ーーーーーーーーーーーーー 原文: “Yoga has a message to your body. Yoga has a message to your mind, to your soul and Yogi is coming back into that centre which is called Nothingness; Womb of everything. So make sure that if you are seeker of truth you have to meditate. Yogi is coming back into that centre, which is called Nothingness. Meditation means doing nothing, creating nothing, watching nothing. Even though having no awareness, not even contemplation. It is total freedom, infinite. It is a beginning and it is an end.”
「さらに、アヴァタール・ババとマハ・アヴァタール・ババがロード・クリシュナの時代に属す人々であることは、心に留めるべき重要な点である。そしてロメッシュ・リシは顔を除いて毛深い姿をしているが、彼は「前・ラーマヤナ」時代に属し、この地球の絶滅と復活を何回も目撃している」(中略)
「このグループには23人のマハトマがおり、24番目は私に割り当てられている。特筆すべき重要なことは、これらの偉大なマハトマたちは肉体(グロス)で存在していることだ。」
猊下は「一万二千年以上生きているアヴァター様達がいて、普段は光体となって、地球や生命体の霊的進化を担っている。肉体を氷河に保存していて、必要な時は肉体を伴い世間に現れることもある」と仰っています。
まあ、こんな話は信じない方が大半でしょうが、インド最大の聖者の団体が認めているので、世界中でこの話を信じている人は多いのです。
私は一万二千年肉体を交換しながら生きていると言われるマハ・アバターラババとアバターラ・ギリ・ババジにお会いしました。勿論、それはパイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方の恩計らいによるものでした。
マハ・アバターラババには「一万二千年秘密のアシュタンガヨガ」を教えて頂きました。アバターラ・ギリ・ババジには「一万二千年秘密のクリヤヨガ」を教えて頂きました。
猊下に両アヴァター様を紹介された時は流石に半信半疑でしたが、ある決定的な証拠を見て私の疑いは氷解しました。
私が話しかけている人々は、このような話しに、良い意味で驚かない人々です。こんなことに疑いを持っているようでは、覚醒はおぼつきません。
猊下は「地球は今まで何度も絶滅している」と仰っています。このような事を再び繰り返してはいけません。
パイロットババ猊下によれば、『ヨーガ・スートラ』は優れた経典ですが、真実を総て明かすことは出来ないので、一部脚色されているそうです。5%はわざと脚色しているそうです。
例えば、『ヨーガ・スートラ』では、光のステージが第二サマーディとされています。実は脚色で、本当は第一サマーディが光のステージだそうです。
所謂エンライトメントが、サマーディのスタートラインと知らされた時は、正直驚きました。
サマーディの最初のステージがエンライトメントのステージで、ニルヴィカルパ・サマーディは第四サマーディになっています。
つまりニルヴィカルパ・サマーディは「ビヨンド・ビヨンド・ビヨンドエンライトメント」と表現可能です。
因みに「公開サマーディ」が出来る覚者は、第四サマーディであるニルヴィカルパ・サマーディを達成した方だとも伺いました。
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そういう世界にサンカルパ(意思・決断)の力で自由自在に往き来できるステージで有るパイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方に比べれば、サマーディを成就しただけの私など足元にも及びません。
このような事を言うと上下意識に縛られた方は、「なんだ!光のステージは低いのか?」と言ってしまいそうです。
そうではありません!これは上下の問題ではありません。光のステージ以上は、みんな素晴らしい世界です。
光と永遠の浄土と言えば、浄土の代名詞である極楽浄土が思い出されます。
阿弥陀仏は「無量寿如来」「無量光如来」とも名付けられます。無量の光と無量の壽、即ち、永遠の時間を象徴する如来です。
エンライトメントの世界は、まさに無量の光と無量の時間の世界です。
キリストは「神の国は光の国である」と答えています。こういう世界を下に見るとする人の気がしれません。
私は涅槃寂滅の世界も好きですが、光の世界も好きです。多くの人々のマインドが好むのは、涅槃寂滅の世界よりむしろ光の世界でしょう。
マハヨギ・パイロットババジ猊下のような偉大な覚者様達の願いは一つです。それは「世界平和」「ガイア(母なる地球)保護」「人類の覚醒」です。
私は総ての覚者や、覚醒を求める同胞たちが協力しあうのは当然の事だと思っています。
宗派を立てることの意義は認めていますが、この危機的状況の中では、宗派を立てるより、宗派を超えて和合すべきだと考えています。
狭義の意味での宗派主義は、世俗的エゴに他なりません。我々人類は、宗派主義は勿論のこと、宗教を超えた道に進むべきです。
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ヨガは科学です。但し、自然科学とは土台の違う別の科学です。
最近の物理学、特にアインシュタイン以降の物理学や、アインシュタインの宿敵(?)である量子力学以降の現代物理学は大分ヨガの科学に近づいてきています。
しかし、まだまだです。科学はブラックホールを発見しましたが、ホワイトホールを発見していません。
