千葉・市川市、永井荷風文学賞創設へアーカイブ最終更新 2024/08/30 14:571.番組の途中ですが転載は禁止ですGGHaz東京新聞 2024年8月28日 07時31分 千葉県市川市は27日、小説家で名誉市民の永井荷風(1879~1959年)にちなんだ文学賞を創設すると発表した。市制施行90周年事業の一環で、本年度補正予算案に関連経費100万円を計上。 …永井荷風文学賞は、永井が初代編集主幹を務めた「三田文学会」と共催する。永井の功績をたたえるとともに、若手文学者の発掘を目的に掲げている。市によると、開催概要は今後詰めるが、小説、随筆、詩、評論など幅広いジャンルから募集する。 「永井荷風文学賞」と「永井荷風新人賞」(各1点、いずれも仮称)を設け、賞金も贈る。過去1年間に出版された書物を対象とし、来年10月ごろ、第1回受賞作品を発表する予定という。詳細は以下市川市、永井荷風文学賞創設へ 補正予算案計上 人工干潟の造成もhttps://www.tokyo-np.co.jp/article/3502042024/08/30 13:49:226すべて|最新の50件2.la petite neigeKqsMr千葉県市川市からこんなの出されて荷風さんは嫌がらせだと思うだろうなしかも三田文学と共催(笑永井さんは三田で暫くフランス語フランス文学を教えたけど、慶應が出す弁当が貧乏くさくて不味いと言って辞めてしまったのです2024/08/30 14:13:003.番組の途中ですが転載は禁止ですfvWtb上から読んでも市川市下から読んでも市川市2024/08/30 14:14:524.番組の途中ですが転載は禁止ですLgu9v浮谷東次郎文学賞にしろよ中高生あたりを対象にしてさ2024/08/30 14:30:225.la petite neigeKqsMrわたしが一番好きな日本人は永井荷風です彼は若いころは遊んでばかりいて大学へは行かず、でもパリに憧れてフランス語を勉強し、お父さんが政府高官で、そのコネでアメリカへ出して貰った(一応仕事で)アメリカには4年くらいいて、その帰りにパリに行かせて貰って1年ばかりいた荷風さんにとってその一年だけが「本当に生きた」時間だったんでしょう骨身にしみてわかります日本に帰ってからは日本の悪口ばかり言って(わたしのようだ)、付き合う女は芸者や娼婦、書くのもそういう世界の話ばかりでした東大には三島由紀夫がおり、早稲田には寺山修司がいたでも慶應には先生だけど荷風さんがいた(遠藤周作もいたけどね。あの人は日本に帰ったら慶應に戻って先生になるつもりだったから、そうなっていたらわたしのゼミの先生だったろうと思います)2024/08/30 14:49:456.la petite neigeKqsMrあ、そうだ小説はそういう女の話ばかりだったけど(それも面白いけど)、随筆は江戸からの東京の風景の話が多く、すごくいいです2024/08/30 14:57:46
紀藤正樹弁護士「兵庫県知事選で稲村陣営に対しデマを流した人は早く自首した方がいい。自分は大丈夫”と思ってもいきなり家宅捜索/逮捕されてます。家族にも知られます」ニュー速(嫌儲)64398.22024/12/21 23:05:20
千葉県市川市は27日、小説家で名誉市民の永井荷風(1879~1959年)にちなんだ文学賞を創設すると発表した。市制施行90周年事業の一環で、本年度補正予算案に関連経費100万円を計上。
…永井荷風文学賞は、永井が初代編集主幹を務めた「三田文学会」と共催する。永井の功績をたたえるとともに、若手文学者の発掘を目的に掲げている。市によると、開催概要は今後詰めるが、小説、随筆、詩、評論など幅広いジャンルから募集する。
「永井荷風文学賞」と「永井荷風新人賞」(各1点、いずれも仮称)を設け、賞金も贈る。過去1年間に出版された書物を対象とし、来年10月ごろ、第1回受賞作品を発表する予定という。
詳細は以下
市川市、永井荷風文学賞創設へ 補正予算案計上 人工干潟の造成も
https://www.tokyo-np.co.jp/article/350204
しかも三田文学と共催(笑
永井さんは三田で暫くフランス語フランス文学を教えたけど、慶應が出す弁当が貧乏くさくて不味いと言って辞めてしまったのです
下から読んでも市川市
中高生あたりを対象にしてさ
彼は若いころは遊んでばかりいて大学へは行かず、でもパリに憧れてフランス語を勉強し、お父さんが政府高官で、そのコネでアメリカへ出して貰った(一応仕事で)
アメリカには4年くらいいて、その帰りにパリに行かせて貰って1年ばかりいた
荷風さんにとってその一年だけが「本当に生きた」時間だったんでしょう
骨身にしみてわかります
日本に帰ってからは日本の悪口ばかり言って(わたしのようだ)、付き合う女は芸者や娼婦、書くのもそういう世界の話ばかりでした
東大には三島由紀夫がおり、早稲田には寺山修司がいた
でも慶應には先生だけど荷風さんがいた(遠藤周作もいたけどね。あの人は日本に帰ったら慶應に戻って先生になるつもりだったから、そうなっていたらわたしのゼミの先生だったろうと思います)
小説はそういう女の話ばかりだったけど(それも面白いけど)、随筆は江戸からの東京の風景の話が多く、すごくいいです