50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part32【ワッチョイあり】

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VHV1r
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前スレ
50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part31【ワッチョイあり】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/c/hsb/1661054641/l50
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VHV1r
他所でやってくれ攻撃で書き込めないことが多いな。
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w1dNw
テスト
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dDD4X
テスト
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rKgDj
うんこ
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ajoh0
なんで
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tcJnt
5chの高校野球が見られない。DDoS攻撃?
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QwdzD
 最近の選手宣誓はオリジナルなのはいいけど長すぎる。オリジナルの原点の84年夏の福井商坪井の宣誓は
もっと短かった。ネットで調べると坪井の勘違いでオリジナル選手宣誓が始まったんだって。

以下引用
「宣誓することが決まってチームメイトは皆、『よかったな』と言ってくれました。『控えの主将が目立つ
には宣誓するしかないな』って半分冗談で言い合っていたこともあって盛り上がりました。でも、その後の
本抽選でも『1』を引いてしまって…。こっちは『それはあかんやろ~』と叱責を受けましたね(笑)」

~『あゝ夏の甲子園』(2023年7月26日発売号)より

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本抽選での「1」は、開会式直後の開幕試合を意味する。つまり、坪井主将は偶然にも連続で「1」番クジを引
いてしまい、気持ちが動転してしまったというのだ。

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選手宣誓と合わせ、これ以上ない緊張を同時に味わうことが決まって心もざわつく抽選会終了後、坪井は大会関
係者から「どんな宣誓にするか、明日の予行演習の際に紙に書いて持ってきてください」と言われた。これこそが
勘違いの始まりだった。
「気持ちが昂りすぎていたんですかね。私が勝手に『書いて持ってきて』を『自分なりの言葉を盛り込め』と勘
違いしたんです。後からいろんな人の話を聞く限り、毎年の通過儀礼なだけだったようなんですけど」

~『あゝ夏の甲子園』(2023年7月26日発売号)より

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坪井主将は勘違いをしたまま宿舎に戻り、「自分なりの言葉を」と、福井商野球部のモットーである「炎」の文字
を入れ込んだ選手宣誓文を考案した。

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「宣誓。我々、選手一同は第66回全国高等学校野球選手権大会に臨み、若人の夢を炎と燃やし、力強く、たくまし
く、甲子園から大いなる未来へ向かって、正々堂々、戦い抜くことを誓います」

~『あゝ夏の甲子園』(2023年7月26日発売号)より

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現在の文量と比べれば、これでも十分に簡潔な内容だ。それでも、この文案を見た大会関係者の反応は「ちょっ
と長いかな。短くしてもらうかも」というものだった。だが、結果的には「問題なし」とされ、坪井主将は開会式
でこの「独自選手宣誓」を披露したのだ。

福井商は開会式直後の開幕試合で敗れ、甲子園に別れを告げた。だが、坪井主将は福井に戻ったあとも地元新聞や
雑誌、ラジオなどから取材を受けるほど、この独創的選手宣誓は大きな反響を呼ぶことに。その結果、以降の開会
式では「自分の言葉」を盛り込むことが定番となったわけだ。
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NXiUT
これからはモイセエフみたいな素質のある選手しかホームランを打てなくなるのかな?木製バットで
大会2ホームランを打った早実の王さんや銚子商の篠塚は本当に凄かったんですね。特に王さんの時代はラッキーゾーンがなかったはずなので、王さんは本当の怪物だったんですね。
 82夏の池田の9番山口が二本塁打を打って恐怖の9番とか言われたけど、あのへんからバットがおかしくなってプロに縁がないような下位バッターでもホームランを打てるようになったのかも。
10.
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NXiUT
 学法石川の佐々木監督は東北の選手時代は長身の横手投げ投手だったな。76夏に見たけど、東北高校自体が76春の日田林工とイメージがダブった。ランナーが一塁に出ると1アウトでも確実にバントで二塁に送って、恐ろしいくらいに高確率でタイムリーヒットがでて大量得点を取る攻撃が共通していて、また日田林工のエース喜見投手も横手投げだったのも共通していた。佐々木投手は翌年の選抜にも出たけど、夏は怪我でもしたのか宮城の決勝で仙台育英に負けたときは投げていなくて、二年の薄木が投げていた。早大時代の佐々木投手は見た記憶がない。今治西から来た三谷は見た記憶があるけど。
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M9hkQ
 選抜では話題になったランニングホームランが二本あって、

 一本目は甲子園の名勝負を集めた本なんかに書いてあって有名ですが、1926年の選抜で松本商の矢島選手が夏春連覇を目指した高松商の宮武投手から打ったサヨナラランニング3ランです。本来なら最初のランナーが生還した時点でサヨナラですが、打った本人も含めて3人がいきよいよく帰ってきたのでホームランに認定されたそうです。この一打が戦前の選抜での最初で最後のサヨナラホームランです。
 二本目は見た人も多いと思いますが1982年の選抜で黄金時代のPLの4番としては地味で有名な松田選手が決勝で打ったランニング満塁ホームランです。これが話題になったのは、史上初めて選抜で連覇した1930年の第一神港商の高瀬選手が決勝で満塁ホームランを打っており、神港に続く2回目の連覇を達成したPLも決勝で満塁
ホームランを打ったことで不思議な縁だと話題になりました。当時は戦前の試合を実際に見た人も大勢生きていましたからね。高瀬選手のホームランもランニングホームランぽいですね。

 3回目の選抜連覇を2018年に達成した大阪桐蔭は決勝でホームランは出ませんでしたね。この辺の空気の読まなさが大阪桐蔭がオールドファンから嫌われる原因かも。

 夏の大会で話題になったランニングホームランってあまりないような気がする。強いて言えば2003年の夏の甲子園の開幕試合で桐生一の菊地選手が夏の甲子園の通算1000号をランニングホームランで打ったことくらいかな?
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6PiAu
 選抜で珍しかったシーンは1988年の宇都宮学園の高島捕手の猛抗議。何試合目か忘れたけど、高島が怪我をして治療中に上野監督がさっさと選手交代を告げてしまった。治療を終えてグランドに戻った高島選手が自分の交代を知って激昂。監督に文句を言ったあと、審判に交代を取り消せと猛抗議していました。当然通らなかったけど。当時は事情を知らずに何やってんだこいつって思っていたけど、何年か後に報知高校野球の私の高校野球って手記で上野監督が忘れられない選手として高島のことを書いていました。高島のことを[抜身の刀」と評していました。頭にくると暴言を発した選手のようで静岡県での試合で審判の判定に不服があると審判を「お前のレベルでは栃木では通用しない。」と罵ったエピソードを挙げていました。トラブルメーカーだったようですが、力はあって夏は、優勝候補 近大付との対戦で試合を決めた2ランを打ったなぁ。オリックスに指名されたのであの武闘派張本が呆れるくらい喧嘩っ早かった喧嘩屋八郎こと山本八郎(張本の浪商の先輩)みたいになってくれるかと期待していましたが、そんなに一軍で活躍できなかったので暴れる機会も少なかったようです。
 高島は今何やっているのかと思ってネットで調べると3年くらい前に病死していました。高校球児って早死する人が多いような?96年夏の早実戦でサヨナラ逆転2ランをうった海星の稲垣とか、97年夏の甲府工で好投した小沢投手とか、79-80年の前橋工の投の3本柱だった番場とか87年夏のPL戦で野村をKOした逆転打を打った中央の中島捕手等も病気で早死しましたね。南陽工の津田とか函館有斗の盛田のプロ組も病没しているな。
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nn2Ou
 東海大福岡って今回の選抜が3回目で夏の出場は0と意外と甲子園に出ていないです。85年選抜で広陵の大型投手川原への9連打とか2017選抜で清宮がいた注目校早実を破ったりとインパクトのある試合をしているからもっと甲子園に出ているイメージがあった。福岡自体が激戦区で甲子園が遠い地区。特に福岡が凄かったのは
88年から92年かけての夏の甲子園。
88-福岡第一が準優勝
89-大濠がベスト8
90-西短がベスト4
91-柳川がベスト8
92-西短が優勝
5年間で異なる4校が連続で上位進出ってなかなかないです。二校とかだと最近の大阪とか昔の千葉とかあったけど。近いのは76-79の大阪(大鉄、PL、浪商)くらいかも。
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ユーザー
dC18c
 サッカーJ1の町田の監督さんが青森山田のサッカー部監督から転身したアマチュアの経歴しか無い黒田さんでチームも好調。高校野球だと広商の戦前の優勝監督だった石本監督が阪神や広島等6球団で監督を務めたことが有名だけど、法政二高の優勝監督だった田丸さんもロッテの前身の東京オリオンズで一年だけ監督をやっていたんですね。BSフジのプロ野球レジェン堂って番組で柴田がゲストで出た時にその話があった。桐生の名将稲川監督にもプロ野球の監督へのスカウトがあったらしいですね。高校野球の有名監督なら選手も従うのかもしれないけど、阪神の岸監督(神戸商の元監督)なんかは中央のアマチュア球界でもあまり知られていなかったようで藤村富美男らに反抗されてお家騒動になったそうですね。
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1gK6d
 健大高崎がセンバツ優勝したことで現役の甲子園優勝監督の最多地区は群馬のようですね。健大高崎の青柳、桐生一時代に優勝経験のある利根商の福田監督、前橋育英の荒井監督。数年前は東京や愛知に優勝監督が3人いたけど、引退等で減っちゃいましたね。4人いた地区ってあるのだろうか?浪商の広瀬監督や興国の村井監督が1984年まで続けていたら大阪に4人いたことになります。残りはPL中村監督と大阪産大付の鶴岡監督。
 90年に就職で茨城に引っ越した時、常総の木内監督の他に清真学園の監督さんが桜美林の優勝監督だった浜田さんでしたね。なにげに優勝監督が二人いました。清真学園は弱かったけど。優勝監督じゃないけど古河一の監督さんが小山の選抜準優勝投手だった初見だったのも懐かしかったです。
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FJ5Ai
 神奈川で武相が42年ぶりの優勝だそうですが、当時はパンチ佐藤がいた時ですね。夏は準々決勝で優勝した法政二高に延長で破れたそうです。法政二高も柴田投手で3期連続優勝を目指して尾崎の浪商に破れて以来の甲子園出場でした。42年前の春の関東大会は高崎商が優勝したけど、当時は準決勝と決勝を1日でやっており、高崎商の近藤投手は二試合とも完投しています。これは当時でも異常でした。三沢の太田幸司さんの時代だとダブルヘッダーの練習試合で二試合とも投げさせられたと述懐していましたが、80年代でも甲子園と関係ない春関でこんなに投げさせるアホな監督がいたということです。これが原因か知りませんが近藤投手は夏も好投しましたが、決勝では力尽きて8失点でした。近藤は前の年も決勝で西武のエースになった渡辺の前橋工に負けたけど2失点と良い投球だったのに…。
 オリックス時代のパンチ佐藤ってめったに見ることはできませんでしたが、振りは鋭かったですね。イチロー並に野球に集中していたら大成したと思えるいい素質を持った選手でした
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8ENts
 今週のBSフジのプロ野球レジェン堂のゲストは平松さんだった。高校時代の話も出て、選抜で優勝後の地区大会の夏の決勝であたった関西の森安投手について、ものすごかったって話していました。森安投手に関しては二宮清純さんが書いた最強のプロ野球論って本で二宮さんが現役やOBのプロ野球選手に最速の投手は誰だっ
て聞き回るコーナーがあったのですが、最速候補の江夏と怪童尾崎の両投手が一番早かった投手として森安さんを挙げていました。西武の主力打者だった山崎さんも森安を一番早いと言っていましたね。ヤクルトの八重樫さんにいたってはスライダーで150km以上出ていたと言っています。森安はサイドハンドの速球投手でしたが、黒い霧事件で池永投手といっしょに1970年に野球界を永久追放になっています。自分はその4年後に野球を見始めたから、事件に巻き込まれなかったら年齢的に見られた投手だっただけに惜しいです。
 平松さんはシュートを投げ始めたのはプロ3年目からだそうで社会人時代に慶応大学OBで藤田元司さんと同期の人にシュートの投げ方を教わっていたそうです。前に星野仙一さんが平松は高校時代からいいシュートを投げてたよってNumberのインタビューで答えていたけど、あんたの目は節穴か?平松さんはボールの縫い目に指をかけずに握って、左肩を開き気味にして右手を遅らさせてボールを滑らしてシュートを投げたそうですが、他の投手に教えても誰も投げられなかったそうです。野村克也さんが言っていましたが、巨人の西本のシュートなんかは内角に
落ちながら曲がって来たそうですが、平松のシュートは内角に浮き上がりながら食い込んできたそうで、より打ちにくかったそうです。平松にしか投げられないボールを一般的にシュートって言っていいのか?なとも思いました。
 平松さんは10数年ぶりに見たけど、すっかりハゲ頭になっていました。後頭部が頭頂部の後ろまで広がるタイプのハゲ頭でした。90年代にプロ野球ニュースがあったときはふさふさだったはずですが、カツラだったのかなぁ?
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zJlMU
ダルビッシュが日米通算200勝。甲子園出場選手で200勝以上は以下の通り。