サマーディ成就者は両方を知っています。
ワームホールの描写も中途半端です。実際は、映画に出てくるようなものと違います。
次元論は、4次元以上は数学的領域の問題になるそうですが、ヨガのパンチャコーシャ理論のパクリにも見えるブレーン宇宙論には興味を惹かれます。
私は物理学の徒ではないので、詳しい解説は出来ませんが、サマーディ世界で見たものは理解しています。
宇宙の物理法則は「拡大と縮小の原理」に縛られていますが、サマーディは拡大と収縮を超えた世界です。
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私は組織を運営するには不向きな人間です。出来るなら、ヒマラヤでずっとアローンネス(独り在ること)でいたかった人間です。
大乗仏教は、そうした修行者を「一人悟り一人去る」独覚として批判しました。
覚醒したら菩薩の段階でも利他行をすべきだと主張しました。かつて、大乗仏教の教団に属していた私も、長い間そう思ってきました。
しかし、パイロットババ猊下にお会いして、その考えは間違いだと教えられました。
覚醒しても利他行に向かう事には不向きな方もいると教えられたのです。
衆生済度の利他行に行く前に、自己のステージを極めるのが先と思う方もいます。「自分を救えない人間に、他人は救えない」と思うからです。
親鸞も『歎異抄』の中で、「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもって、 おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり」と言っています。
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ヒマラヤの聖者には、こうしたタイプの覚者が多いのです。パイロットババ猊下のようにヒマラヤから降りてきて、衆生済度のワークをされる覚者は意外に少数だと聞きました。
だから、パイロットババ猊下をジャッジして取り逃すことは、実に勿体無いことなのです。
反対に、大乗仏教では観音菩薩や弥勒菩薩のように、自分が菩薩の段階でも衆生済度のワークに取りかかる菩薩がたくさんいます。一般大衆からすれば菩薩様達は実に有り難い存在です。
しかし、パイロットババ猊下は、菩薩の段階で教えるより、仏陀のステージになってから教えたほうが良いと仰いました。大乗仏教を学んだ者としては、眼から鱗の意見でした。
しかし、考えてみれば確かにそのとおりです。
仏教において菩薩は仏陀に準ずる位です。
輪廻転生を超えたとはいえ、未だ「完全な悟り」に至っていないステージです。
勿論、猊下が菩薩行自体を否定する筈はありません。
又、仏陀より菩薩が低いなどと仰っている訳ではありません。これは上下の問題では無いのです。
観音菩薩や勢至菩薩を信仰する人が、この世界にはたくさんいます。
観音菩薩の象徴は慈悲です。勢至菩薩の象徴は智慧です。
観音菩薩と勢至菩薩の象徴である慈悲と智慧を併せ持った仏陀が阿弥陀如来です。
観音菩薩と勢至菩薩は、プラスとマイナスのように不即不離の関係と見たほうが、本質を見誤りません。
阿弥陀如来を信心する方は、観音菩薩と勢至菩薩を阿弥陀如来の両側面として尊敬しています。だから、両菩薩を尊敬しています。
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或いは、観音菩薩と勢至菩薩がライバル関係だという話も聞きません。信心ということを知らない人が無意識的に、上下意識で物事を捉えます。これは大変な間違いです。
菩薩より仏陀のステージが上だと聞けば、自分の信仰する菩薩が否定された気になって、仏陀を敵視するような感覚の人がいるとすれば、それは「自分のエゴが投影された愚かしい考えです」と教えてあげてください。
ところが、この例を自分の帰依しているマスターに置き換えると、途端に分からなくなるものです。
具体的な例を示します。我が師マハヨギ・パイロットババジ猊下は多くの方々に尊敬されています。猊下に帰依する人の中には、世界的に有名なマスターもたくさんいます。
例えば、南インドに拠点を置く或るマスターが猊下に帰依しました。
その方の高弟の方は「私の尊敬するマスターが帰依するのだから、当然私も猊下に帰依します」と捉え、自然に猊下をリスペクトしました。
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人間とは、つくづく愚かな生き物です。こうして無用な対立構造が形成されます。
その方々のマスターが帰依している方なら、当然リスペクトするはずです。
観音菩薩や勢至菩薩を信仰する方なら、必然的に阿弥陀如来を信仰するはずです。
阿弥陀如来の慈悲心の部分が観音菩薩で、智慧の部分が勢至菩薩なのですから、その両方を重ね合わせた阿弥陀如来を信仰してもいい筈です。
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一般の人は「悟り」とか、「ニルバーナ(涅槃)」「解脱」「覚醒」という概念について、どんなイメージを持っているのでしょう?実は、人によってまちまちのイメージを持っているようです。
それでは専門的にはどう捉えられているのでしょうか?
釈尊(お釈迦様)は「ニルバーナ」を「蝋燭の火を吹き消した状態」と定義しています。
この定義は、定義と言うにはとても曖昧なので、他宗の覚者からよく批判されます。
でも私は釈尊の真意が理解できます。実際スピリチュアルワークをしてみて感じたのですが、曖昧な方が良い場合もあるのです。
伝統的なヒマラヤの聖者は釈尊の場合と全く違います。ヒマラヤの聖者は、世間と断絶して難行苦行に励みます。
孤高に在り、内なる世界に入定します。そして、自分のステージが至高に至った時に、初めて地上に還ります。この時点で利他行に励みます。
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ヒマラヤの修行者は、中々世間に戻って来ることはないのです。だからパイロットババ猊下のような存在は稀有なのです。
