【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ851【talk掲示板】アーカイブ最終更新 2023/10/16 20:521.鹿野園◆00MWura8lSZFLsRu9【ここはtalk掲示板 心と宗教 総合掲示板です】悟りをひらいた・霊的に生まれ変わったと思う人。悟りをひらきたい・霊的に生まれ変わりたいと思う人。悟りや霊性に対して懐疑・批判的な人。宗教・宗派を超えて皆さん大歓迎!!でも、否定されても発狂しないでね💕前スレ【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ850【talk掲示板】 https://talk.jp/boards/psy/1694380324各論について以下の通り展開しております。既に解決済の項目もありますがご参照までに。<各論スレ> 般若心経の「照見五蘊皆空」の意味について https://talk.jp/boards/psy/1691499457 四禅の属界について考察するスレ https://talk.jp/boards/psy/1694416637 【仏教の煩瑣哲学】阿毘達磨倶舎論に付いて【世親著】 https://talk.jp/boards/psy/1694756671 【唯識論】阿頼耶識と末那識の基本的考察【法相宗】 https://talk.jp/boards/psy/1694758403 【建撕記】「本来本法性、天然自性身」という疑問について【道元】 https://talk.jp/boards/psy/1694849007 【仏教要語】色(rūpa)について【語義とその変遷】 https://talk.jp/boards/psy/16954497922023/09/24 21:48:571000すべて|最新の50件953.リダン◆iKlPp4IWRYKBvIv>>952妄想の類だよでも本人からしたら真なんだ2023/10/16 17:21:02954.神も仏も名無しさんAChMo四分は分かるし、末那識まで見分と相分が分かれるのも分かるだけど阿頼耶識における見分が感覚としてよく分からないそれの分からなさは地球を実存と捉えることと同じカテゴリーの分からなさだこの阿頼耶識における見分について説明されてるテキストってあるのかしら2023/10/16 19:16:22955.神も仏も名無しさんAChMo例えば、過去生を超えたひと塊りとしての見分があったとしても、それを指してるなら、なにか納得できないところが残るそれだと末那識の見分と変わらないじゃないか、となってしまう2023/10/16 19:26:07956.神も仏も名無しさんAChMo一方で個別性を排して世界(時空を超えたもっとも広大な心とかでもいい)そのものとしての見分だ、とか言われてもその場合も相分、つまり外があるわけだから、個別性の原則内なのだから、それは末那識とどう違うのか、となってしまう2023/10/16 19:28:35957.神も仏も名無しさんAChMo「私」が客観的な世界の私を指していようが、主観的な世界の私を指していようが、その私とは内容を持ち、それがこの私の内容であろうが、地球という内容であろうが、私であることは変わりない(仮に地球に実存があり、それが私だったとしたら、という前提だったとしても)また、その実存である地球の過去と未来の全ての存在が重なり、それら総体に統覚の元で見分があったとしても同じ話し2023/10/16 19:32:04958.神も仏も名無しさんAChMoこの疑問をクリアにするためには、阿頼耶識の見分が具体的にどんなものを意味しているのか、言語で表象出来なかったとしても、何らかの形でそれを指し示すことが出来ないと単純に事態、概念として腹落ち出来ない2023/10/16 19:33:26959.神も仏も名無しさんAChMo眼識の見分とは、見るという働きそのものに在る状態阿頼耶識の場合ではら阿頼耶識という働きそのものに在る状態である時、はたらくものと、はたらかれるものがなければならないのだから限定された阿頼耶識そのものとしてはたらく時、はたらかれるものは一体なんになるのか、何を意味しているのかいろいろと不明だ2023/10/16 19:37:15960.神も仏も名無しさんAChMo見分と相分の話だと、そこが今のところ一番気になる2023/10/16 19:37:51961.栖雲◆dqam8SqGUPdmadafj見分=自体分。なので眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識それぞれが見分となります。そして、相分は以下の通り前五識 それぞれの境第六識 一切法末那識 第八識の見分阿頼耶識 種子、器世間(宇宙)、有根身(肉体)の五境2023/10/16 19:52:41962.栖雲◆dqam8SqGUPdmadafj前五識 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識対境 色境・声境・香境・味境・触境2023/10/16 19:54:48963.