【キリスト】気が向いたら書き込むvol.02【三位一体の神】アーカイブ最終更新 2023/10/13 19:081.神も仏も名無しさん0zyjI『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 (マタイ 22:37-38) 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。 わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。 (ガラテヤ 5:19-24) だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 (ルカ 9:23) もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。 (ヨハネの手紙第一 1:10) あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。 (マタイ 28:10)前スレ【キリスト】気が向いたら書き込む【三位一体の神】 https://talk.jp/boards/psy/16915062742023/09/26 12:58:311000すべて|最新の50件953.神も仏も名無しさんNjrky>>951ワロタw2023/10/13 13:29:01954.神も仏も名無しさんNjrky創造絶対主義、創造原理主義者としては、個を完全に近付けるものだけでこと足りるそれ以外は不要である、となる2023/10/13 13:31:08955.神も仏も名無しさんNjrkyキリスト教の神がない人の場合は成熟絶対主義、成熟原理主義となるw2023/10/13 13:31:35956.神も仏も名無しさんNjrkyつまり、キリスト者としては、仏陀に倣う人は、創造に連なる人、となるなぜなら、仏陀に倣うと成熟するしかないから2023/10/13 13:32:26957.夕Cchtv>>949接点よく保護すべし写すもの写しだせるもの2023/10/13 13:34:47958.神も仏も名無しさんNjrky保護っつーかゼロ地点なの自明すぎるほど自明なこと2023/10/13 13:37:20959.神も仏も名無しさんNjrky何も足さないし、何も引かない公理系の中の公理系で全ての人類が確実に直観できる唯一の物自体でもある2023/10/13 13:38:20960.神も仏も名無しさんNjrky確実に直観「できる」ではなく、「してる」か2023/10/13 13:39:24961.夕Cchtv>>958>自明すぎるほど自明なことなかなかできないものですよ2023/10/13 13:40:14962.神も仏も名無しさんNjrky>>961認識してなくてもそう「在る」から問題なし2023/10/13 13:42:39963.夕Cchtv今日は静かだ「無」2023/10/13 13:53:28964.神も仏も名無しさんNjrkyそれは相対主義、第四図の価値観ですな今日は騒々しい「無」と対になって初めて実存の表現になる2023/10/13 13:55:33965.夕Cchtv>>964確かに今日は静かだなを有為に取れば、相対あなたが、今日は静かだなといえば、この「無」は無為になる2023/10/13 13:59:22966.夕Cchtvおじゃました、じゃぁね😁おもしろかった2023/10/13 14:04:38967.神も仏も名無しさんNjrkyまたのー2023/10/13 14:05:52968.神も仏も名無しさんNjrky死人と他者についてすべての他者は<私>の世界の開闢であるこの世界の客観的な存在として私の前に現れる小説の中の登場人物の内面の描写を読んで他者の内面を知ることが出来たとしても、自分と他者の神経をつなげて、他者の痛みや想いを直接観ずることが出来たとしても、それでもその他者の本質は、<私>が開く世界の本質の一部として働くしかないので、それは<<他者>>の世界の開闢をうちがわから体験している、とはならず変わらず、<私>の世界の開闢として、他者の経験を私が味わっている、ということにしかならない2023/10/13 16:33:40969.神も仏も名無しさんNjrkyつまり、<私>の世界の開闢の世界の中で、私に対峙する他者の全ては、常に何らかの変換の中間媒体を経て、表象されるため、それ自体として在る、つまり物自体としての他者や事物に触れることは出来ない2023/10/13 16:36:33970.神も仏も名無しさんNjrky過去の自分の記憶、経験、表象を、<今=私>が想起する時、私は客体化され、他者と変わらない形式になる他者との違いは、それが記憶像であるのか、<私=今>の目の前の存在なのか、という点2023/10/13 16:38:38971.神も仏も名無しさんNjrky過去の自分は死人と同型であり、他者とも同型であるそれらの差異は、存在としての他者を前にしているか、記憶像や存在を欠いた他者を前にしているのか、という点2023/10/13 16:40:01972.神も仏も名無しさんNjrky存在を欠いた他者とは一体どういう意味なのか?存在を欠いてない他者は本当に存在を欠いてない、とどういう意味で言えるのか?2023/10/13 16:42:34973.神も仏も名無しさんNjrkyとある星の光を知覚し、あそこに星がある、と認識する時、その星が何万光年先の実在として既に消滅している時、ある意味では存在を欠いている星を、存在している星として認識していることになる2023/10/13 16:44:01974.