偉大な覚者をジャッジして、功徳を取り逃がさないようにしてください。
釈尊は一般大衆を相手に法を説きました。釈尊の功績はそこに有ると言われています。
一般信者が相手だと、ヒマラヤの修行者に対するような過酷な修行を求めるわけにはいきません。ヒマラヤの修行者には厳しい見解を述べても、一般大衆にそれを言うと、成長を止めてしまう可能性があります。
他の方の例を挙げると、その方を批判しているように思われるので、私の例を挙げます。
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私が猊下に最初の光の体験をお話した時、猊下はこう仰いました。
「貴方は良い体験をしました。でもそれは本当のクンダリーニの覚醒ではない。疑似クンダリーニの覚醒だ」
私はこのお言葉を聞いて失望しませんでした。真実を明確に述べることは、猊下の慈悲だと知っていました。
真実を述べられて感謝する方もいれば、悲しむ方もいます。私は猊下に感謝しました。
私の知り合いだった、或る外国人がいます。個人攻撃が目的ではないので、国籍は伏せます。
彼は自分がエンライトしていると勘違いして日本に来ました。そして、エンライトを宣言して弟子を集めました。
ある日、彼は、パイロットババ猊下とヨグマタジの講演会に参加しました。そして猊下に拝謁し、彼の覚醒を認めてくれると期待していました。
しかし、猊下は彼の覚醒を認めませんでした。彼は自分が否定されたと思い、失望して猊下から逃げてしまいました。
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先ず、彼がマスターになりたいという思いの中に不純な要素がありました。
「自分がマスターになって尊敬されたい」という不純な動機が見てとれました。多くの「偽マスター」はそうした気持ちを持っています。
パイロットババ猊下にはそうした不純な気持ちがまったくありません。
願いに不純な要素が絡めば、自ずと道を間違えます。反対に、願いが純粋であれば、道は限りなく広がり、限りなく進化します。
私が慢心に陥っていれば疑似クンダリーニ体験を指摘された時、自分が否定されたと勘違いして、猊下の元から離れたかもしれません。
私は、猊下に疑似クンダリーニ体験を指摘された数年前に本当のクンダリーニの覚醒体験をしていました。
即ち、サマーディを成就していました。
だから猊下のご指摘をうけても、悲しみませんでした。
上には上が有ることを知って悲しむ人は、何か大事なものが欠けています。
上には上が有ることを知って、喜ぶ人は成長します。
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〇 覚者は道半ばの弟子には優しいが、道を究めた弟子には厳しくするときもある。
釈尊がニルバーナの定義を曖昧にしたのは、まだ道半ばの存在であるが、良質の魂をもった人々を潰さないためだったと思えるようになりました。
若芽を摘まないようにする為だったのだと思えています。
何故なら、釈尊の信者は一般大衆が多かったからです。
釈尊は、慈悲の権化だったので、他宗の批判を甘んじて受け、ニルバーナを敢えて柔らかな定義にされたのだと推測します。
しかし、法を説く相手がヒマラヤの修行者ならそうはいきません。ヒマラヤのマスターは、ヒマラヤの修行者に対して、とても厳しいのです。
だからサマーディの定義は、ニルバーナ(涅槃)や悟りなどとは違って、とても具体的で厳密なのです。
モクシャ(解脱)の定義は、サマーディ程ではありませんが、ニルバーナよりは、厳密です。
↓
私は1992年にヒマラヤでパイロットババ猊下に邂逅しました。邂逅とは思いがけなく会うことです。
しかしこれまで私の生の中で起こったことをよくよく案ずると、すべては、パイロットババ猊下とヒマラヤのアヴァター様方にお会いする為の御計らいだったと気づいてきました。
どうしようもない大きな力に引き寄せられ、お会いしたのだと気づいてきました。
私が猊下にお会いしたその日ことでした。猊下は私にこう仰いました。
「貴方は公開サマーディの準備が出来ている。我々が総てを準備するからやりなさい」
私は聞き返しました。
「公開サマーディというのは、一旦
肉体は死んで、それからキリストのように復活するのですね?今まで、死んだまま還ってこられなかった例はありましたか?」
猊下のお返事は驚くべきものでした。
「ああ、そういう例は今までたくさんあった。ついこの間もシュリ・シュリ・アナンドという男が、準備の出来ていない弟子にむりやり公開サマーディをさせて殺してしまった。彼は、現在、殺人の罪で服役している。
死者がたくさん出るので、インド政府は公開サマーディーを禁止しているのだ」
私は「エー!」と思わず声が出てしまいました。「それを私にさせるのですか!」と心の中で叫びました。
↓
『 今の話はサマーディ成就していない者が、公開サマーディーをさせた結果、弟子を殺したという事実を言っただけだ。
私は今まで108回以上の公開サマーディを成就している。それ故、インド政府は私の公開サマーディだけは認めている。
昨年はヨグマタジも公開サマーディを成就した。私が総てを計らった。
だから私とケイコマタ(ヨグマタジ)は「世界に二人しか居ないインド政府公認のサマーディヨギ」と言われるのだ。
だから、安心して公開サマーディを成就しなさい 』
私は唸ってしまいました。
私は、僅か1週間前にパイロットババ猊下のお名前を知ったばかりでした。
ヨグマタジのお名前も、その時初めて伺いました。それなのに、
「土の中に入って一度死ぬけれど、復活する。大丈夫だからやりなさい!」
と言われても、即答はできませんでした。
私は「少し考えさせてください」とお答えするのがやっとでした。
猊下は「来年の10月にインドに来なさい」と私に仰いました。
「その時に公開サマーディをする」とは仰いませんでした。
翌年、私は色々あって、2か月遅れてインドに行きました。
猊下は私を見て「何故10月に来なかったのだ?我々は公開サマーディの準備をして貴方を待っていた。
しかしもう遅いのだ」と言うではありませんか!