育英   鈴木啓示 317勝
滝川中  別所毅彦 310勝
箕島   東尾修  251勝
中京商  野口二郎 237勝
名電   工藤公康 224勝
甲府商  堀内恒夫 203勝
岡山東商 平松政次 201勝

甲子園で優勝したのは野口と平松だけだけど、上位進出や名勝負等で活躍した投手も多い。ただ、鈴木は甲子園の名勝負とかで名前は残って無いですね。堀内は選手権に出たけど運悪く記念大会で西宮ゾーンに入ったため甲子園では投げてないです。
 ダルビッシュは自分が見てきた中では頭から下だけで評価するとNo.1かな。現在でも9種類の球を投げられて球速も150km台とこんなに器用さと球威を兼ね備えた投手は知りません。惜しむらくはコントロールかな。制球はまとまっているけどボール1個の出し入れができる桑田やメジャーのマダックスとかと比べるとだいぶ落ちます。あれでコントロールまでよかったら軽く300勝はいっているでしょう。大谷もそうだけどダルはいい時代に生まれましたね。東北高校時代は成長痛に苦しんだそうで、故障しないようにプールで体力作りをしているシーンを野球雑誌で見ましたが、70年代以前に高校生になっていたら、ダルも大谷も練習中の疲労骨折等で大成しなかった思います。当時は入部時にレントゲン検査をして肘に骨端線(成長線)があるかなんて確認しませんもの。
 ここに来て急ブレーキがかかっているけど田中マー君も今シーズン中に200勝に行きそうですね。桑田と松坂は怪我さえなければ余裕で200勝以上で来たと思うだけに惜しいです。ダルやオオタニなんかトミー・ジョン手術を受けても球威は落ちなかったのに桑田と松坂は、思い切り落ちましたね。甲子園で投げすぎて手術で修復できないほど靭帯が傷んでいたのでしょうか?
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SAoQn
 6月になると沖縄や北海道で夏の甲子園の予選が始まるけど、公立高が最後に出てから最も長い時間が立っているのは西東京ですかね。80年に国立が出てから私立ばかりですね。逆に東東京は平成になってから城東が2回、雪谷が1回、夏の甲子園に出ていますね。早実が東から西に移ったり、小倉監督が日大三の監督になるまでは東東京より西東京のほうがレベルが低い印象があり、都立が出やすいのかなって思っていました。実際、西東京の東大和なんかは都立の星って言われて78年と85年は西東京で準優勝しています。78年は決勝で日大二高の全国レベルの小林投手と二瓶投手を打って10得点したけど、投手陣が崩壊して15失点して敗退。でも強い印象を受けました。
 当初は愛知も80年の大府以来、公立高が出てないな~って思っていたら、2008年の記念大会に分割された愛知の片方から甲子園に出てたんですね。全然、記憶にない。調べると大府は選抜は93~95まで三年連続で出ていたり愛知の公立の雄ですね。
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BkJTh
ヤクルトの奥川が久方ぶりに復活したけど、高校時代が少し下関商と池永とにているかと思った事もあった。池永は1963年に選抜で大阪の明星を完封したけど、夏は決勝でその明星にお返しを食らった。奥川も星稜時代に2019年の選抜で大阪の履正社を17三振を奪って完封。でも夏は決勝で履正社に敗戦。春に軽くひねった相手に決勝で敗れる例ってあまりないです。軽くひねらないで勝って夏に仕返しを食らう例はそこそこありますがぁ。
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BkJTh
 大学選手権で青学が二連覇。青学の附属高校は野球が強いとは聞いたことがないですね。東京の大手の私立で附属高校が甲子園に出たことがないのは、中央大学、上智、順天堂、大東文化大、亜細亜大、東京理科大とかありますね。亜細亜大はそもそも附属高校がないそうです。理科大の附属高校も気いたいことない。理科大って文系の学部がないから大手大学とは言えないかも。
 天理大のユニフォームが新聞に出ていたけど、ローマ字でTENRIって表記で高校とは違いますね。近大付みたいに天理高校のユニを大学のユニフォームに合わせようとしたら苦情が殺到する気がする。
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jFWeG
長文ばかりで草
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PVUFD
 先週のプロ野球レジェン堂はヤクルトの大エースだった松岡弘さんでした。同時期の大投手と比べて松岡さんの若い時の話は聞いたことがなかったので新鮮でした。高校時代の話では倉敷商に入学したら1年上に変な人がいた
ことから話が始まりました。星野さんは当時から県内で野球の実力はない方で有名で監督や部長も困っていたそうです。当時からあのラインだったって話に笑いました。松岡さん自体は二年の秋から投手を始めたそうで、それも本来のエースが利き手を故障したことが原因だそうです。高3の夏は県大会の準決勝(東中国大会の代表決定戦)で選抜優勝校の岡山東商の平松投手と投げ合って3-3で日没引き分け再試合となり、再試合で2-5で負けたそうです。
 話の中でMCの徳光さんによると、長嶋茂雄さんが対戦した投手の中でヤクルト時代の松岡投手が一番速いと言っていたそうです。確かに昔の投手って球速の全盛期の長さが今の投手と比較して短く、当時、見たカープの外木場、大洋の平松、巨人の堀内なんか、本当に大投手かって思うくらい球が遅かったですが、78年の日本シリーズで阪急を完封した松岡さんはこれらの投手と比較してストレートは別格に速かったですね。
 岡山東時代の平松って、地区大会で長嶋さんが一番速いって言っていた松岡に投げ勝ち、決勝では怪童尾崎や天才江夏が一番速いって言っていた関西の森安に投げ勝つって、本当にすごい投手だったんですね。平松さんに関してはやはり同番組で阪神の田淵が一軍で初めて対戦した投手が平松さんだそうですが、球が見えなく3球三振したそうです。
 松岡さん自体は甲子園に縁がなかったけど、甥っ子の松岡大吾が87年夏の甲子園で活躍しましたね。初戦でプロで活躍した静岡の赤堀に投げ勝つなど、準々決勝まで行きました。準々決勝の帝京戦では本来のエース凪が監督にしつこく俺に投げさせろと訴え続けていたそうで、それに根負けした監督が凪を先発させたら5失点。救援した松岡が帝京打線を抑え込んだだけにもったいない試合でした。凪は試合後に悔いはないと言っていましたが、松岡が先発していたら勝機があっただけに、他の野手はたまったもんじゃなかったでしょう。松岡は中京の野中タイプのズングリした体系から重い球を投げるタイプの投手でした。
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oNV1f
  自分が生まれた群馬で一番プロ野球に進んだ投手が投手が多かった大会は知る限りでは1982年夏の大会かな。学年は違うけど、4人がプロ入りしている。農大二高の阿井(ヤクルト)、前橋育英の松原(巨人)、前橋工の2年生エースだった渡辺(西武、今の監督さん)、佐波農の1年生エースだった笠原(ロッテ)。渡辺と笠原
がドラフト1位でした。この4人のうち3人が激突して、阿井が松原と渡辺にともに3-0で投げ勝ちました。特に渡辺の前橋工との試合がすごくて、渡辺のバント安打1本に抑えました。
