【硫黄島】「3人の子どもをくれぐれも頼む」…激戦地の硫黄島から届いた手紙、家族を残してきた男性の願いアーカイブ最終更新 2024/04/04 09:221.テイラー ★???太平洋戦争末期、日米両軍の激戦地となった硫黄島から本土に届いた、10通ほどのはがきがある。安産か、男か、女か、顔が見たい、歌が聞きたい――。はがきに並ぶ鉛筆書きの小さな文字には、2人の幼い子どもと身重の妻を残して戦地へと向かった男性の、家族への思いが浮かぶ。佐賀市の中山邦子さん(79)の手元には、父・平尾経信(つねのぶ)さんが硫黄島から妻や親族に宛てた、軍事郵便が10通ほど残されている。軍事郵便は、戦地の兵士と内地の人々を結んだ郵便だ。母の正子さんが2011年に亡くなった後、その遺品から見つかったものだ。(抜粋)(続きは以下URLから)https://news.yahoo.co.jp/articles/50bca0cb1848af10002500938cb2c02ebfb31e9b2024/04/03 18:04:4112すべて|最新の50件2.名無しさんUKu6z皮肉にも原爆によって独裁政治から解放された家族たち2024/04/03 18:08:063.名無しさんLKPXg某バカ記者の筆災被害者でないことを願う2024/04/03 18:20:544.名無しさんEIdMm2年くらい前に硫黄島行きの仕事を打診された事が有る行きたかったがコロナ禍で流れてしまったあそこで動画撮りたかったのにな2024/04/03 18:50:325.名無しさんg33y9汚染中州な馬肥やせ2024/04/03 18:57:396.名無しさんyvjEv靖国神社の肥やしとなるために戦ったのではない2024/04/03 19:24:367.名無しさんkglKSこんなエリートでも招集されて無駄遣いされてしまったのか。。2024/04/03 19:29:568.名無しさんwhWs9この時代は軍事機密情報が漏れるから戦地との手紙のやりとりて禁止だと思ってたけど意外にゆるかったんだね硫黄島は本土決戦のための時間稼ぎの捨て駒だったから特別だったのかもね2024/04/03 19:39:399.名無しさんEIdMm>>8いや、手紙の内容を検閲してから問題ない物だけが送られていたと聞いてるぞ2024/04/03 19:44:4310.名無しさんrYquR栗林良吏だな2024/04/03 19:45:0511.名無しさんAC5b5あのクソつまんない 映画の話 禁止2024/04/04 02:14:3912.名無しさんiLMS8>>7特攻よりは硫黄島の方がまだマシだな。バンザイ突撃を禁止されてるのも、あくまでも生き残る事が前提。兵士の命の損耗を極力減らすよう意識しながら戦ったので、全員玉砕にはならず、最後に米軍捕虜になって助かった人もいた。捕虜になりながらも、背後からなおあくまでも米兵を攻撃しようとした人も居たが。硫黄島の栗林部隊は、戦中の日本軍には珍しく、欧米の軍隊の人権基準にも価値観的に適合はしている稀有な存在。ただ、だとしても悲惨な事には変わりないね。「君たちが圧倒的な米軍と優秀な兵器に対して愚かな抵抗をしている時に故郷の人たちは君たちの身の上をどんなに心配しているかわかりません。(中略)戦死の報を受けた時の君たちの年老いた父母やかわいい妻子はどんなに嘆く事でしょう。(中略)関東大震災の際に君たち同胞に温情を差し伸ばした同じ米国人です。米軍の方に来なさい。そしてわれわれと一緒に食物を食べ冷たい水を分けあって飲みましょう。生命は尊いものです。今死んではなりません」これは、アジア太平洋戦争末期の1945年に日米両軍が戦史に残る激戦を繰り広げ、2万人余りの日本兵のほとんどが戦死した硫黄島(東京都小笠原村)で、アメリカ軍が撒いていた伝単である。2024/04/04 09:22:49
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佐賀市の中山邦子さん(79)の手元には、父・平尾経信(つねのぶ)さんが硫黄島から妻や親族に宛てた、軍事郵便が10通ほど残されている。軍事郵便は、戦地の兵士と内地の人々を結んだ郵便だ。母の正子さんが2011年に亡くなった後、その遺品から見つかったものだ。
(抜粋)
(続きは以下URLから)
https://news.yahoo.co.jp/articles/50bca0cb1848af10002500938cb2c02ebfb31e9b
行きたかったがコロナ禍で流れてしまった
あそこで動画撮りたかったのにな
硫黄島は本土決戦のための時間稼ぎの捨て駒だったから特別だったのかもね
いや、手紙の内容を検閲してから問題ない物だけが送られていたと聞いてるぞ
特攻よりは硫黄島の方がまだマシだな。
バンザイ突撃を禁止されてるのも、あくまでも生き残る事が前提。
兵士の命の損耗を極力減らすよう意識しながら戦ったので、全員玉砕にはならず、最後に米軍捕虜になって助かった人もいた。
捕虜になりながらも、背後からなおあくまでも米兵を攻撃しようとした人も居たが。
硫黄島の栗林部隊は、戦中の日本軍には珍しく、欧米の軍隊の人権基準にも価値観的に適合はしている稀有な存在。
ただ、だとしても悲惨な事には変わりないね。
「君たちが圧倒的な米軍と優秀な兵器に対して愚かな抵抗をしている時に故郷の人たちは君たちの身の上をどんなに心配しているかわかりません。(中略)戦死の報を受けた時の君たちの年老いた父母やかわいい妻子はどんなに嘆く事でしょう。(中略)関東大震災の際に君たち同胞に温情を差し伸ばした同じ米国人です。米軍の方に来なさい。そしてわれわれと一緒に食物を食べ冷たい水を分けあって飲みましょう。生命は尊いものです。今死んではなりません」
これは、アジア太平洋戦争末期の1945年に日米両軍が戦史に残る激戦を繰り広げ、2万人余りの日本兵のほとんどが戦死した硫黄島(東京都小笠原村)で、アメリカ軍が撒いていた伝単である。