【実業家】アスキー創業者、西和彦氏が破産 「ビル・ゲイツには言えなかった」 [田杉山脈★]アーカイブ最終更新 2023/05/02 13:521.名刺は切らしておりましてM8vMnKghアスキー創業者で米マイクロソフト元副社長の西和彦氏が破産手続きを開始したことが明らかになった。西氏は新しい大学「日本先端工科大学(仮称)」の創設を目指していた。なぜ破産に至ったのか、西氏にその経緯や新大学の創設に対する影響などについて聞いた。第三者破産手続き開始を受けた経緯について、具体的に教えてください。西和彦博士(情報学)・日本先端工科大学(仮称)設置準備委員会特別顧問(以下、西氏):今から5年ぐらい前、アスペクト(東京・台東、当時は神田駿河台)という総合出版社の社長が訪ねてこられ、「経営が良くないから出資してください」と頼まれたのです。結局、約3億円をアスペクトに出資しました。 3億円を出資したという事実を、当時のアスペクトの取引銀行である三菱UFJ銀行が知って、「(アスペクトに)貸しているお金を返してくれるか、連帯保証してほしい」と頼まれました。僕は「保証は嫌だ」と言いました。それ以上リスクを増やしたくなかったからです。そうしたら、「アスペクトに貸しているお金を引き揚げる」と言い出したのです。確か2億8000万円でした。そうなると、僕が出資した3億円は2000万円にしかなりません。そこで泣く泣く連帯保証に応じたというわけです。 アスペクトには他からもお金を集めたかったので、形式上僕が社長になったり、神田にあったオフィスを上野に所有していた僕のビルに移したりしました。家賃は決めたけど、払わなくてよいという出世払い。そうして粛々とやっていたのですが、さらに経営が悪化して、このたび、三菱UFJから債権を買った金融会社によって第三者破産を申し立てられてしまいました。そもそも、なぜアスペクトへの出資に応じたのでしょうか?四十数年前に名前を付けた会社西氏:実は、アスペクトというのは、僕が四十数年前に名前を付けた会社で、アスキーを一緒に創業したメンバーである塚本慶一郎さんがつくった会社なのです。当時のアスキーはコンピューター関連の出版社でしたが、ビジネス関連の出版もやりたいということでコンピューター以外のブランドを立てようと塚本さんが決めて、僕が名付けの親になったというわけです。故堺屋太一さんに編集顧問をやっていただきました。名付けの親というセンチメンタルなところもあったし、アスキーのなごりがある会社として、もう一度自分が株主になって関わってもいいかなという思いもありました。 アスペクトの高比良公成社長(当時)というのは、CSK創業者の故大川功さんの秘書役だったのです。僕が大川さんと親しくなれたのは、高比良さんが僕を大川さんに引き合わせてくれたから。その結果、CSKは経営危機にあったアスキーに100億円を出資してくれたわけです。 高比良さんにお礼をして、「これであなたに大きな借りができた。借りは必ず返すから、君が困ったら僕のところに来ておくれ」と約束したのです。だからアスペクトが窮地に陥って、彼は僕のところに来たというわけです。だいたい、お礼の相場というのは何でも3%じゃないですか。例えば不動産の売買手数料は3%です。だから100億円出資してもらったので、高比良さんに3億円のお礼をしてもいいと考えました。以下ソースhttps://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/042100224/出典 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/16830031762023/05/02 13:52:561すべて|最新の50件
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第三者破産手続き開始を受けた経緯について、具体的に教えてください。
西和彦博士(情報学)・日本先端工科大学(仮称)設置準備委員会特別顧問(以下、西氏):今から5年ぐらい前、アスペクト(東京・台東、当時は神田駿河台)という総合出版社の社長が訪ねてこられ、「経営が良くないから出資してください」と頼まれたのです。結局、約3億円をアスペクトに出資しました。
3億円を出資したという事実を、当時のアスペクトの取引銀行である三菱UFJ銀行が知って、「(アスペクトに)貸しているお金を返してくれるか、連帯保証してほしい」と頼まれました。僕は「保証は嫌だ」と言いました。それ以上リスクを増やしたくなかったからです。そうしたら、「アスペクトに貸しているお金を引き揚げる」と言い出したのです。確か2億8000万円でした。そうなると、僕が出資した3億円は2000万円にしかなりません。そこで泣く泣く連帯保証に応じたというわけです。
アスペクトには他からもお金を集めたかったので、形式上僕が社長になったり、神田にあったオフィスを上野に所有していた僕のビルに移したりしました。家賃は決めたけど、払わなくてよいという出世払い。そうして粛々とやっていたのですが、さらに経営が悪化して、このたび、三菱UFJから債権を買った金融会社によって第三者破産を申し立てられてしまいました。
そもそも、なぜアスペクトへの出資に応じたのでしょうか?
四十数年前に名前を付けた会社
西氏:実は、アスペクトというのは、僕が四十数年前に名前を付けた会社で、アスキーを一緒に創業したメンバーである塚本慶一郎さんがつくった会社なのです。当時のアスキーはコンピューター関連の出版社でしたが、ビジネス関連の出版もやりたいということでコンピューター以外のブランドを立てようと塚本さんが決めて、僕が名付けの親になったというわけです。故堺屋太一さんに編集顧問をやっていただきました。名付けの親というセンチメンタルなところもあったし、アスキーのなごりがある会社として、もう一度自分が株主になって関わってもいいかなという思いもありました。
アスペクトの高比良公成社長(当時)というのは、CSK創業者の故大川功さんの秘書役だったのです。僕が大川さんと親しくなれたのは、高比良さんが僕を大川さんに引き合わせてくれたから。その結果、CSKは経営危機にあったアスキーに100億円を出資してくれたわけです。
高比良さんにお礼をして、「これであなたに大きな借りができた。借りは必ず返すから、君が困ったら僕のところに来ておくれ」と約束したのです。だからアスペクトが窮地に陥って、彼は僕のところに来たというわけです。だいたい、お礼の相場というのは何でも3%じゃないですか。例えば不動産の売買手数料は3%です。だから100億円出資してもらったので、高比良さんに3億円のお礼をしてもいいと考えました。
以下ソース
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/042100224/