 松原は県大会終了後、農大二高の甲子園出場に同行して(ずーと一緒にいたか宿が同じかは不明)、農大二の大阪での練習でバッティング投手を務めるなど、練習のお手伝いをしたようで美談として朝日の群馬版に出ていました。進学や転勤で関東地区の栃木と埼玉を除く5都県で暮らしてきましたが、こういった話は他で聞いたことはありませんでした。似たような話では、2年後に太田工が夏の甲子園に出た時、太田の監督が前橋高校時代の先輩とかで当時、筑波大の大学院生だった完全試合投手の松本さんも、バッティング投手として太田工の練習を手伝ったそうです。松原は育英卒業後、高崎信用金庫で軟式野球をやった後、テスト入団で巨人に行って3勝しました。
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fs6zw
前橋工業といえば、向田投手。
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kBmSf
 一昨日、NHKで祝!甲子園100祭 みんなで選ぶ名場面100とか言う番組があったけど、ゲストが選ぶ名場面で藤川球児がボケたのかかち割り氷をあげていた。同じくゲストの荒木大輔なんか自分が池田に滅多打ちにあった試合をあげていたのに。できれば藤川にはあやつが出場した1997年夏の名場面、報徳学園前田投手の究極のマッチポンプをあげてほしかった。楽勝とみられた日大東北戦でノーアウトランナーなしから3連続四球で満塁にした後、3連続三振と、長年高校野球を見てきてけど、こんなの見たことなかった。当時、初戦は出場校のゲストが放送席に
いましたが、報徳のゲストがこのシーンで「どんな性格してんでしょう。これは二度とやらないでほしい」と嘆いていたのが面白かったです。前田は左腕投手のカーブとしては名電の工藤に近いレベルの鋭く落ちる球を投げていましたが、いかんせんコントロールが悪かったですね。報徳は優勝候補だったけど、次の試合で実力校だった浜松工業に負けました。
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fyMso
報徳学園といえば金村投手
28.
ユーザー
gIr9s
 いま広島カープでトップバッターを務めている秋山がアメリカ時代に所属していた3Aのチームがエルパソ・チワワズ。野球に限らずサッカーやバスケ等でいろんなチーム名を聞いてきましたが、こんな弱そうなチーム名は初めてでした。オーナーは真面目に考えてチーム名をつけたのでしょうか?高校野球で弱そうな校名っていてうと、個人的には奈良女子大学附属高校。女性差別をしているつもりはありませんが、なんか弱そうな校名と前から思っていました。奈良女子大はお茶の水女子大学と並ぶ国立の名門女子大学で東のお茶の水、西の奈良と並び称させる日本の女子大のトップツーです。野球部の実力は国立高校の中では全国一かな?去年は春の奈良大会でベスト8に入ったことから朝日新聞の奈良大会の展望でもダークホースにあげられていました。今年のチームも報知高校野球の奈良大会の展望ではダークホース扱いなのか名前が書いてありました(結果は初戦でボロ負け)。今年の報知高校野球の予想では高専を含む国立高校でダークホースにあげられていたのは奈良女子大学付属だけでした。
 戦前は国立の師範学校があちこちの地方で甲子園に出ていますが学制改革後は、国立の高校の甲子園はなさそうです。1980年に西東京の都立国立高校が甲子園にでたときは校名から国立の高校が出てきたと勘違いしたアホがいっぱいいたとか。甲子園が近かった国立は徳島の阿南高専かな。1961~1980の期間では夏の徳島大会でベスト4が2回、ベスト8が3回となかなかの成績です。愛媛の新居浜高専も83年の秋の四国大会に出場しており(初戦で池田にボロ負け)、今の時代なら21世紀枠で甲子園に出られたかも。
 感性の問題なのか、池田、吉田、中村とか身の回りにいるひ弱な同級生と同じ名前の校名もひ弱なそいつ等を思い出して、なんか弱そうな校名だなと当初は思いました。猪木高校や馬場高校、力道山高校、最近だと井上高校なんてのがあれば弱そうとは思いませんがぁ。
 チワワズのことを書きましたが、日本ハムファイターズって名前もアメリカ人にはインパクトのある名前のようです。ハムってアメリカの俗語では大根役者、演技が過剰な人とかの悪口で使われる場合もあって、80年代に野球雑誌を読んでいたら、日ハムに入団する助っ人外国人が、なんでチーム名にハムが入っているんだと驚いたと言う記事がありました。チキンとかハムとか食肉系は悪口になるのでしょうか。
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ユーザー
mP5zh
 地区予選の結果を新聞で見ていると、茨城東や新宮と言った甲子園出場校が連合チームになっていました。昔は野球部員が9人に満たないとサッカー部やバスケ部から助っ人を呼んで他校の協力は得なくても大丈夫だったのですが。96年にたまたま実家に帰っていて群テレで高校野球をみていると大泉高校がバッテリーだけが野球部員で野手の7人はサッカーとバスケ部の助っ人でした。90年代ころまでは野球部以外の生徒でも草野球レベルの経験はもっていて野球部の助っ人になれる人も多かったと思います。今は公園でキャッチボールもできないから草野球レベルの経験もない他競技のスポーツマンが多いのかも。上記の大泉高校が記憶に残っているのは大泉って、松井田や板倉と言った初戦でいつもコールド負けするようなチームの一つだったのですが、96年の投手は甲子園レベルと言ってもいい投手だったからです。基本的に打球が飛ぶと素人の野手ではうまく対応できずやっぱりのコールド負けでしたがぁ。今年の千葉大会の開会式をみていると選手の行進で2.3人デブチンがいました。デブチンと言っても柔道部や相撲部の引き締まったデブチンではなく、秋葉原にいそうな脂肪分の多いデブチンでした。漫研とか文芸部からの人数合わせの助っ人だったのでしょうか?
 茨城東は83年には速球投手加茂川を擁して決勝では2年生のスラッガーデーブ大久保を擁した水戸商をやぶり、97年は後の阪神のエースになった井川投手の水戸商を決勝で破ったことが印象深いです。新宮は1954年の夏に甲子園ベスト4、55年の夏にベスト8でともに中京商に敗れたけど、前岡投手の活躍がありました。当時の中京商監督の滝さんは選手でも監督でも甲子園で優勝しており、後に野球殿堂入りした人ですが2008年刊行の週刊甲子園で新宮の前岡投手を戦後No.1左腕と評価していました。新宮の55年の初戦の浪商が木製バット時代の戦後最強チームの候補になるような強力チームでそこを3-2で破った試合は甲子園の名勝負に数えられています。準々決勝の中京戦でバント攻撃にあって攻略されたようです。Numberの高校野球特集で戦後の甲子園で一番球が速かった投手として前岡投手をあげる古参のスカウトもいたそうです。
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ユーザー
3pEvd
昨日、秋田代表が金足農の決まりましたがエースは6年前に活躍した吉田投手の弟。兄弟で投手で甲子園に出た選手たちってあまりいない気がします。記憶にあるのは、以下の通り。

仁村兄弟--兄が上尾で1979夏、弟が同じ高校で1980春に出た。兄が下手で弟は上手の好投手でした。長兄は川越商、早大で投手で巨人で野手転向。3男だけプロに行っていないんですね。