神も仏も名無しさんAChMoうん、見分となるのは定義として知ってるけど、阿頼耶識の見分を体験として知らないから、それが具体的にどういう状態なのかって説明してるテキストはないかって話してるわけ2023/10/16 20:03:21964.糖質ですが◆/dRpTBnZTC3yg58hhインド哲学においては「ポットから水をどのように出すかが大事」と「女」=水は表現された。皇太子のライフワークが「水」であることが知られ、秋篠宮のライフワークである「鶏」も女を意味した。各人が帝王学は学ばされていたが、天下人になるためには「法」を知らなければならなかった。2023/10/16 20:05:23966.栖雲◆dqam8SqGUPdmadafj>>963阿頼耶識は「不可知の領域(『唯識三十頌』)」なのでありません。2023/10/16 20:07:45967.神も仏も名無しさんAChMo仏教ってのは「当たり前」と思われている部分に光をあてて解体してゆきますな唯識もそういう論の体系だが、その論の体系に慣れると、当たり前となり、それは内容がないのと同じことになるそこで終わるならつまらない定義しか残らない2023/10/16 20:08:33968.神も仏も名無しさんAChMoちなみに阿頼耶識は不可知だが、それでも阿頼耶識は言葉で説明されているとなると、阿頼耶識の見分も同様に言葉で説明し得る、となるのは必然ですなそういうテキスト知ってる人いないかなー2023/10/16 20:09:53969.ミスターGkHX9J鉄眼道光の『仮字法語』は禅の入門用に分かりやすく書かれたものだけどそこに八識、阿頼耶識に到達したようすが書かれてた記憶2023/10/16 20:13:13970.ミスターGkHX9Jあるいははじめ終わり澄みわたりて、善悪の念もおこらず、無記の心にもならず、はれたる秋の空のごとく、とぎたる鏡を台にのせたるがごとく、心虚空にひとしくして、法界むねのうちにあるがごとくおぼえて、そのむねのうちのすずしき事、たとえていうべきようもなくおぼゆる事あり。これははや坐禅を過半成就せるすがたなり。これを禅宗にては打成一片といい、または一色辺といい、大死底の人ともいい、普賢の境界ともいう。2023/10/16 20:14:42971.糖質ですが◆/dRpTBnZTC3yg58hh女が男の乳首をしゃぶったら「男の声」が聞こえるようになるらしいね(幻聴)。男の乳首をしゃぶるのは避けた方がいいかもしれない。https://youtu.be/Mxy764BAV18?si=zZNs9gv3SVw-7Z5D緑の少女2023/10/16 20:15:17972.ミスターGkHX9Jかようの事しばらくもあれば、初心の人ははやさとりて、釈迦達磨にもひとしきかと思えり。これ大いなるあやまりなり。かくのごとくなりたる時はこの第五の識蘊という。これはいまだ仏祖の内証を知らず、一心の根源にいたらざる人なり。仏教の中の阿羅漢、辟支仏の入るところの定、さとるところの果も、またただこのうちにありといえり。これみな、見聞覚知の分別をはなれて、無念無心なるところをさして仏も祖師もかくのごとくのたまえり。無念無心にして晴れたる空のごとくなるところは、衆生の第八識とて、三界六道の迷いをつくりだせる根本なり。2023/10/16 20:16:10973.ミスターGkHX9J三界唯識と仏の説きたまうはこの義なり。また第八識は根身、種子、器界を縁ずといえるもこの事なり。また楞厳経に陀那は微細の識なり。習気暴流を成ず。真と非真と迷わん事をおそれて我れつねに開演せずと説きたまえり。この識まことの本心に似て、また本心にてはなきゆえに、おろかなるものに向かっては容易には仏も説きたまわず。この識は全体本心なれども、無明の眠りつきたるゆえに、すなわち本心とはいいがたし。本心とはいいがたけれども、またもろもろの妄想は、はやさりてなきところなれば、一向の迷いにてもなし。もし修行の人、このところへゆきつきなば、いよいよ精を出して修行すべし。やがてまことのさとりのあらわるべきなり。2023/10/16 20:17:27974.神も仏も名無しさんIiSgW>>953自分から妄想して敵を作ったらそりゃあつらいよ妄想なら、妄想するのを辞めれば済む話のようにも思うんだけどな2023/10/16 20:19:52975.ミスターGkHX9J以上のが八識に到達した様子で次に解脱、成道に至る様子が書かれてる2023/10/16 20:25:02976.神も仏も名無しさんAChMo>>975ありがとんちゃんと読んだけどこれでは分からんな、、、2023/10/16 20:26:13977.ミスターGkHX9J妄想の闇ははれぬれども、いまだこのところにてはなきぞと心得て、すておきもせず、またよろこびもせず、さとりをまつ心もなく、ただ無念無心にしてひたとつとめ行けば、忽然として真実のさとりあらわれて、万法を照らす事、百千の日輪の一度に出でたまうがごとし。これを見性成仏ともいい、大悟大徹とも名づけ寂滅為楽ともいえり。