私は猊下に言いました。
「だって猊下は公開サマーディをするとは仰らなかったじゃないですか!」
猊下は苦笑いをされました。
↓
私は座禅のしすぎで、半身不随になったのです。半身不随になってしまえば、公開サマーディーは出来ません。
あの時公開サマーディーをしておけばギリギリ間に合ったらしいのです。
もし、あの時私が遅れずにインドに行っていれば、私は「インド政府公認のサマーディヨギ」となっていたかも知れません。
しかし、私はすべてを受け入れました。
元々私はサンカルパ(意思・決断)の力で自由自在に真如(真実の世界)・サマーディの世界に往き来できるサンカルパ・サマーディヨギに到達したかっただけの思いで、ヒマラヤで240日間不眠断食座禅をした修行者です。
「世界に三人しかいないインド政府が公認するシッダマスター」と呼ばれることを求めて修行したわけではないので、すべてを受け入れることには、なんの問題もありませんでした。
猊下は、私にこう仰いました。
「貴方がサマーディを成就したことは認める。しかし、貴方はサンカルパ(意思)の力で、何時でもサマーディの世界に往き来できるステージには至っていない。そこまで行くように精進しなさい。修行しなさい!」
私は猊下のお言葉を素直に受け止めました。自分の現状に満足していれば、人は成長できません。メディテーターは欲を捨てますが、覚醒への欲だけは持ち続けねばなりません。
私は更なるステージのサマーディへの欲望があったので、猊下のお言葉を聞いて自分が否定されたとは思いませんでした。
↓
私は1989年に、Oshoコミューンでエンライトしていると認められ、最初のエソテリック・グループ(秘教グループ)の一員に選ばれました。
おかげでOshoコミューンでは二人しか貰えなかった特権を与えられ、良い思いもたくさんしました。
同時に、それを妬む自称メディーテーターの群衆から、さんざん足を引っ張られ、攻撃された嫌な思い出もあります。
私はそういう俗世間にうんざりしていました。私は猊下にこう申しました。
「世間と断絶して、一生ヒマラヤで瞑想を続けたいのです。利他行をしたい気持ちはあるのですが、自分を救えない人間に他人は救えません。
私自身、サマーディを成就したことを疑ってはいませんが、まだまだ修行半ばの未熟者です。
私は、若かりし頃より、利他行の世界にいました。環境保護、世界平和、一切衆生皆平等という考えを持ち、そのようなムーブメントにも参加しました。
でも、私には思うがごとく他者を助けることが出来ませんでした。だから今は、死ぬまで一人で瞑想したいのです。
サマーディを成就しても、エゴに支配され修行者の足を引っ張っている人間の世界が分かりません。
だから利他行の世界に戻るより、内側の世界に還りたいのです」
すると猊下は驚くべき回答を私にされました。それは唐突に思える回答でした。
↓
残りの2%の方がこの世界に戻る。
しかし、そのうち半分(全体の1%)の方はサマーディのショックで精神が狂ってしまう。
だから、覚者を見たければ精神病院に行きなさい。精神病院に覚者が一人くらいはいるよ!」
勿論、ユーモアを交えた仰り方だったと思います。パイロットババ猊下は私のサマーディ成就を認めてくださいました。
パイロットババ猊下はこう仰りたかったのでしょう。
『 サマーディを成就する時、肉体は死に、サトルボディー(微細体)で真如に還る。真如に往っても、還ってこられない人が98%だ。
1%の人たちはこの世界に還ってくるが、還ってきてもマインドは無くなり、傍目にはクックー(狂人)になる。
貴方は肉体の死を超え、この世界に還って来ることができた。
しかも、クックーにならずに戻ることができた稀な求道者だ。
だから人々にその功徳を回向してください 』
古代人の中には障害者を差別するのではなく、反対に敬う習慣が有ったのです。
洋の東西を問わずそういう思想があったのです。
古代人は一部のサマーディ成就者がクックーになることを覚者の教えにより知っていたのかもしれません。
だから、精神病患者や知的障害者をリスペクトしたのかもしれません。
もう一つ考えられることは、一見クックーに見える覚者が、シッディ(神通力=悉地と音写)を持っているため、リスペクトしたのでしょう。
私はサマーディを体験したからその事実が悟ります。
サマーディのある段階では、精神が壊れそうになるほどの恐怖の体験をします。
従って、覚醒した後にマインドが崩壊する方がいるとしても、私は不思議とは思いません。
↓
一人は、私の知り合いの、例の外国人でした。その人は、サマーディに至る途中のステージで留まり、サマーディ成就には至らなかったのです。
彼は、その体験について私に語りました。
「あの時は、もの凄い恐怖だった。何が何だか分からなかった。でも、あの体験後に、シッディーパワーを獲得しました」
シッディーパワーを得た彼は、自分がエンライトしたと思い込みました。
そして人々に宣言しました。そしておきまりの増上慢に陥りました。
パイロットババ猊下も、彼のサマーディ成就を認めていませんでした。
私は増上慢に陥れば、再び闇の世界に堕ちることを知っていますので、彼がそうならないように、彼の瞑想会への協力を申し出ました。
私は彼がサマーディを成就していない事を公言しないと約束しました。私は彼のために人を集め、参加費も出すと言いました。
人類覚醒のために、彼のワークに協力しようとしたのです。
しかし、彼は、私が彼のエンライトメントを肯定していないので、まずいと思ったのでしょう。或いは、自分の信者を取られると思ったのでしょうか?