杉本兄弟--東海大一の双子投手。1983年に春夏出場。兄が変化球投手で、弟は速球投手だった。

山本兄弟--兄が法政二高で1984春に出場。弟が東海大甲府で1987年に初夏出場。兄は左の速球投手で弟は右腕のまとまった好投手タイプでした。

樋渡兄弟--兄が市川で1991春夏出場。弟が同校で1994夏に出場。ともに右上手の好投手でした。

惜しかったのが1978春に完全試合をした松本投手の弟で、伊勢崎商のエースで1981夏に群馬県大会の準決勝まで行きましたが、前橋工に0-3で完封負け。兄は小柄だったけど弟は180cm台の巨漢で、これだけ似てない兄弟も珍しかったです。PLの桑田真澄の弟の泉は少年野球の実績は兄以上と聞きましたが、87年のPLは投手が豊富すぎましたね。投げているのをみたかった気もしますが。
31.
ユーザー
xB32m
宮城代表は仙台育英か東北の占有率が高いですが、今年は新顔の聖和学園。自分が初めてみた仙台育英と東北以外の高校は83年の仙台商業でした。巨人に行った速球派の左腕投手だった萩原投手がいて、初戦で大型バッターの順風(ロッテ)を擁する比叡山を破って、次の試合でこの大会で最速を記録した秋村投手の宇部商に完封負けしましたが、なかなかの実力校でした。他に宮城からは東陵、利府、仙台西、古川工等も出ていますが、印象的だったのはこの仙台商と3年前に出た東北学院ですね。東北学院は面白い野球をしてて、初戦の優勝候補愛工大名電相手に、軽打というか相手投手のボールを強振しないでかる~くバットを当てる感じで外野手前にゆる~いヒットを打つ打法で勝ちましたからね。あーゆー野球は初めてみました。大型投手の伊東投手も好投手でベスト8以上の力はあるとみていましたが、次の試合はコロナ感染者が出てしまい、試合を辞退したのは残念でした。聖和学院も力がありそうで楽しみです。
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ユーザー
x9yw0
 今日の二試合目 健大対英明戦を見て、春夏連覇を狙う高校が香川勢に大苦戦って92年の帝京と尽誠学園の試合を思い出した。帝京は好投手三沢と4割打線で優勝候補筆頭だったけど、尽誠の渡辺投手に完封負け。渡辺投手はスライダーが良かったです。尽誠はベスト4で複数投手制の拓大紅陵に負けましたが、渡辺投手は西短の森尾と同格の投手でした。渡辺は難関校とは言えないけど野球に力を入れている高校の野球部からは入りにくい大阪府立大に現役合格。文武両道の投手だったのも素晴らしかったです。
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rgEDh
 メディアによっては優勝候補にあげられていた花咲徳栄が新潟産大付に負けました。試合内容は違いましたが、94年の優勝候補浦和学院が中越に0-1で2安打完封負けをした試合を思い出しました。中越には穐谷(あきや)って好投手がいました。少年野球時代に全国大会でチームを3位(だっけ?)に進出させた投手でした。正直、球が速いとか変化球が切れるとかの印象はなかったのですが、コントロールや投球術が優れていたのでしょう。新潟の初出場チームでは08年の新潟県央工業が初戦負けだったけど、近田投手の報徳と互角の試合をしたことが記憶に残っています。最近の新潟は侮れませんな。75年に見た新潟商業も糸数投手のいた石川と互角の試合をして、新潟は弱いチームばかりではなかったのですがぁ。
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9hHwb
 箕島の尾藤元監督が目指すチームとして、中京商の機動力と広島商の技と高知商のパワーを併せ持つチームと言っていました。77年と79年はまさにそんな感じのチームでした。ただ、中京商の機動力に昔の私は引っかかりました。広商は75年や82年、88年はたしかに技のチームだったし、78年に初めてみた高知商はパワフルだったけど、中京が機動力野球だったのを見たことないなと。78年や09年に優勝戦線に絡んだときはパワフルな猛打線だったし。だけど、今日の中京は確かに機動力を活かしていたなと思いました。木製バットに近い飛ばないバットになったので、木製時代の野球を復活させたのかな。
 中京が戦前からの伝統校で初めて髪型を自由化したのですね。去年の慶應もインパクトあったけど、日本一の伝統校である中京が自由化した影響はそれ以上かも。さらに大阪桐蔭が自由化すれば、もっと自由化が各校に進むかと思うけど、西谷監督は報徳出身の監督さんだからずーっと坊主のままかも。ジャンクスポーツを見ていたら報徳は2011年ころまで体罰が残っていたと報徳出身のラグビー選手が言っていましたからね。そういう気風の学校で育った監督さんだから髪型自由化は無理そう。
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vV0Rm
 早実の宇野選手はもう少しで木製バットで満塁本塁打を打てそうだったのに残念。ラッキーゾーンがあれば余裕で入っていました。木製バットで甲子園で最後に本塁打を打った高校生は多分、1974年の銚子商業の篠塚でしょう。各地の予選を見てると結構、本塁打が出ていたのに、1回戦が終わった段階で本塁打は0。選抜みたいになってきました。
 朝日新聞認定の優勝候補報徳学園が、朝日評価で最低ランクだった大社に完敗。馬庭投手は98年の浜田の和田投手以来の好左腕ですね。その前になると89年の松江東の大淀投手が好左腕でした。03年の江の川の木野下投手は確か大阪出身で、好左腕いうよりインステップの変則左腕だった。
 報徳の今朝丸・間木は88-89の東邦キク山田みたいになってしまいましたね。山田投手は88年に選抜準優勝(夏は出られず)で翌年の選抜で優勝。でもその夏は倉敷商に初戦敗退。今朝丸・間木コンビもすっかり春男になってしまいましたね。
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yFSk9
 今夏、広陵が仲間入りした帽子、ユニフォーム、アンダーシャツが白系統の学校はすぐ思いつくのが以下の通り。広陵は選抜に出るときは元に戻すんでしょうね。

優勝経験校--済々黌、早実、観音寺中央
準優勝経験校--土佐、拓大紅陵、小山
今年出た--耐久、田辺
たまに出る高校--東筑、倉敷工業、米子東
めったに出ない高校--愛知、前橋、高崎

なんか他にもあった気がするけど、倉吉東や和歌山の桐蔭とかも白系統のユニだったおぼろげな記憶があるようなないような。

 広陵中井監督の勝利インタビューで、「白にして負けると何言われるかわからなかったので、白で勝ててよかったです」みたいなことを言っていたのは面白かった。
37.
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wOGQ6
 昨日は長野日大の山田投手と花巻東の葛西投手と二人の左のサイドハンド投手が登板しました。結構、珍しい。左のサイドハンドでいちばん有名なのは07年に佐賀北を優勝に導いた馬場投手だと思います。ただ、一番、実力があったのは88年夏に甲子園に出た拓大紅陵の高橋投手です。ストレートはかなり速く、社会人経由で日ハムに行っています。ある意味ハンカチ王子の先輩で、群馬の高校に進学せず県外の強豪校でエースをはった人でした。戦力的には優勝した広商より強かった思いましたが、初戦で有力校(優勝候補だったような?)の松山商を一蹴した後、浜松商に粘り負け。

 帽子、ユニフォーム、アンダーシャツの3点が白系の高校ってめったに出ないところは結構、ありますね。岩国とか盛岡一、福岡(欠端投手がいたな)、東奥義塾の東北勢とか。進学校が多く採用しているユニフォームのイメージがあります。だからか縦縞のユニフォームと比較して弱っちく見えます。

 朝日新聞認定の優勝候補は青森山田を除いて2回戦までで4校が負けてしまいましたね。建大以外はランクが最低か下から二番目のランクとかの前評判が低いところに負けています。これも飛ばないバットの効果かな?木製バットに時代だと71年は東西の横綱だった日大一高とPL学園がそれぞれ磐城と郡山に初戦敗退。72年は東日本が優勢と見られたようですが、春夏連覇を目指した日大桜丘、掛布がいた習志野、大型打線の相模といった優勝候補が初戦敗退。足利工業も2戦目で敗退。55年とかも東西の横綱だった浪商が初戦敗退、桐生が2戦目で敗退と早々と負けています。今後、ジャイアントキリングが起きやすくなるのかも。
38.
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q78A2
 広陵の高尾投手って出場回数は早実の荒木より1回少ないけど、最後の試合で打ち込まれてチームも大敗した点が荒木に似ている。荒木は優勝チーム(横浜、報徳、池田)に3回負けているけど、高尾は今日負けた相手の相模が優勝すれば荒木に並ぶ。荒木の他に優勝チームに3回負けた投手は

横浜商の三浦(82春PL、83春池田、83夏PL)
PLの桑田(84春岩倉、84夏取手二、85春伊野商)