2023/10/16 20:26:49978.ミスターGkHX9Jこの時三世の諸仏に一時に対面し、釈迦達磨の骨髄を知り、一切衆生の本性を見、天地万物の根源に徹す。そのよろこばしきことたとえていうべきようなし。このゆえに楞厳の中には浄きわまりて光通達す。寂照に虚空を含む。かえり来て世間を見れば、なお夢中の事のごとしといえり。このさとりひらけぬれば、大地虚空のことごとく法性法身の、寂照不二の体にして、森羅万象一物として、わが本心にあらざるものなし。このゆえに楞厳には見も見縁も現前の境に似たれども、本よりわが覚明なりといえり。2023/10/16 20:27:39979.ミスターGkHX9J見とは、わが六根の中の眼のひとつをあけて余の五根を知らしむ。見縁とは、六塵の境界、一切万法なり。これわが身も万法も唯一の本心、妙覚明の体なる事を説きたまえり。これを大地を変じて黄金となし、長河を攪て酥酪となすという。これ真実の極楽世界なり。2023/10/16 20:28:13980.神も仏も名無しさんIiSgWそもそもなぜ再現させるのか再現するのがつらいなら再現させるのを辞めればいい即ち、妄想を辞めればいい2023/10/16 20:31:15981.神も仏も名無しさんAChMo書かれるものだから一切が相分になるのは致し方ないが、阿頼耶識の見分を語ってる内容は…あるわけないかw2023/10/16 20:33:02982.ミスターGkHX9J瑜伽行唯識だから、どうしても「行」を前提に書かれてるものだからなこれはどの仏教でも変わらないが、言葉で書かれたものを前提にして理解しようとするものとは違うってところがある2023/10/16 20:36:12983.神も仏も名無しさんAChMo少しやりとりして理解したのが、そもそも眼識の見分、もおそらく書かれてないはずだから、眼識の見分は「見てるもの(人)」と理解されてるはずで「見る働きそのもの」みたいに捉えている人がどうも少ないのではないか、という仮説を持っただから、「阿頼耶識の働きそのもの」を知りたい、という疑問自体の意味が分からないのではないか、と思ってしまう2023/10/16 20:38:52984.ミスターGkHX9J「妄想の闇」が晴れたのが八識に到達したってされてるから善悪も無記も、つまりは全ての人として認めてるものが消えて一切万法と一つ(内外打成一片)になった、とかそういう状態なんだろう人が認めてるものが解消されてるからほぼ「生死」(人が認めてるもの)も解決はされてるが、ここにとどまってはいけない間違いやすいと書かれてる2023/10/16 20:41:29985.神も仏も名無しさんAChMo書かれたものを足場にして体験を擬似的に再現するって感じですなそういう質問だったんだけど、質問自体が理解されてないところを踏まえると、確かに言葉に書かれているものを前提にして理解するものとは違うって分かりますた2023/10/16 20:42:22986.アハさんパシル語がイヌケリアゲ~♪大爆笑( ゚∀ ) ワアハ八 / \ / \0W8Qh /) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!ぶっとい事だけ書き込め! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /2023/10/16 20:42:39987.神も仏も名無しさんAChMo>>984その状態はその状態でしかなく、阿頼耶識そのものなる、との間には跳躍がありすぎると思うんだ2023/10/16 20:43:21988.神も仏も名無しさんAChMo入口の状態で八識に跳躍なんてするはずがない、となってしまう2023/10/16 20:44:17989.ミスターGkHX9J>>985いやいやそうではないんですよ「足場にする」ものがあったら、それは「足場にしたもの」っていう、つまりは「意」の上で操作してることになるそうではないんです2023/10/16 20:44:40990.神も仏も名無しさんAChMo>>989ではなぜ、仏教徒は仏教の智慧を必要とするのだろう?2023/10/16 20:45:20991.ミスターGkHX9J>>987阿頼耶識は現象の根源とされますでもどうして現象の根源が阿頼耶識で、また人の認めてるものが消えた状態が「阿頼耶識に到達した」と言えるのはここは解脱しないと分からないとかそんなのだと思います2023/10/16 20:46:24992.神も仏も名無しさんAChMoこういうのも思考停止の常套句だハイコンテキストなコミュニティはしばしばそういった現象が頻発する2023/10/16 20:46:34993.ミスターGkHX9J>>990言葉で語られた仏教の教えは「方便」とされます筏のたとえでもあるように、一面として「余計ごと」「ウソ」とも言われることがあります2023/10/16 20:47:49994.神も仏も名無しさんAChMo>>991阿頼耶識とは種子と器界と体性五境でそ?