とにかく、彼は私の協力を拒みました。
私にそんなつもりはまったくありませんでした。私は、組織運営が苦手だから、そんな気はありません。
ただ、私は覚醒を目指す人々に協力したかっただけでした。
↓
親鸞はこう仰りました。
『 つくべき縁あれば、ともない。
はなるべき縁あれば、はなるる 』
彼は、確かに良い体験をしました。あれは得難い神秘体験でした。しかし、サマーディ成就は遥かに先にあります。
その先に進んだ人たちが居ます。その先のステップに突き進んだ人たちが、この世界に還ってきて精神障害になる方も実際居るのです。
しかし、彼らのマインドが狂ったとしても、マインドは所詮マインドです。そんなものどうでも良いという考えもあります。
マインドが狂い「クレイジーババ」と呼ばれる覚者様たちのように、奇怪な行動をしても、彼らの本質は光です。
或いは、光を超えた仏陀のコンシャスネスです。
或いは、パイロットババ猊下のように、ブッディー(仏意識)を超えた意識です。
彼らの「解脱の光輪」は宇宙の果まで届き続けています。
貴方も心を空っぽにして、知的障害者、精神障害者と呼ばれる人たちに接してみてください。彼らを注意深く見てください。
彼らの魂はとても純粋ですよ!とてもとても光り輝いています。
でも彼らに利他行を求めても、成功するとは思えません。彼らはそういうタイプではないのです。そのような人たちに「慈愛がない。利他行をすべきだ」と責める人はいないでしょう。
そういうことなのです。
私とて自分自身を良く知っています。
私は、まだまだの人間だと自覚しています。
大学院生時代の私の恩師がこう語っています。
「出会わなければならないただ一人の人がいる。それは私自身」
「私自身」とは、アートマン(真我)だと思っています。恩師の考えている「私自身」と、私が捉えている「アートマンとしての私自身」とは異なるでしょう。でも、私はそう確信しています。
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釈尊はアートマン(真我)に出会わなかった筈がないのです。
釈尊はヒマラヤヨガの行者でした。
釈尊が、ヨガとアートマンを認めている経典もあります。
もしアートマンを確認していないなら、釈尊はニルバーナ(涅槃)を成就していないはずです。
しかし、猊下は
「釈尊は間違いなくニルバーナを成就していた」
と仰っています。
とすれば、釈尊がアートマンをノンアートマンと言い換えことには理由がある筈です。
サマーディーに至る為には、無心にならねばいけません。無心にも何段階もありますが、深い無心状態になって、初めてサマーディ世界の入り口に到達します。
そこからクンダリーニの上昇が起こります。
それは、通常理解されているクンダリーニの上昇とは全く違います。
この内容を総て話すことは禁止されています。
もし、貴方がそれらしき体験をしたのなら、パイロットババ猊下かヨグマタジ、或いは私にこっそり教えてください。
それが本物かそうでないかは直ぐに解ります。
クンダリーニの覚醒後に、『ヨーガ・スートラ』に書かれているような様々のサマーディのステージに至ります。
そこで貴方はアートマンに還るでしょう。
その世界の意識は、マインドの意識ではありません。
『ヨーガ・スートラ』でマインドと呼ぶのは超意識とか、超、超意識としてのマインドです。
瑜伽行唯識学派(ヨーガーチャーラ)で言うところの第七識のマナ識とか、第八識のアーラヤ識のような、高次の意識です。
六識(六感)のような、通常の意識ではありません。
そういう意味では、釈尊がアートマン(真我)ではなく、ノンアートマン(無我)と表現することは解ります。
釈尊は誤解されたアートマンの解釈をぶち壊すために、刺激的な言い方をしたのだと推測します。
↓
ダライ・ラマ法王はこうスピーチしました。
「ヒンドゥー教はアートマンと言い、仏教はノンアートマンと言う。これは大変な違いだ。でもそんな事知ったことか!私には関係がない。我々はヒンドゥーブラザーズだ」
そうなのです。確かに、仏教はヒンドゥー教の一派です。私は仏教とヒンドゥー教に、何の違いも見いだせません。
貴方がサマーディを成就すれば悟ります。
私は無我というより真我・アートマンと言ったほうが適切だと思っていますが、マインドが無いという意味では無心無我であるのは確かです。
アートマンとはマインドではないので、当然、無我と言えますが、何もないわけではなく『純粋観照者』はあるわけです。
アートマンとは通常のマインドでは無いのですから、そういう意味では、ノンアートマン(無我)なのです。
学者にとっては大問題でも、私にとっては、大した問題ではないのです。
サマーディを体験もしていないのに、頭でごちゃごちゃ考えても無意味です。
そこを喝破したダライ・ラマ法王は流石に偉大な覚者です。
Aum Namah Shivaay🙏
サンカルパヨガ・ファンデーション代表 スワミ・アディティヤナンダ
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マハヨギ・パイロット・ババジ猊下が説く「無心(No-mind)」とは、単に頭の中を空っぽにする根性論ではありません。
それは、「私は思考でも肉体でもない」という真理(サティヤ)に目覚めるための、極めて科学的な意識のシフトです。
猊下の英語圏の講話(Discourses)や教えに基づくと、無心に至るプロセスは以下のステップに集約されます。
① サークシー・バーヴァ(Sakshi Bhava:客観的な観察者になる)
最初のステップは、湧き上がる思考や感情を「コントロールしようとしない」ことです。
実践の本質:マインドを川の流れのようにただ眺めます。思考を止めようと格闘すると、逆にマインドは強化されてしまいます。
マスターの言葉:
「思考をジャッジせず、ただ見つめなさい。あなたが『観察者(チェータナ)』に徹するとき、思考はエネルギーを失って勝手に消え去る」と猊下は説きます。
② サンカルパの放棄(Dissolution of Sankalpa)
サンカルパとは「意図、願望、記憶、マインドの方向性」を意味します。
サンカルパヨガの真髄は、このサンカルパを完全に手放す(あるいは宇宙の意志に明け渡す)ことにあります。
エゴの死:
「何かを達成したい」「サマーディに入りたい」というエゴの欲求(サンカルパ)すらも消滅した時、マインドを動かす燃料がなくなります。
③ チェータナ(純粋意識)への沈潜思考の隙間(ギャップ)に意識を向けます。
思考と思考の間の「静寂」に深く留まることで、意識はマインドの領域を超え、宇宙の源(Source)へと帰還します。
これがパイロット・ババジ猊下の言う「マインドの死(Manonmani)」であり、真のサマーディ(無心)の入り口です。
サダナに入る前に「心」と「体」について言及する目的は、「サダカ(修行者)」に心と体の「クリヤ(一連の技法や実践)」を経験させることにあります。
あなたは、自身の「カルマ・シェトラ(行為の場)」である「サンサール(俗世・この世界)」に生きています。サンサールでの経験はあなたと共にあります。あなたは、この世界に生き、世俗的な義務を果たしながらも、内なる旅(霊的な旅)を始めたいと願っているのです。