くらいかな?高校野球的には結構、ビッグネーム。

2回負けた投手はビッグネームをあげると、春は1回も優勝できず、選抜決勝で2年連続で負けた戦前の中京商の吉田投手や柴田の法政二高に二連敗した浪商の尾崎等がいます。他にもPLに二連敗した帝京の芝草とか初戦で春と夏の優勝校に対戦した比叡山の村西、なんか小者感が漂うけど松坂の横浜に二連敗したPL上重等がいますね。
39.
ユーザー
HFpam
 青森山田が負けて朝日新聞のあげた5校の優勝候補は全滅したけど、5校は弱くはなく実力校でした。これまでの朝日推薦の優勝候補はほとんどが実力校だけど1校だけ???と思ったのは1999年の北陽。甲府工業に初戦負け。甲府工も静岡と競り合ったくらいだから弱いチームじゃなかったけど、試合を見て北陽は投手力、守備、打撃も並でどこの部分が優勝候補かと思った。多分、大阪大会の準決勝で選抜ベスト4のPLを4-3で破ったのが評価されたと思うけど、優勝候補の実力はなかったと思いました。
40.
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9oQ6P
 正直、タイブレークの優勝はやめてほしかった。数年前のタイブレーク採用時は決勝だけはタイブレークが始まる回がもっと遅かったような(記憶違いか?)。なんかサッカーのPKみたいで好きではない。京都国際みたいなこじんまりとしたチームも好きだが、木製バット時代の戦前の和歌山中(予選から甲子園決勝まで全て10点差以上で優勝)や全試合スクイズ無しで優勝した70年の相模みたいな型破りの優勝も見てみたいです。
41.
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CFinc
 京都国際は68年ぶりの京都勢の優勝ですが、自分が野球を見始めた70年代中頃から90年代中頃までは、京都のチームは近畿勢とは思えないほど弱いチームが多かったですね。力があったのは余田と清川の2投手がいた78年の京都商や81年の井口の京都商、三原監督の京都西くらいかな(前川投手の北嵯峨も好チームだったけど)?準優勝した井口の京都商は打線が弱く強力チームとは言えなかったですね。この時期、甲子園で優勝候補になったのは87年春の京都西や岡島投手がいた93年春の東山くらいかも。ただ97年に川口投手の平安が出てから京都のレベルが上った気がします。この時期以降の平安は服部とか高塚とか好投手がいて、しかも打線も強力で甲子園に出場すれば強かったですね。93年に赴任した原田監督のおかげなんでしょう。打倒平安で京都のレベルが上ったのかな?
42.
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9IAuC
 今年から二段モーションが解禁されて、一番モヤモヤしているのは80年の春夏に広陵のエースで甲子園に出た渡辺投手?審判から色々言われたそうですから。二段モーションが解禁されてバッターもタイミングを取りにくくなったことも投高打低の一因とされていますね。相模の藤田なんかあの長い脚を二回も上下させて疲れないのか思います。体力的にはドジャースの山本投手みたいなすり足投法が一番楽なのかな。相模の藤田は顔も面白かったです。終始しかめっ面で投げている投手は初めてかも。
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HwuGO
 今年の夏のNHKの放送ではPLの中村元監督が2試合解説をしていましたが、99年に解説をしていた時と違って、声がおじいちゃん声になっていて、超聞きづらかった。最近のビートたけしみたい。中身も広陵の打者が構えているときに人差し指等を立てていたことを気にして度々指摘してましたが、単に立てないとバットを強く握りすぎてスイングが遅くなるのを避けているだけではと思いました。プロでも指を立てている人もいますし、超天才の内川なんかも左手の人差し指を立てていました。インパクトの瞬間だけ、ちゃんとバットを握っていればいいじゃんとも思いました。99年の夏の中村解説はマニアックで面白かったですが、今年はいまいちでした。
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5ofqv
 名字由来netってサイトで今年の夏の甲子園のレア名字ランキングって特集があって、
1位 南陽工業 阿砂(あすな)、2位 南陽工業 齊郷(さいごう 漢字が珍しいだけ?)、3位 霞ヶ浦 眞仲(まなか 漢字が珍しいだけ?)で全国にそれぞれ10人程度しかいないそうです。レアかもしれないけど面白みにかける名字です。むしろ下位の方に珍名さんがいます。個人的に今年の珍名No.1は広陵の白髪です。どう見ても小学校とかで馬鹿な男子生徒にからかわれる名前です。白髪ってテレビを見てると絶対、毎日画面に映りますし、ありふれた言葉ですがなんで名字にしたんでしょうか?三国志演義の蜀の五虎大将の黄忠みたいにやたらと強い白髪頭の爺さん武将が先祖にいたのでしょうか?それとも自分や子孫が白髪頭になるまで長生きできるようにと願いを込めて明治時代につけた名字でしょうか?名前名字netでは白髪の由来を「雪をかぶった山や野が語源」とありますが、家系図で由来がわかっている自分の名字の由来をこのサイトで調べると、先祖は桓武平氏系の三浦一族のはずなのに源氏系の由来しか出てきませんので、このサイトの由来は調査不十分です。
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bAsa8
 大谷があっさり50-50を達成したけど、NPBも含めた日本人のホームランバッターって観点で見ると掃き溜めの鶴状態ですね。NPBで30本以上ホームランを打っているのは現状、ソフトバンクの山川のみでヤクルトの村上が28本で30本を超えそう。全体的に選手の質が落ちていますね。選手の質を見るには指導法が存在しない項目で見ればいいと思いますけど、投手ならコントロール。打者なら打率とかホームランかな。これも指導法はないでしょう。いくら練習しても素質がないと向上
しないでしょう。昭和の頃は巨人の王さんと長嶋さん。それ以降でも原と怪我する前の吉村。西武には秋山と清原。大洋だと松原と田代とか本塁打を30本以上を狙える日本人打者が各チーム最低2人はいた気がします。少子化と他のスポーツとの選手の奪い合いでこれからも選手の質の低下は続いていくんでしょうね。高校野球的には大谷は甲子園で1勝もしていないし藤浪から打ったホームランくらいしか記憶にないので話題にしづらいですね。ストレートも球速は出たけど球質は良くなかったですし。
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TRzTp
 先月の甲子園の準決勝で関東一が9回裏のホームでのタッチアウトで決勝進出を決める劇的な幕切れでしたけど、92年選抜の決勝帝京対相模の9回裏のホームタッチアウトでの帝京の優勝のほうが、決勝だけに感動的だった。決勝での珍しいサヨナラ勝ちだと80年の選抜での高知商が帝京戦でサヨナラ犠牲フライで勝ったのが挙げられるな~とか考えていたら、夏の大会って最近、決勝でのサヨナラ勝ちってないよな~って思いました。記録を見ると85年夏のPL対宇部商戦が最後なんですね。平成以降はないんですね。選抜だと、最近でも相模が明豊に3年前にサヨナラ勝ちしていますし、2016年の決勝でも阪神の村上投手がいた智弁が高松商にサヨナラ勝ちしていますし、91年の決勝でも松商の上田の下手な外野守備で広陵がサヨナラ勝ちとか東邦と上宮の試合とか結構ありますね。夏は、春より打力が向上して、点差が開く決勝も多いからサヨナラ勝ちは少ないのかな。んでも、今後は今年の夏の決勝みたく新バットで僅差の試合が多くなるからサヨナラ勝ちが増えるかも。75年から4年連続で夏の決勝でサヨナラ勝ちが続いたの本当に奇跡でしたね。
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XQ98o
 2週間前のBSフジのプロ野球レジェン堂のゲストは西武の東尾投手でした。話題が下関商出身の池永投手になったとき、MCの徳光アナが池永は黒い霧事件がなければ300勝はできたでしょうと振ったら、東尾はうーんと唸って、池永投手は東尾が入団したときには肩がボロボロだった言いました。投手陣の練習にも出ずに肩にお灸をしていたそうです。すでに引退間近だったのでしょうか。
 あの頃はそういう投手が多かったですね。浪商の尾崎も100勝を超えたところで引退していますし。池永も下関商時代は練習時代のダブルヘッダーは二試合とも投げさせられるとかあって西鉄入団時に登板過多ですでに故障がちだったのでしょうか。尾崎なんか1984年のみゆき野球教室で草野球をしている姿を見ましたが、まだ若いのにストレートは100km前後で今年の甲子園での開幕試合の始球式の江川のヘロヘロ球といい勝負でした。
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6DTcX
 7月の朝日新聞に池田高校の現状を伝える記事が出ていました。7月時点で部員63人中38人が県外出身者だったそうです。なんでも2016年に徳島の県教育委員会が少子化を理由に保護者の引っ越しを不要にして生徒本人だけの転居を認めたそうです。徳島県の公立32校のうち20校が県外生を受け入れたとのことです。今夏、甲子園に出た鳴門渦潮もベンチ入り20人中4人が兵庫、1人が京都出身でした。徳島県は日本で唯一私立校が甲子園に出たことが無い県だったと思いますが、母屋のほうが県外民に乗っ取られる感じ。昔は蔦監督が「山あいの子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」って言っていましたが、山の子が少なくなっちゃった。山の子が多かったのはイレブンの時代までですかね?80年頃から徳島中から池田に有力球児が集まって他校からやっかみ半分でオール徳島みたいなチームって言われていたそうですから。その副作用かどうか、たちの悪い球児も紛れ込むのようで83-84年は不祥事(飲酒や無免許運転だっけ?)が起きて赤城国体の出場辞退や84年の選抜の推薦校辞退とかありましたね。