僕が言ってるのは、それそのものになる、という事態がイメージできないってこと2023/10/16 20:48:36995.神も仏も名無しさんAChMo>>993方便はそれそのものではもちろんないけど、具体的な状態を指し示す指ではあるわけだろ?2023/10/16 20:49:24996.ミスターGkHX9J人は、人が認めてるもの、頭の中のものを無自覚にも「実在である」としてそれにとらわれ迷ってるとされますそれを、「仏教の教え」という言葉で語られたもの(つまりは頭の中のもの)で取り除く「頭の中のもの」っていう「ウソ」を「仏教」という「ウソ」で掃除するって風に説明すると分かりやすいかな2023/10/16 20:50:46997.神も仏も名無しさんAChMo仏教は相分しか書かれてないようだ、とわけどすなだから実存のことが分からなくなる周知の事実から始めてるから、土台のところで誤謬が生まれやすい構造になっているようだ2023/10/16 20:51:17998.神も仏も名無しさんAChMoうん、実在を取り除くのはそんなに大変な作業ではないだからそんな入口のどうでもいいことと阿頼耶識そのものになることは、私の中では繋がらない2023/10/16 20:52:09999.神も仏も名無しさんAChMoこのスレが終わってしまう2023/10/16 20:52:201000.神も仏も名無しさんAChMo無知の知やで2023/10/16 20:52:421001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/10/16 20:52:421002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/10/16 20:52:42
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既に解決済の項目もありますがご参照までに。
<各論スレ>
般若心経の「照見五蘊皆空」の意味について
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四禅の属界について考察するスレ
https://talk.jp/boards/psy/1694416637
【仏教の煩瑣哲学】阿毘達磨倶舎論に付いて【世親著】
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【唯識論】阿頼耶識と末那識の基本的考察【法相宗】
https://talk.jp/boards/psy/1694758403
【建撕記】「本来本法性、天然自性身」という疑問について【道元】
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【仏教要語】色(rūpa)について【語義とその変遷】
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妄想の類だよ
でも本人からしたら真なんだ
だけど阿頼耶識における見分が感覚としてよく分からない
それの分からなさは地球を実存と捉えることと同じカテゴリーの分からなさだ
この阿頼耶識における見分について説明されてるテキストってあるのかしら
それだと末那識の見分と変わらないじゃないか、となってしまう
(仮に地球に実存があり、それが私だったとしたら、という前提だったとしても)
また、その実存である地球の過去と未来の全ての存在が重なり、それら総体に統覚の元で見分があったとしても同じ話し
阿頼耶識の場合ではら阿頼耶識という働きそのものに在る状態
である時、はたらくものと、はたらかれるものがなければならないのだから
限定された阿頼耶識そのものとしてはたらく時、はたらかれるものは一体なんになるのか、何を意味しているのか
いろいろと不明だ
なので眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識それぞれが見分となります。
そして、相分は以下の通り
前五識 それぞれの境
第六識 一切法
末那識 第八識の見分
阿頼耶識 種子、器世間(宇宙)、有根身(肉体)の五境
対境 色境・声境・香境・味境・触境
皇太子のライフワークが「水」であることが知られ、
秋篠宮のライフワークである「鶏」も女を意味した。
各人が帝王学は学ばされていたが、天下人になるためには「法」を知らなければならなかった。
阿頼耶識は「不可知の領域(『唯識三十頌』)」なのでありません。
唯識もそういう論の体系だが、その論の体系に慣れると、当たり前となり、それは内容がないのと同じことになる
そこで終わるならつまらない定義しか残らない
となると、阿頼耶識の見分も同様に言葉で説明し得る、となるのは必然ですな
そういうテキスト知ってる人いないかなー
そこに八識、阿頼耶識に到達したようすが書かれてた記憶
これははや坐禅を過半成就せるすがたなり。
これを禅宗にては打成一片といい、または一色辺といい、大死底の人ともいい、普賢の境界ともいう。