神も仏も名無しさんNjrky存在している、していない、の根拠は視覚像の中にはない2023/10/13 16:44:22975.神も仏も名無しさんNjrky故人の写真を我々が見る時、その故人が故人であると知らないと仮定するとその故人は、存在するものとして我々は認識する2023/10/13 16:45:18976.神も仏も名無しさんNjrkyそれが生成系AIが作った画像の場合は、そもそも存在しないものを存在として認識することもある2023/10/13 16:45:54977.神も仏も名無しさんNjrky本質側のどこを探したとしても、どこまで行っても、それが本当に存在しているのか否か、という疑念は無くならないのではないか?2023/10/13 16:46:57978.神も仏も名無しさんNjrkyしかも、確実に存在する、と自信を持って言える<私>についても、実存は本質と何の関係とないのだから、存在する、と言い切る根拠にもならない2023/10/13 16:48:19979.神も仏も名無しさんNjrkyつまり、<私>ですら、存在しようがしてなかろうが、ただ在る、と言えるのみで、その存在を証明することは出来ない2023/10/13 16:48:56980.神も仏も名無しさんNjrky例えば、私が夜に散歩してたとするいつもの道をあるいていたら、普段通らない道に気付き、それを歩くそうすると初めて見る景色が現れ、そこを歩み続けると中世の街並みになり、ついに中世の城の前まで辿り着いたとする2023/10/13 16:50:27981.神も仏も名無しさんNjrkyこれは、<今>を生きている私が時空間の迷路に迷い込み、中世の時代になぜか入り込み、中世の街並みや城と出会った、というケース中世の景色は過去の景色であり、現代ではそれが失われているはずだが、なぜが街並みや城という存在を前にした時に、それは過去にあった存在だから、存在していない、とどういう意味で言い切れるのか?2023/10/13 16:52:31982.神も仏も名無しさんNjrkyそれは、存在している、と言えるのではないか?みたいな事態これは二つの意味で不気味だまず、私たちが存在すると考える他者や景色を作り出す事物が存在すると言える根拠のなさ、という不気味さと私という存在は<今>において常に中心化されているので、それが客観的過去や未来に時間軸がずれようが常に<今>として在るしかできない、という客観的な時制がぶっ壊れた在り方をしている、という不気味さ2023/10/13 16:56:21983.リダン◆iKlPp4IWRYD6PGw>>981真如と言うのは例えば先にニワトリが顕現するするとそのニワトリが生存するために必要なものを同時に顕現する(大地、水、その他生物、空気)真如が必要なものを辻褄を合わせてくる(※個人の体験です)そういった意味では今と刹那の数秒後の未来の間は悠久の時が横たわっている場合もありうる我々が見ている、本質はそれくらいあやふやである実存としての私もまたそれがそうであると言うのは認識のあやふやさを拭いきれないとも言える実存の実感、直感があったと認識するのは後付けに過ぎない2023/10/13 17:03:41984.神も仏も名無しさんKnq0C>>983キリスト教的には求めたら与えられるし、この地球の生命も条件が整ってから生まれますな2023/10/13 18:59:07985.神も仏も名無しさんKnq0C>>982の続きこの前者の不気味さは、実存にとっては死者と他人がほぼ同じ形で現れる、ということなんじゃないか?(存在してる、という根拠があるのが他者で、その根拠が持てない、もしくは明確にないのが死者であることは変わらないが)2023/10/13 19:02:23986.神も仏も名無しさんKnq0Cそろそろこのスレも終わるな2023/10/13 19:03:30987.神も仏も名無しさんKnq0C埋めようか2023/10/13 19:04:25988.神も仏も名無しさんKnq0Cこのスレは賑やかだった2023/10/13 19:04:36989.神も仏も名無しさんKnq0C独り言もいいけど、対話もよき2023/10/13 19:04:48990.神も仏も名無しさんKnq0Cただおバカとその愉快な仲間たちは対話が出来ない2023/10/13 19:05:08991.神も仏も名無しさんKnq0C馬鹿の縁と取り巻きはこのスレには招かれない2023/10/13 19:05:25992.神も仏も名無しさんKnq0Cなぜなら、成熟真理教(笑)としては、対話がないと発見がないし、成熟に寄与しないからだ2023/10/13 19:06:01993.神も仏も名無しさんKnq0Cあと8レスで埋まる2023/10/13 19:06:18994.神も仏も名無しさんKnq0C天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。2023/10/13 19:06:41995.神も仏も名無しさんKnq0Cみ国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。2023/10/13 19:06:54996.神も仏も名無しさんKnq0Cわたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。2023/10/13 19:07:07997.