 こうした県外生の受け入れは、他県でも特に山間部の公立高校で増えていきそうです。今年の三重代表の菰野なんか半数は愛知出身者でしたね。西短との試合では西短のほうが7割は地元民で、90年の西短は県外出身者の方が多く週刊新潮に叩かれていたのに、時代はかわったなぁと感慨深かったです。自分の出身県の群馬の利根商も公立校なのに県外出身者を増やしていますね。寮も個室で私立顔負けのトレーニング施設を整えたり、監督も近大付の甲子園経験監督の豊田さんを引っ張ってきたり、現在は桐生一の甲子園優勝監督の福田さんが監督をしていて、県内ではコンスタントに上位進出を果たしていますね。甲子園出場は近そうです。ただ、池田もそうだけど、県外出身者を増やして地元に愛される野球部になるのか疑問です。93年にJリーグブームにプロ野球が押されていたときに巨人の長嶋監督が、日本の野球は高校野球があるから大丈夫と言っていましたが、選手の地域性がなくなると高校野球の人気も落ちちゃうんじゃないかと心配しております。80-90年代の広島県みたいにベンチ入りメンバーの県外出身者の人数制限が必要な時期に来ていると思います。
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tIqgu
 巨人て自分が野球を見始めた70年代中盤は王、柴田、高田と甲子園優勝経験者がいました。甲子園準優勝投手だと尾道商の小川、静岡商の新浦がいました。ドラフトでも鹿実の定岡、東邦の山倉、銚子商の篠塚、大分商の岡崎ら甲子園で活躍した選手を多く指名していました。阪神経由の江川もいたな。80年代もPLの吉村、桑田、橋本、大府の槇原、大学経由だけど相模の原、熊工の緒方、浪人したけど上宮の元木、池田の水野等の甲子園の有名球児の指名がありました。90年代になると星稜の松井や大学経由だけど桐蔭学園の高橋を除くと、大学生や社会人の即戦力の選手の指名が増えて、甲子園球児の指名が少なくなりましたね。巨人戦の視聴率も減って、地上波で放送されることも少なくなり、巨人の人気は甲子園のヒーローで成り立っていたなと2010年代に気づいたのか、この辺りから甲子園球児の指名が復活した気がします。智弁の岡本とか、くじで負けたけど星稜の奥川なんかを積極的に指名していました。20年代になっても甲子園で活躍した相模の石田、明徳義塾の代木両投手や一昨年の甲子園のヒーローだった高松商の浅野を獲得していますし、今年は相模の藤田投手を指名してくれないかと願っています。
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gSxt5
 プロ野球レジェン堂で西武の大エースだった東尾が67年の秋の近畿大会の一回戦と準々決勝でノーヒットノーランをやったと紹介されていましたが、これって二試合連続ノーヒットノーランだったんですね。調べると東山と甲賀戦で連続ノーヒットノーランをやっていたんですね。甲子園とレベルが変わらない大きな大会で連続はすごいですね。作新の江川でも栃木大会ではバカスカ、ノーノーをやっていますが関東大会では7回参考記録で前橋育英戦のみです。PL桑田は近畿大会では参考記録で完全試合を一試合。85年の春の近畿では決勝で天理相手にノーノーをやっています。近畿大会での9回投げてのノーノーはこれが最後のようです。高校時代の東尾ってどんな投手だったのでしょう。球は速くなかったそうですが。
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9yra5
 秋季関東大会準々決勝佐野日大戦で健大高崎の石垣投手が2年生投手としては史上最速の158kmを出しました。その瞬間をスポーツナビの毎日新聞社の動画配信で見ていましたが、そこまで速いとも感じませんでした。石垣投手は結構、点を取られるしバッターボックスの体感速度はそれほどでもないのかな?群馬の投手であいつのストレートは高校生では打てないと言われたのは1983年の前橋工渡辺久信投手だけですね。二人の監督に言われました。一人目は春の関東大会で前工に7回コールド完封負けでしたが二桁三振を取れらた横浜商の古屋監督と、その夏の群馬大会準決勝で完封負けした東農大二の齋藤監督です。農二は三振14個くらい取られたと思います。ストレートが高校生には打たれないと評された投手は私は前工の渡辺しか知りません。渡辺も全国大会で言われたわけではないので、地方ではそのように称えられた投手はいるかも知れません。渡辺は西武時代に最多勝3回。日本シリーズでの6連勝(今でも最高記録とか)とか群馬産の投手としては別格の活躍でした。83年に甲子園に出ていれば甲子園の歴史は変わっていたとかいう評論家さんもいますし。
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DUg0A
今週のスポーツレジェン堂のゲストは堀内恒夫さんでした。貴重な西宮球児です。4歳で右手の人差し指の先端を製麺機で切断したことで大きなカーブを投げられるようになったことは知っていましたが、ストレートも意図せずカットボールになってしまったそうです。これは初耳でした。本人曰く、巨人でのルーキーイヤーが一番球が速く、155kmだったと(補足するとホームベース上で光電管を使った測定で155.5km)。巨人の歴代の投手で一番球が速いとのたまっていましたが、左のエースだった高橋一三投手は同じ測定で156.46kmでまさっています。前に雑誌NUMBERのインタビューで堀内について聞かれ、速いと聞いていたけど大した事ない。俺の方が速かったとのたまっていました。
 堀内は一年のとき選手権に出ましたが、記念大会で出場校が多く西宮ゾーンに入ってしまい3勝すれば甲子園で試合ができたそうですが3戦目で優勝した明星に大敗してジエンド。調べると2年の秋の関東大会でも準優勝していますが当時の関東東京の出場枠はたったの3校で東京の2位校が甲府商より実力上位と見られて選抜に出られなかったようです。つくづく甲子園と縁がない人だったのですね。19歳で終速155kmだったら高3の春でも終速150㎞位で選抜でも大活躍できたのでは?
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TixKQ
甲府商の堀内じゃないけど、選抜の各地域の最後の枠の選考で選ばれなかった好投手って言うと87年の選抜に出られなかった沖縄水産の上原投手を思い出します。86年の秋の九州大会で準決勝で波佐見がコールド負けしたことで、最後の4枠目を波佐見と日向学院、初戦で優勝した西短に負けた沖縄水産が争う形になりました。野球雑誌等では好投手上原がいる沖縄水産が有力視されていましたが、結果は日向学院。沖水は補欠校の二番目でした。選考理由では日向学院が投打ともに沖縄水産を上回るだったと思います。報知高校野球なんかは選考理由にそんなことはないでしょうとツッコミを入れていた記憶があります。選抜に出た日向学院はこれも弱っちかった伊香との乱打戦を制しましたが、次戦で八戸工大一の河村投手に完封負け。正直言って弱いチームでした。上原は夏の大会は全部出られましたが、選抜はこの大会だけ出られなかったんですよね。相模の村中パターンです。69年度生まれの球児の中では上原は智弁の辻本と並んで下級生のときから有名だった記憶があります。特に上原は沖縄に優勝旗を持ち帰れる大器かとも思っていました。金属バット採用以降、夏の甲子園に3回出てかつ登板した投手って相模の村中、早実の荒木、PLの桑田、沖水の上原、智弁和歌山の岡田(現中日)くらいかな?
上原のことを大器と書きましたが、プロ入団後に桑田と投げあった中日-巨人戦を見ていたら、解説の広岡達朗さんが上原と桑田の投球フォームを比較して、桑田は体が開かないように粘って粘って右腕を振り下ろせる。桑田のほうが役者が1枚上と話していました。スピードガン的には上原のほうが球速が桑田より出ましたが、打者のバッターボックスでのスピード感は桑田のほうが上だったのでしょう。
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DNK2v
 報知高校野球の最新号を見ていたら広島の如水館の監督が82年夏の甲子園に出た静岡のエースだった大久保投手になっていたんですね。静岡と池田の試合は見られなかったのですが、池田の畠山投手が南海に入団した同期の中で大久保と崇徳から来た山川投手の方が自分よりストレートが速いって83年の野球雑誌に話していたのを読んだ記憶があります。確かに畠山ってストレートは伸びがなく(スライダーはよかったけど)、コントロールもいまいちで投手として魅力は感じませんでした。畠山は完封試合がなく、当時の甲子園優勝投手で完封試合のない投手って珍しかったです。畠山の南海同期で成功した投手は今治西の藤本くらいでしたね。如水館って一時期は広島の常連校でしたが、もう十年以上甲子園に出ていないのですね。中国大会にチームを導いたから指導力はあるのでしょうから頑張ってもらいたいです。
55.
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fQ7kB
 個人的には今年の甲子園の華は大社旋風でした。前評判の低い大社がベスト8まで勝ち進んだのは見事でした。でもよくわからないのが旋風の定義です。前評判が低いチームが勝ち進んでも旋風と呼ばれない事が多々あり、以下の理由が考えられます。
(1)コンスタントに甲子園にでる。例:71年夏の磐城、78年春の浜松商、94年夏の佐賀商
(2)地区のレベルが高い。例:85年春の伊野商
(3)初出場だけど実績がある。例:76年夏の桜美林(春の関東大会優勝)、91年春の市川(秋の関東大会優勝)
 よく分からないのが86年春の宇都宮南です。前年の秋の関東大会で拓大紅陵にコールド負けしたこともあり、関東で最後に選ばれ、エースの高村も2年生でチームの評価は低かったです。それが優勝候補筆頭の高知を破り強豪広島工(夏は優勝候補に挙げられた)も破って準優勝。でも旋風の称号は新湊に行ってしまいました。関東はともかく当時の栃木がレベルが高い県とは言えず、要は一大会に2つの旋風は要らんということで宇都宮南旋風と言われなかったのでしょうか?謎です。
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N0F8Y