男の乳首をしゃぶるのは避けた方がいいかもしれない。
https://youtu.be/Mxy764BAV18?si=zZNs9gv3SVw-7Z5D
緑の少女
これ大いなるあやまりなり。
かくのごとくなりたる時はこの第五の識蘊という。
これはいまだ仏祖の内証を知らず、一心の根源にいたらざる人なり。
仏教の中の阿羅漢、辟支仏の入るところの定、さとるところの果も、またただこのうちにありといえり。
これみな、見聞覚知の分別をはなれて、無念無心なるところをさして仏も祖師もかくのごとくのたまえり。
無念無心にして晴れたる空のごとくなるところは、衆生の第八識とて、三界六道の迷いをつくりだせる根本なり。
また第八識は根身、種子、器界を縁ずといえるもこの事なり。
また楞厳経に陀那は微細の識なり。習気暴流を成ず。真と非真と迷わん事をおそれて我れつねに開演せずと説きたまえり。
この識まことの本心に似て、また本心にてはなきゆえに、おろかなるものに向かっては容易には仏も説きたまわず。
この識は全体本心なれども、無明の眠りつきたるゆえに、すなわち本心とはいいがたし。
本心とはいいがたけれども、またもろもろの妄想は、はやさりてなきところなれば、一向の迷いにてもなし。
もし修行の人、このところへゆきつきなば、いよいよ精を出して修行すべし。
やがてまことのさとりのあらわるべきなり。
自分から妄想して敵を作ったらそりゃあつらいよ
妄想なら、妄想するのを辞めれば済む話のようにも思うんだけどな
次に解脱、成道に至る様子が書かれてる
ありがとん
ちゃんと読んだけどこれでは分からんな、、、
これを見性成仏ともいい、大悟大徹とも名づけ寂滅為楽ともいえり。
そのよろこばしきことたとえていうべきようなし。
このゆえに楞厳の中には浄きわまりて光通達す。
寂照に虚空を含む。
かえり来て世間を見れば、なお夢中の事のごとしといえり。
このさとりひらけぬれば、大地虚空のことごとく法性法身の、寂照不二の体にして、森羅万象一物として、わが本心にあらざるものなし。
このゆえに楞厳には見も見縁も現前の境に似たれども、本よりわが覚明なりといえり。
見縁とは、六塵の境界、一切万法なり。
これわが身も万法も唯一の本心、妙覚明の体なる事を説きたまえり。
これを大地を変じて黄金となし、長河を攪て酥酪となすという。
これ真実の極楽世界なり。
再現するのがつらいなら再現させるのを辞めればいい
即ち、妄想を辞めればいい
これはどの仏教でも変わらないが、言葉で書かれたものを前提にして理解しようとするものとは違うってところがある
だから、眼識の見分は「見てるもの(人)」と理解されてるはずで「見る働きそのもの」みたいに捉えている人がどうも少ないのではないか、という仮説を持った
だから、「阿頼耶識の働きそのもの」を知りたい、という疑問自体の意味が分からないのではないか、と思ってしまう
善悪も無記も、つまりは全ての人として認めてるものが消えて
一切万法と一つ(内外打成一片)になった、とかそういう状態なんだろう
人が認めてるものが解消されてるから
ほぼ「生死」(人が認めてるもの)も解決はされてるが、ここにとどまってはいけない間違いやすいと書かれてる
そういう質問だったんだけど、質問自体が理解されてないところを踏まえると、確かに言葉に書かれているものを前提にして理解するものとは違うって分かりますた
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その状態はその状態でしかなく、阿頼耶識そのものなる、との間には跳躍がありすぎると思うんだ
いやいやそうではないんですよ
「足場にする」ものがあったら、それは「足場にしたもの」っていう、つまりは「意」の上で操作してることになる
そうではないんです
ではなぜ、仏教徒は仏教の智慧を必要とするのだろう?
阿頼耶識は現象の根源とされます
でもどうして現象の根源が阿頼耶識で、また人の認めてるものが消えた状態が「阿頼耶識に到達した」と言えるのは
ここは解脱しないと分からないとかそんなのだと思います
ハイコンテキストなコミュニティはしばしばそういった現象が頻発する
言葉で語られた仏教の教えは「方便」とされます
筏のたとえでもあるように、一面として「余計ごと」「ウソ」とも言われることがあります
阿頼耶識とは種子と器界と体性五境でそ?
僕が言ってるのは、それそのものになる、という事態がイメージできないってこと
方便はそれそのものではもちろんないけど、具体的な状態を指し示す指ではあるわけだろ?
それを、「仏教の教え」という言葉で語られたもの(つまりは頭の中のもの)で取り除く
「頭の中のもの」っていう「ウソ」を「仏教」という「ウソ」で掃除するって風に説明すると分かりやすいかな
だから実存のことが分からなくなる
周知の事実から始めてるから、土台のところで誤謬が生まれやすい構造になっているようだ
だからそんな入口のどうでもいいことと阿頼耶識そのものになることは、私の中では繋がらない
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