現実の日々の世界と、霊的な世界という2つの世界のあいだに同調性(シンクロニシティ)を確立するためには、「体」と「世界」を重視しなければなりません。この世界に留まることによってのみ、人は「体」という媒体を通じて実験を行うことができるのです。
あなたはこの「サンサール」を理解すると同時に、霊的な旅にも出なければなりません。この「サンサール」は、あなたが「歓喜(エンジョイ)」と「苦悩(サファー)」の両方を経験するために存在しています。あなたにアイデンティティを与えてくれるのは、他ならぬこの「サンサール」なのです。
この世界はあなたの最終的な安住の地ではありません。それでもなお、極めて重要な場所なのです。あなたはこの「サンサール」に存在する自らの存在を通じて、「パラム・サッタ(至高の存在、絶対的な力)」を悟らねばなりません。「パラム・サッタ」は、「体」を通じてのみ認識することができるのです。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Guru Om 🙏💖🙏💖🙏💖🙏💖🙏
「ジャガット(宇宙・全宇宙の現象)」の認知は、「サンサール」を通じて行われます。「体」はあなたにアイデンティティを与えます。「心」と「体」を通じてのみ、「真我(セルフ)」を認知することができるのです。「体」がなければ、世俗的な「ボーガ(享楽や経験)」にふけることもできません。そして「体」がなければ、「真我」を認知することさえできないのです。
あなたは「ジャガット(宇宙)」と「パラム・タットヴァ(至高の原理)」を体得するために、これら2つの世界を互いに調和させ、適合させなければなりません。より正確に言うならば、あなたはこの「世界」に生きながらにして、「内なる旅」を成し遂げなければならないのです。”
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Guru Om 🙏💖🙏💖🙏💖🙏💖🙏
その偉大なヨギは私たちにこう語りかけた。
「ハリ・ババよ、ついに使命を果たしたのだな。旅人たちよ、ようこそ。我々は幾千年もの間、汝らを待っていた。物理的世界の伝統的な束縛を断ち切ることは、実に困難なことだ。ハリは幾多の生まれ変わりを経て、汝を追い求めてきた。今日、その粘り強い労苦がついに実を結んだのだ。
汝らが我々を探し求めることに忙しくしていたため、我々の出会いは遅れてしまった。汝がこの執拗な探求を諦め、自らの『真我』を悟る過程を始めたその日、ババは汝の前に現れたのだ。チッタ(心、意識)は、この世的な執着が止んだ後にのみ、平安を見出すことができる。
我々に情緒的な執着がある限り、誰もがこの上なく愛おしく思える。しかし、わずかな摩擦が生じた瞬間、その感情は変わってしまう。人間とは利己的な存在なのだ。愛が理想主義という台頭に置かれるとき、それは犠牲と献身を示す。しかし、その愛が執着を離れ、出家へと傾くとき、それは容赦なく非難される。出家の種は、情緒との決別の後にのみ蒔かれるのだ。魂の意識が人に目覚めるとき、その心はヴァイラーギャ(離欲、出家)へと向かい始める。
↓↓
『真我』の認識の境地がすぐに続き、それが最終的に神の認識へと結実するのだ。何千もの花が咲き誇るが、すべての花が神々を飾るわけではない。
サンスカーラ(潜在印象)を蘇らせ、プララブダ(現世に発現した業)を和らげることは、実に困難なことだ。この世界は市場のようなものだ。
ジーヴァ(個我)はこの世に幾度も幾度も生まれる。無邪気な少年のように、彼はいつも間違ったものを手に取ってしまい、母親によって幾度も正しいものを取りに行かされる。
この比喩は、人間の状況を実によく説明している。汝らは幾多の苦難に直面した末に、この段階に到達したのだ。
ハリ・ババと汝らとの縁は、幾多の生まれ変わりに及ぶ古きものだ。この私もまた、汝の到来を待ちわびていた」
彼は私たちにいくつかのお菓子を与え、その説話を締めくくった。手にお菓子を持ったまま、私たちは目の前にそびえ立つ洞窟へと入っていった。
ー マハヨギ パイロット ババ 著
「Discover Secrets of The Himalaya」より抜粋
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〈2〉
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〈3〉
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〈1~3〉
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〈3〉
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彼は永遠に若く、多くの異なる形態で現れる。クルマンチャル地区、またはクマオン、ヒマラヤの山脈、アルモラ、ナイニタル、ガルワル地区の地区を含むヒマラヤ山脈では、彼は非常に知られていて、ハアラク・ババという名前で知られる。這は彼の本名ではないが、ババジ・マハラジがハアラク・ババの森林の洞窟で現れるようになったから、この名前はこの地域の人々によって一般的に使われるようになった。其他地方では、彼はマハムニンドラ、シャリ・サダシュイヴァ、シャリ・サダシュイヴァ、マハヴァター、トラヤンバク・ババ、ババジ・マハラジなどとして知られる。
有人は彼を最初に、ヒムタル湖のダム建設の際に見た:彼はダムの労働者として働いていたが、当時彼が普通の人ではないと疑われて始めた。以前、ババジ・マハラジがこのダムを建設する際に何度も失敗したと言われているが、当時彼は成功的に完成させた。
サダシュルー、バジャン
CDと電子書籍J. Amba Edizioni
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ヨガはあなたのマインドや、あなたの魂にもメッセージを伝えており、そしてヨギはあらゆるものの源の母胎(Womb)である無(Nothingness)と呼ばれるその中心へと還ってゆくのです。
だからこそ、もしあなたが真理の探求者であるならば、必ず瞑想を行なってください。
ヨギは、無と呼ばれる中心へと帰還するのです。
瞑想とは、何もせず、何も生み出さず、何も観察(watching)しないことです。
気づき(awareness)すら無く、沈思黙考(contemplation)すらも無いのです。
それは完全なる自由であり、無限そのものです。
それは始まりであり、そして終わりでもあるのです。」
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Jai GuruDev Om 🙏💖🪷
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原文:
“Yoga has a message to your body.