金属バット採用から甲子園で完全試合やノーヒットノーランを達成した投手の中で前橋の松本投手だけ異質ですね。松本さんだけ技巧派で他はプロにいかなかった投手もいるけど全員がドラフト候補生でした。完全試合を食らった比叡山の選手は配球の読みをことごとく外されたと言っていましたが、西鉄の稲尾投手のように心理学者タイプの投手(野村克也さん談)だったようですね。松本さんは技巧派だけどストレートは伸びていましたね。78年の春の県大会で好勝負と言われた前橋対館林戦を見ました。相手の大山投手は右投手の本格派としては県内屈指の好投手でしたが、一塁側観客席から二人の球筋を見ていると初速は大山投手のほうが上でしたが、明らかに松本さんのほうが球が伸びていました。館林優位と野球関係者には言われていたようですが、試合は5-0で前橋の快勝でした。
57.
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z1EvE
 先日、掛布、イチロー、岩瀬、富澤元審判の野球殿堂入りが報じられましたが、桑田はだめなのかな。殿堂入りメンバーを見ると、戦前の夏の甲子園3連覇の中京商吉田投手と、終戦後の夏の甲子園2連覇の小倉中福嶋投手が入っています。この二人は大学や社会人での活躍も評価されたようです。桑田はいわば夏の甲子園2.5連覇で、プロでも活躍しています。戦後の甲子園で3年間にわたって活躍しプロでも活躍したのは桑田と清原くらいでは。それ以外でも桑田は初めて本格的に筋トレを効果的に取り入れた投手で、それによって小柄で完成された投手はプロで大成しないという当時のスカウトの常識を破った功績もあると思います。90年に虚偽報告で謹慎を1ヶ月くらったスキャンダルもありましたが、殿堂入りメンバーの東尾の麻雀賭博で謹慎6ヶ月に比べると軽いです。このまま殿堂入り候補のままで終わってほしくないです。
 清原は厳しいですね。成績的には殿堂入り確実の江夏が麻薬スキャンダルで殿堂入りしていませんから、同じ麻薬事件を起こした清原は無理でしょう。
58.
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ohEk5
 スポーツニュースで巨人の田中投手が出てくるとセットのように1976年の夏に柳川商のエースで甲子園に出た久保巡回投手コーチが映ります。この時しみじみ思うのが、久保ってこんなに小さかったっけ?って、感想です。田中が188cmに対して久保は178cmと、投手としてはやや小ぶりですね。甲子園当時の久保は180cm代中盤の大型投手ってイメージがあっただけに意外でした。まあ、好投手は大きく見えますからね。
 実際に近くで見て意外と小さいなと思ったのは1998年の春の関東大会で見た横浜の松坂投手です。開会式直後で球場から出てきたばかりの松坂をすぐ近くで見ましたが、こんな小さいのかと驚いた記憶があります。選抜後の松坂は身長が178cmで自分と同じで、プロ時代と違って細かったから小さく見えたのかもしれません。甲子園の松坂は大きく見えたんですけどね。
59.
ユーザー
K0AAN
山火事の件で、毎日のように大船渡の地名を聞きましたが高校野球ファンとしては1984年の大船渡高校を思い出します。選抜のときは佐藤監督がピアノを弾いて部員たちが斉唱した校歌を流して、その朴訥とした感じがすきでした。大船渡一中が全中でベスト8に行ったときの選手がそのまま大船渡高校に進学して出来たチームで実力校でした。岩手のチームが甲子園で勝ったのを見たのは77年夏の黒沢尻工が鹿児島商工に勝ったのを見て以来で、上位進出したのを見たの初めてでした。特に金野投手は171cmと小柄だけどなかなかの好左腕で、自分が見た左腕投手の中では一番コントロールが良かったかもしれません。準々決勝で前年の選抜で池田を苦しめた山本賢がいた優勝候補の明徳義塾に完封勝ちして、最後は優勝した岩倉にサヨナラホームランで敗れるという劇的な負けっぷりで、本当に記憶に残るチームでした。もし決勝に行っていたらPLも金野投手には苦戦したでしょう。
 夏も出たけど、結果はいまいちでした。相手が好投手西田と名将林監督がいた長浜とはいえ、15安打を西田に浴びせたのに5安打の長浜に敗れるってどうよ?相手に3倍の安打数を浴びせて負けたチームってあんまりないぞ。金野は明大に進学したらしいけど活躍はできなかったようですね。秋田商出身のヤクルトの石川投手を見ると金野もプロで活躍できたかもと思わないでもありません。選抜後は左肘を痛めていたらしいですが。
60.
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Jy4PG
 先日、花巻東戦で先発した米子松陰の新里投手は身長が158cmと小柄で、74年から高校野球を見始めたけど、初めて見た150cm台の投手かもしれません。過去には1922年の夏に甲子園で準優勝した神戸商の浜崎投手が156cm、1954年の春に優勝した飯田長姫の光沢投手が157cmと小柄でしたが、二人の時代は日本人の平均身長が160cm前後の時代でしたから、相対的には新里投手は、本人的に嬉しくないでしょうが、甲子園史上最も小柄な投手かな。
 小柄な投手って技巧派が多いけど、速球派と思ったのは1996年の春夏とも甲子園に出た横浜の松井投手です。高校時代は身長168cmでしたが、速球は140km台で当時を代表する好投手でした。渡辺監督も96年の時点で過去のチームと比較しても96年のチームは横浜史上3本指に入るチームと高く評価していて、愛甲以来久方ぶりに夏の勝利をあげたチームでした。3回戦の福井商戦で9回表に松井の3塁への暴投が起点になって6失点して4-8で逆転負けして勝てる試合を落としたのは残念でした。
 低身長の投手にも優位な点があって、スピン量の多いストレートを投げられれば、球の出どころが低い方が打者から見て球がホップして見える効果がより大きいとスポーツ科学者の國學院大學の神事先生が言っておりました。史上最速投手に挙げられることが多い、阪急の山口高志投手も169cmの低身長の効果で球が更に浮き上がって見えたそうです。他にも江本孟紀が身長が高いほうがストライクゾーンが狭く見えてコントロールしにくいと以前、解説で言っていましたが、コントロール的にも低身長の方が優位かも。
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r4znE
 早実といえば、1963年の選抜以降甲子園に出られず、和田監督が調布リトル・シニアから選手を受け入れるようになって1975年夏に復活出場しました。75年のチームは調布リトル出身のエリート球児が多く、強いんだろうなと岐阜の中京商戦を見たら、後にドラフト指名された今岡投手に0-5で完封負け。大した事はありませんでした。でもこの時の有賀捕手が調布リトルからのプロ1号だったようです。調布リトルは70年代頃、7年連続日本一になって、荒木大輔の時は世界一に輝いたりと、日本で一番有名な少年野球チームだったと思います。早実以外にも進んだ選手も多かったようで、81年夏の東東京大会決勝で早実と戦った豊南のエースは調布リトルで荒木の一年先輩の投手でした。野球漫画にも調布をもじったチームが出たり、ギャグ漫画のすすめパイレーツにも調子リトルとか明らかに元ネタがわかるチームも出ていました。んでも21世紀になると、輝きはなくなっているようで、2000年以降、調布リトルからプロ入りした選手は超有名な清宮と山梨学院の宮崎の二人だけのようです。週刊ベースボールの選抜特集号だとベンチ入りのメンバーだけでなくベンチ外の選手の出身チームが載っていて、それによると、今年の選抜時点で早実の調布リトル・シニア出身者はベンチ入りメンバーで控えで一人、ベンチ外も一人だけでした。昭和の頃とだいぶ違いますね。
 調布リトルが7連覇した時の鈴木監督が90年代に山梨学院に移ってから調布は弱体化したのでしょうか?70年代って、そもそも硬式の少年野球チームも少なかったと思います。群馬県に硬式の少年野球チームって70年代はなかった気がする。少なくとも勢多郡にはなかった。今はボーイズリーグだ、ポニーだヤングリーグだ、って感じでリーグも増えチーム数も多く選手も分散して、調布も昔のようにいい選手を集められないのかな。
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TtrGK
この前の選抜の浦和実業石戸投手は興味深かったです。120km台のストレートで打者を振り遅れさせるって上手投げでは初めて見たかも。下投げだと82年夏の熊本工奥村投手とか99年春の水戸商三橋投手がいました。上手だと130km台のストレートで打者を詰まらせていた投手として80年春の帝京伊東、83年夏のPL桑田、99年夏の桐生一正田らが思い出されます。正田は3回戦までは140km台出ていて、準々決勝以降は疲労で130km台しか出なくなったけど、準々決勝の桐蔭学園戦では相手打者が振り遅れてどん詰まりの打球になることが多かったですね。この5人はストレートの伸びが良くて、打者をつまらせていたけど、石戸はボールの伸びだけでなく変則フォームで球の出どころを見にくくして相手を詰まらせていたのが凄いです。阪急・オリックスで活躍した星野投手みたいな感じでしたね。
 星野投手は、最近、ジャンクスポーツで球の遅さをネタにされているけど、90年代なかばのNHK BS1で史上最速投手は誰だみたいな特集番組で、近鉄の名捕手だった梨田さんは、星野投手がパ・リーグで一番球が速かったと証言していたし、スピードガン表示って本当に当てにならないなと当時も思いました。山本昌も似た感じで球の出どころの見えにくい投球フォームって本当に大事なんですね。
63.
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N4BP0
 今年の選抜での話題校といえば壱岐高校。21世紀枠とはいえ九州大会ベスト8の力もあり、勝ち進めば大会も盛り上がったでしょうに初戦の対戦相手は西の横綱だった東洋大姫路。前々から思っていたのですが、初出場の公立の話題校っていきなり強豪校と対戦することが多くね?すぐに思い出せるのが、好投手や完全試合監督、進学校、都立高等で話題となった以下の高校と対戦相手
1978春 印旛 対 PL
1980夏 都立国立 対 箕島
1981春 高崎 対 星稜
1987夏 中央 対 PL
1999夏 都立城東 対 尽誠
2004夏 都立雪谷 対 PL