神も仏も名無しさんKnq0Cわたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。2023/10/13 19:07:19998.神も仏も名無しさんKnq0Cわたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。2023/10/13 19:07:34999.神も仏も名無しさんKnq0C国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。2023/10/13 19:07:471000.神も仏も名無しさんKnq0Cアーメン✝️2023/10/13 19:08:141001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/10/13 19:08:151002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/10/13 19:08:15
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
前スレ
【キリスト】気が向いたら書き込む【三位一体の神】
https://talk.jp/boards/psy/1691506274
ワロタw
個を完全に近付けるものだけでこと足りる
それ以外は不要である、となる
成熟絶対主義、成熟原理主義となるw
仏陀に倣う人は、創造に連なる人、となる
なぜなら、仏陀に倣うと成熟するしかないから
接点
よく保護すべし
写すもの写しだせるもの
自明すぎるほど自明なこと
公理系の中の公理系で
全ての人類が確実に直観できる唯一の物自体でもある
>自明すぎるほど自明なこと
なかなかできないものですよ
認識してなくてもそう「在る」から問題なし
「無」
今日は騒々しい
「無」
と対になって初めて実存の表現になる
確かに今日は静かだな
を有為に取れば、相対
あなたが、今日は静かだなといえば、
この「無」は無為になる
おもしろかった
すべての他者は<私>の世界の開闢であるこの世界の客観的な存在として私の前に現れる
小説の中の登場人物の内面の描写を読んで他者の内面を知ることが出来たとしても、自分と他者の神経をつなげて、他者の痛みや想いを直接観ずることが出来たとしても、
それでもその他者の本質は、<私>が開く世界の本質の一部として働くしかないので、それは<<他者>>の世界の開闢をうちがわから体験している、とはならず
変わらず、<私>の世界の開闢として、他者の経験を私が味わっている、ということにしかならない
他者との違いは、それが記憶像であるのか、<私=今>の目の前の存在なのか、という点
それらの差異は、存在としての他者を前にしているか、記憶像や存在を欠いた他者を前にしているのか、という点
存在を欠いてない他者は本当に存在を欠いてない、とどういう意味で言えるのか?
その星が何万光年先の実在として既に消滅している時、
ある意味では存在を欠いている星を、存在している星として認識していることになる
その故人は、存在するものとして我々は認識する
いつもの道をあるいていたら、普段通らない道に気付き、それを歩く
そうすると初めて見る景色が現れ、そこを歩み続けると中世の街並みになり、ついに中世の城の前まで辿り着いたとする
中世の景色は過去の景色であり、現代ではそれが失われているはずだが、なぜが街並みや城という存在を前にした時に、それは過去にあった存在だから、存在していない、とどういう意味で言い切れるのか?
これは二つの意味で不気味だ
まず、私たちが存在すると考える他者や景色を作り出す事物が存在すると言える根拠のなさ、という不気味さと
私という存在は<今>において常に中心化されているので、それが客観的過去や未来に時間軸がずれようが常に<今>として在るしかできない、という客観的な時制がぶっ壊れた在り方をしている、という不気味さ
真如と言うのは
例えば先にニワトリが顕現する
するとそのニワトリが生存するために必要なものを同時に顕現する(大地、水、その他生物、空気)
真如が必要なものを辻褄を合わせてくる(※個人の体験です)
そういった意味では今と刹那の数秒後の未来の間は悠久の時が横たわっている場合もありうる
我々が見ている、本質はそれくらい
あやふやである
実存としての私もまたそれがそうであると言うのは認識のあやふやさを
拭いきれないとも言える
実存の実感、直感があったと認識するのは後付けに過ぎない
キリスト教的には求めたら与えられるし、この地球の生命も条件が整ってから生まれますな
この前者の不気味さは、実存にとっては死者と他人がほぼ同じ形で現れる、ということなんじゃないか?
(存在してる、という根拠があるのが他者で、その根拠が持てない、もしくは明確にないのが死者であることは変わらないが)
み名が聖とされますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
今日もお与えください。
わたしたちも人をゆるします。
悪からお救いください。
プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。
広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。
是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!
▼プレミアムサービスはこちらから
https://talk.jp/premium