Yoga has a message to your mind, to your soul and Yogi is coming back into that centre which is called Nothingness; Womb of everything.
So make sure that if you are seeker of truth you have to meditate.
Yogi is coming back into that centre, which is called Nothingness.
Meditation means doing nothing, creating nothing, watching nothing.
Even though having no awareness, not even contemplation.
It is total freedom, infinite.
It is a beginning and it is an end.”
ー Mahayogi Pilot Babaji
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いわゆるヨガ講師たちは、簡単に見つかるのである。彼らが誤って自らを『ヨギ』と称しているのは、実に残念なことである。ですから、クリヤ・ヨガの知識を有すると言える者はごくわずかしか存在しない。
クリヤ・ヨガは一定の法則に従っており、明確な定義がある。
そして、そのために特別な技法が設計されているのだ。普遍なる神ご自身がこれを説かれたのである。それは今なお、私たちのもとに安全に守られている。その貴重な技法を理解する偉大な聖者たちは、選ばれたヨギという媒介を通じて、この技法を社会へと伝えるのである。
これまで、これに関する信頼できる情報が本という形で書かれたことはなかった。何十年もの間、私はインド中を旅してきたが、クリヤ・ヨガに関心を寄せている人々がいるのを知り、驚かされた。私は何度もマハアヴァター・ババにこの問題の解決策を求めたが、そのたびに彼は笑って聞き流すのだった。
ある日、私は彼に『世界平和のための運動を始めたい』という提案を差し出した。彼は再び笑って、『時が熟すのを待ちなさい』と言った。そこで私はすべての活動をやめ、ヒマラヤへと戻ったのである。やがて、時の流れ(出来事の連鎖)が再び私を社会へと押し戻した。私のジレンマ(葛藤)を見たマハアヴァター・ババは微笑み、『進みなさい、私の祝福はあなたとともにある』と言ってくださった。
もともと私は詩や劇、小説を書くのが得意だった。しかし何十年もの間、私のペンは創作活動を生み出すことができなかった。執筆を通して何かを表現したいと望みながらも、ペンはいつも動くことを拒んだのだ。私にはその理由が分からなかった。私は自らのヒマラヤでの体験を分かち合い、クリヤ・ヨガについて書きたいと願っていた。
ある時、バゲシュワールのサリュ川のほとりに座っていた私は、ペンを取り上げた。すると、ペンは自然と滑らかに動き始めたのである」
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Guru Om 🙏🙏🙏
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ユーザー
菩提だる~
paNkA(2/9)
でおーに呪いをかけておいたよ!
誰かをディスらないと
100日後に死ぬって呪いを。
2026/07/25 18:43:34
大丈夫でしょw
クリヤヨガのプラーナ文献における歴史は次の通りである。まずシャンカル神がこの技法をパールヴァティに授けた。またラーヴァンとマールカンデーヤにもクリヤを伝授した。ラーヴァンはこれを悪用し、その結果として滅ぼされた。ラーマ神はグル・ヴァシシュト(ヴァシシュタ)からクリヤヨガを学んだ。ビーシュマ・ピターマハをはじめ、マハーバーラタに登場する他の人物たちもクリヤヨガを知っていた。クリヤヨガとは、思念のライヤ(調和)とヴィライヤ(崩壊)の科学、すなわち思念の上昇と下降の運動に関する科学である。それは人がサンカルピット・ヨガを認識する助けとなる。サンカルピット・ヨガを修得することによって、人は自らの意志のままに人生を送ることができる。しかし、その力をわずかでも誤用すれば、極めて破滅的な結果を招きかねない。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Jay GuruDev 🙏🙏🙏
サンカルパ・シャクティとは何ですか?
サンカルパ・シャクティは「レソ・ウィル」です。
レソ・ウィルは決意と意志と決意です。
それは、考えの振動を現実に現す決意、意志、決意によって生まれる力です。
ジェイ・ホ・グル・デヴ・マハヤオギ・パイロット・ババジ 🙏💝🙏💝🙏💝🙏💝🙏
クリヤヨガのプラーナ文献における歴史は次の通りである。まずシャンカル神がこの技法をパールヴァティに授けた。またラーヴァンとマールカンデーヤにもクリヤを伝授した。ラーヴァンはこれを悪用し、その結果として滅ぼされた。ラーマ神はグル・ヴァシシュト(ヴァシシュタ)からクリヤヨガを学んだ。ビーシュマ・ピターマハをはじめ、マハーバーラタに登場する他の人物たちもクリヤヨガを知っていた。クリヤヨガとは、思念のライヤ(調和)とヴィライヤ(崩壊)の科学、すなわち思念の上昇と下降の運動に関する科学である。それは人がサンカルピット・ヨガを認識する助けとなる。サンカルピット・ヨガを修得することによって、人は自らの意志のままに人生を送ることができる。しかし、その力をわずかでも誤用すれば、極めて破滅的な結果を招きかねない。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Jay GuruDev 🙏🙏🙏
サンカルパ・シャクティとは何ですか?
