。
また、非Bも成り立たない or 非BだとAは実体ではない。
だからAは実体ではない。
という論法で考察をします。
例えば、「人無我」に関しては、人は五蘊と一体であるか別であるかのどちらかである。
人が五蘊が同じならば、複数の存在に依っているので人は実体ではない。
人と五蘊が別ならば、人としての五蘊とは別の何かが見つかるはずだが見つからない。
従って、人は五蘊よって仮説されたものに過ぎなく、実体ではない。
他にも、「〇〇は単数であるか複数であるかどちらかである」、「〇〇は一瞬前の存在と同じであるか違うかどちらかである」といった論法を使います。
このような論証・考察を徹底的に行うことを経て初めて、無概念の「空」の認識に至ります。
例えば、目の前にある「本」について考察します。
まず、「本」が実体であるとして、その本質を見極めようとします。
これを「正理知」と言います。
そのためには、「本」の偶有性、例えば、「厚い」とか、「カバーがある」とか、「本」が「本」たる所以となる本質的な属性でない性質を捨てていきます。
すると、「本」そのものを見出すことができず、虚空のような無限の広がりを体験することに至ります。
こうして、逆説的にも、無概念な状態で「空」を理解することになります。
この無概念での認識を「等引智」、「虚空のような空性」と呼びます。
その後、日常的な認識の状態に戻ると、また、「本」を「本」として認識することになります。
しかし、今度は、以前のように「本」を実体としてではなく、「幻」のような存在として認識するようになります。
この認識を「後得智」、「幻のような空性」と呼びます。
やがて、分析を行っているうちに、それを意識的に行わずとも、自然に正しい認識が行われる状態になります。
この時、「止」と「観」が同時に行われる「止観双運」の状態になっています。
さらに続けていくことで、最終的には、「等引智」と「後得智」が一致することで、悟りに至ります。
> 昨日夕方4時くらいに天台を読んでた
> 😆
翌日に影響しそうだな?😆
倶舎論的な
佐々木先生の動画で消す、とかいう
感覚の向こうの空
という気がする
臨濟宗肌だと、わかりにくかったが
最近、臨濟宗以外は
そういうベースがあるのだろうな
とかいう瞑想の間合いが
今年上手くなった
😆
これは、一言、大包でいい。
大包あっての、大乗。
一柱も漏れ落つることなく
全体的な得度、つまり、得度
永久の生、不生之生
要するに、絶対神的無、これを無神と名づけようと思うのだが、
そこには、無神的気・意・理があったわけなんだよね。
対象ができると、そこに数字の二で関係が生まれ、働きができる。
無神が最初に創ったのが何なのかは分からないが・・・
この、「中論」という書のの中ですね。
つまり、バランスの正体
良くわからないが、御魂が高次元存在だからでは?
悪霊は分かるかい?
これは、6~3次元のことと思われる。
それより先の、高次元は、かくれみの世界と言って、人間は知覚(感ずること)ができない。
ハンティングワールドやフェンディ、中華料理の満漢全席やフランス料理のコースなど。
中論の話ですな~😂
↓
古本屋のつぶやき Part2
https://talk.jp/boards/psy/1763193127
教えてくれて有難う。
思ったが寝てしまった
😆