サンカルパ・シャクティは「レソ・ウィル」です。
レソ・ウィルは決意と意志と決意です。
それは、考えの振動を現実に現す決意、意志、決意によって生まれる力です。
ジェイ・ホ・グル・デヴ・マハヤオギ・パイロット・ババジ 🙏💝🙏💝🙏💝🙏💝🙏
瞑想とは、何もしないこと、何も創り出さないこと、そして何も追わないこと。
意識すら持たず、熟考することさえもない状態。
それは完全なる自由であり、無限そのもの。
それは始まりであり、終わりでもある。
なぜなら、瞑想とは「あなた」と「あなた自身」の間にある「ギャップ(隙間)」なのだから。
瞑想とは、魂とブラフマンとの間にある隙間なのだ。
瞑想の真髄とは、内側に思考のさざ波ひとつ立たないほど、深く静まり返ることにある。
私たちの手の中には、永遠のすべてがある。
始まりもなく、終わりもない。
いつか、どこかで、人は必ずブッダ(悟りし者)へと至る。
それはただ、
あなたが、あなた自身の中へと
深くくつろいでいくかどうかの問題なのだ。
いつか、どこかで、人は必ずブッダへと至る。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Jay GuruDevji 🙏🙏🙏
🌈🌈🌈
~ 隙間を埋めるのではなく、隙間が無になるのか~
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しかし、その多様な成就を得たとしても、人はそこにおいて、唯一なる形の投影(反映)を見る。クリヤ・ヨガの真実の全体を知っていると主張できる者は、誰一人としていない。
それでもなお、このヨガは偉大な科学(science)の一部である。その多くの分派は、世界中に広まっている。
求道者(Sadhaks)たちは、「自己」の顕現と「自己」の開発を助ける、数多くのスートラ(sutras)を考案してきた。
形而上学的次元の発見は、これらのスートラを通して可能となる。マハ・ヴィギヤン(Maha Vigyan)、すなわち偉大な科学の知識を受け取るには、それにふさわしい者でなければならない。
それゆえに、利用しうる分派はごくわずかしかない。残りの分派については、その意義への言及がなされるのみである。技法の大部分は、秘密として保たれている。
クリヤ・ヨガもまた、秘密の科学である。この偉大な科学の知識を受け取るには、自らの資質を証明しなければならない。
その時初めて、リシ(Rishis)やムニ(Munis)は、その資格ある者に、この精緻な科学の機微を教えるのである”
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Jay ho GuruDev 🙏💖🌹
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クリヤヨガのプラーナ文献における歴史は次の通りである。まずシャンカル神がこの技法をパールヴァティに授けた。またラーヴァンとマールカンデーヤにもクリヤを伝授した。ラーヴァンはこれを悪用し、その結果として滅ぼされた。ラーマ神はグル・ヴァシシュト(ヴァシシュタ)からクリヤヨガを学んだ。ビーシュマ・ピターマハをはじめ、マハーバーラタに登場する他の人物たちもクリヤヨガを知っていた。クリヤヨガとは、思念のライヤ(調和)とヴィライヤ(崩壊)の科学、すなわち思念の上昇と下降の運動に関する科学である。それは人がサンカルピット・ヨガを認識する助けとなる。サンカルピット・ヨガを修得することによって、人は自らの意志のままに人生を送ることができる。しかし、その力をわずかでも誤用すれば、極めて破滅的な結果を招きかねない。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
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↓
[2. クータスタ(眉間)への意識の集中]
↓
[3. 光の中に「ビンドゥ(星・一滴)」を感知](収斂の始まり)
↓
[4. 全エネルギーがその「点」へ100%凝縮](完全な収斂)
↓
[5. エゴの完全な明け渡し(死と再生)]
↓
[6. ビンドゥの通過 = 無限の空(サマーディ)への反転]
バーヴァ体(感情体)は愛に変容することができる。恐怖の間、人のエーテル体は収縮するが、愛の間は拡張する。愛には広がる能力があり、その中には救済の感覚が宿っている。しかし恐怖は圧縮の方法である。恐怖が生まれると、肉体に圧縮が作用する:人は臆病になり、全身が小さくなったように思える。しかしこれは真実ではない:肉体は変化せず、感情体だけが縮小するのである。
しかし徐々にそれは肉体にも作用し始める。なぜなら肉体、微細体、アストラル体の間には非常に密接な繋がりがあるからである。もしそれがなければ、人生における喜びへのアクセスは閉ざされてしまうだろう。このように、これら三つの体は互いによく結合されるべきである。
これを理解するためには、私たちは意識的でなければならない。人が自分の三つの体の状態を気にかけない限り、その人は普通の無意識な人のままである。そしてこれが、人々が肉体と他の体との間に関係を築くことができない主な理由である。
あなた方すべては、感覚を使い、完全な気づきをもって、すべての体を見守っていなければならない。何が起こっているかを理解せずに、思慮なく何かをしてはならない。
これを理解するためには、私たちは意識的でなければならない。人が自分の三つの体の状態を気にかけない限り、その人は普通の無意識な人のままである。そしてこれが、人々が肉体と他の体との間に関係を築くことができない主な理由である。
あなた方すべては、感覚を使い、完全な気づきをもって、すべての体を見守っていなければならない。何が起こっているかを理解せずに、思慮なく何かをしてはならない。
今日では、人生はあらゆることにおいて平凡になってしまった:食事、飲み物、睡眠、成長、動き、旅行、その他すべてのことにおいて。人生は日常的になり、それは一種の催眠状態であり、無意識や眠りの状態だと言える。もしあなたが第一の体(肉体)に注意を払わないなら、第二の体への気づきもないだろう。この肉体への軽視があれば、エーテル体やアストラル体への軽視もあるだろう。なぜならそれらはより微細だからである。見える体に関して気づきがないなら、見えない体に関してどうして気づきが現れるだろうか?観察と気づきなしには、それらの間に調和のとれた関係を築くことは不可能である。すべての区別と調和は、警戒と気づきによってのみ創り出される。
睡眠中、創り出されたすべてのバランスは破壊される。無意識においては、すべての関係が冷めてしまう。だからこそあなた方すべては、朝の最初から自分自身を調和のとれた状態に持っていく必要がある。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
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