初出場じゃないけど、久方ぶりに出た進学校の例では
2000夏 札幌南 対 PL
2005春 高松 対 宇部商

全部負けました。印旛なんか剛腕菊池を擁して関東大会で優勝して力もあったから、1977春の中村が初戦で強くもなかった戸畑に快勝して勢いに乗ったように、初戦で岐阜とか比叡山とかにあたっていれば、上位まで行けたかも。菊池も自信喪失せずに野球人生も変わったんじゃないかな。その後低迷期から復活して、野茂や古田ら錚々たるメンバーがいた88年のソウルオリンピック代表に選ばれたくらいだから、素質は高かったと今でも思います。中央も好投手小島を擁して投打に力のあるチームでPLの立浪や片岡らが、甲子園で春夏戦った試合で、一番苦しかったのが中央戦って今でも言っているくらいですから、初戦で弱いところとあたっていれば、上位進出もできて大会ももっと盛り上がったでしょうに。
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mc3M7
 先日、BS8のプロ野球レジェン堂で巨人の大エースだった斎藤雅樹が出演していました。高校時代の話になって、斎藤がいた市立川口の内山清監督って阪神出身の元プロ野球選手だったという話題が出ました。しかも池田の蔦監督と違って1950-51年と二年連続開幕投手を務めたエース格だったそうです。82年夏は決勝で熊谷に負けましたが、勝っていれば30年前のことを覚えている阪神ファンはまだいっぱいいたので、元開幕投手の甲子園への帰還ってことで話題になったでしょうに惜しいことです。
 1988年は決勝で浦和市立、1997年も同じく決勝で甲子園で優勝候補にあげられた春日部共栄に0-1で敗退と3回の決勝で全敗で運のない監督さんだったようです。82年は55歳だったようですが、テレビで見ていて妙にジジ臭かったですね。斎藤もおじいちゃんって言っていましたけど、97年の決勝も見たけど完全におじいちゃんになっていましたね。池田の蔦監督もそうでしたけど、昭和の50代の監督さんて爺さんに見えるジジ臭い人が多かったですね。
 1961年に柳川事件が起きて、プロ野球出身者がアマチュア野球の監督さんになるのは超厳しくなりましたが、それ以前は今みたいにプロ出身の監督さんは多かったかも。ネットで調べたけど新しい監督さんばかり出てきて、昭和の時代のプロ出身監督なんか全然出てこない。
 市立川口のユニフォームって、当時としては珍しかった縦縞だったんですけど、阪神出身の監督さんだったから縦縞だったのかと腑に落ちました。82年当時だと縦縞のユニフォームって東海大系列、東北、帝京、明徳、秋田経法大付、公立では印旛くらいしか知りません。自分が育った群馬だと、縦縞って一時期、前橋育英がヤンキース風のユニフォームだったことがあったくらいでしたね。昔の前橋育英もそうだけど野球部に力を入れているけど甲子園に縁が無い私立校って、コロコロ、ユニフォームが変わる傾向がありますね。今住んでいる千葉だと、千葉英和とか甲子園出場前の中央学院とか、見るたびにユニフォームが変わっている(いた)印象があります。
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gmIrZ
 アマチュア野球の元祖縦縞のユニフォームって立教大学みたいですね(社会人は知らん)。1953年に砂押監督がヤンキースのユニフォームを参考に縦縞のユニフォームを採用したそうです。東海大学の野球部は1964年の創部だから立教が先ですね。1976年夏に初めて佐々木投手の東北高校を見たんですけど、縦縞のユニフォームに加えて応援曲に立教大学の応援歌で有名なSt.Paul's will shine tonightを演奏していたので、当時は立教大の系列校かと思っていました。創立者が立教OBだったのでしょうか?

 大阪桐蔭の浅村が同校の初めての名球会入り資格を得ましたが、2000本安打への到達最速打者って、王さんの早実時代の先輩だった榎本喜八なんですね。王さんと同じく荒川博さんに師事していたから、王さんの兄弟子なんですね。野村克也さんが榎本のことを打席での隙の無さ(欠点がないってことか?)は張本以上と言っていたから、大変な天才バッターだったんですね。wikiを見ると猟銃を持っての立て籠もり事件とか、王さんと違って奇行が目立った選手のようでしたね。
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iM09q
 5月の下旬のBS8のプロ野球レジェン堂のゲストは甲子園でも活躍した小松辰雄でした。星稜時代の話も出て、初めて知った情報としては、1年生の時も2番手投手でベンチ入りしており、夏の北陸大会決勝では先発して4失点し、4-5で金沢桜ヶ丘に負けたこと等を話していました。小松も荒木とか桑田ついでに洗平みたいに3年連続で地区大会の決勝で投げていたんですね。ちなみにその時の3年生エースはヤンチャで、そのせいで2年生が6人しかいなかったとも話していました。当時の山下監督は甘かったのでしょうか?不良なエースのせいで下級生部員が大勢退部するのを許していたなんて。3年夏の甲子園の初戦敗退にも触れていて、試合開始前のブルペンでの投球練習をしようとしたら、何故か2年生の正捕手が遅れてきて試合前のウォーミングアップが不足したらしいです。それを見ていた後の名将高嶋監督が、点を取るのは試合の早いうちだと判断した、と後に小松が高嶋監督から聞いたそうです。実際、1,2回にそれぞれ一失点して1-2で智弁に負けました。このエピソードも初耳でした。
 個人的に小松の試合で一番記憶に残っているのは77年春の滝川戦です。74年夏から高校野球を見始めて、それまで一番球が速かったと思った投手は74年夏の静岡商の高橋投手でした。静岡で3試合連続ノーヒットノーランをやっただけあって、めちゃくちゃ速かったです。2年生の小松も早かったけど、高橋よりは劣るかなって個人的には思っていましたが、翌年の滝川戦の小松は高橋以上でした。番組では足首と肩を故障し、ナイターでキャッチャーサインも見えなかった言っていましたが、下手なプロの投手より全然速かったですね。滝川の森とかいう2番打者に走者一掃の長打を打たれたりしてワンチャンスを生かされての敗戦でした。
 小松は無骨な感じで大好きな投手だったんですがぁ、1987年に巨人の桑田と最多勝のタイトル争いをした時に、リリーフで出てきて勝利数を荒稼ぎしてせこい真似して桑田に勝ちました。なのに桑田が沢村賞を獲得すると、談話等で納得できないと駄々をこね始めて、沢村賞は先発完投型の投手に贈られる賞って知らないのかと、そのアホさと女々しさに呆れて、かなり嫌いになりました。桑田なんかは98年にヤクルト川崎と最多勝争いをした時に、池谷コーチからリリーフに出て勝利数を稼がないかと提案されましたが、それを漢らしく断っているんですけどね。その結果、1勝足らずに桑田は川崎に負けましたがね。
 小松は12歳の時にソフトボール投げで70m投げられたと言っており、巨人の大エースだった斎藤は10歳の時にセンターからバックネットにボールを当てられたってレジェン堂で話していました。二人共、持っているものが常人とは違うのですね。
67.
ユーザー
iM09q
 長嶋さんが亡くなりましたが、高校野球的には同じ巨人の川上さんとか王さんとかと比べてネタが少ないです。公式戦の初ホームランが最後の夏の南関東大会?の熊谷戦で打ったホームランくらいですかね?王さんなんか高校時代のエピソードも載った伝記漫画がジャンプで連載されたこともあったし、川上さんも自伝のもっこす人生で呉港中学の藤村投手の速球に驚いたエピソードがありました。長嶋さんは藤田元司さんと同じで東京六大学野球の人ですね。高校野球名勝負物語とかいう本は結構ありますが、六大学野球名勝負物語とかあるのかな?立教での活躍も最多本塁打記録を持っていたことくらいしか知りません。大学野球の名勝負って高校野球以上にマニアックな人達くらいしか知らないのかも。六大学野球が出てくる野球漫画も水島先生の男どアホウ甲子園の六大学野球編くらいしか知りません。
 自分も長嶋さんの現役時代は見たことはなく、すごい選手だったらしいことしか知りませんが、面白いエピソードは大好きでした。御冥福を祈ります。
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JftSe
 今朝の新聞を見ていると小さな記事でしたが、作新の名将小針監督が選手に素手でノックを受けさせる危険行為があったとして12月まで6ヶ月の謹慎処分を高野連から受けたとありました。Yahooニュースを見るとノックではなく弱めに投げた送球を受けた際にシュート回転をした球を受けそこねて指を骨折したそうですね。素手ノックってそこそこのレベルの高校ならやっている練習では?送球した際に軽く投げられないやつってプロ野球選手でさえたまにいるけど、そういうやつがいたのかも。素手ノックで謹慎処分って厳しすぎ。1983年夏の神奈川大会の5回戦で選抜準優勝の横浜商と対戦した寒川高校なんか試合前のシートノックを素手でやったって翌日の朝日新聞に出ていました。横浜商ナインも気合入ってんなと圧倒?されたせいか4-3で辛勝だったそうです。今の基準だったら、寒川は試合禁止処分になっていたのでしょうか。当然、当時の寒川になんの処分もありませんでしたが。正しい捕球法を体得する一つの手段として優しい素手ノックはありと思いますがね。送球を受けるのはやばいかもしれんが。
69.
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2HsBS
 去年の日本人の出生数は68.6万人。年度数は無視して、今の高校3年生が生まれた2007年は108.9万人で、2007年に対して2024年は約37%減少。18年前は108.9万人生まれたのに現状、選手権出場校は減り続けて連合チームもやたら目につきます。37%減の18年後の高校野球は一県一代表を維持できるのでしょうか。今年の千葉の出場校のベンチ入りメンバー表を見て驚いたのが、甲子園経験はないけど千葉の有力校のイメージがあった横芝敬愛のメンバーが14人しかいなかったことです。横芝敬愛は関東大会にはたまーに出てるし、1回目のWBCの胴上げ投手になった大塚投手も同校出身で、他にもプロへ行ったOBはいますし、2000年代には山梨の市川高校から名将渡辺監督を引き抜いたし等、学校側も野球部強化に力を入れていると思っていたのですがこの状況です。野球少年も減っているようですし、18年後を考えると本当に恐ろしいです。
71.
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ppe3b
 最近、命名権ビジネスのせいか野球場の名前がやたらと長くなっています。千葉だと成田市にある「なごみの米屋ぴーちゃんフィールド大谷津球場」て言うのが長いです。朝日新聞の球場案内でぴーちゃん球場だけ二段で表示されていました。他にも長いなと思ったのが

熊谷市の「おふろcafeハレニワスタジアム熊谷」
八王子市の「スリーボンドベースボールパーク上柚木」
平塚市の「バッティングパレス相石スタジアム平塚」

響きの間抜けさはぴーちゃん球場の圧勝ですね。

球場名は阪神甲子園や東京ドーム等のシンプルなのがいいですね。

72.
ユーザー
n9a1k
>>56
同じ頃、78年の春のセンバツだったと思いますが、
祖父・父と一緒に関西に旅行したついでに甲子園にも寄って、
桐生高校の小暮投手(大会No.1投手と呼ばれていた)が投げた試合を観戦しました。
当時自分は中学生でした。
群馬県民ではありませんが桐生側のアルプススタンド近くで観戦しました。
自分が甲子園で高校野球を観戦したのは後にも先にもその1回だけです。
小暮投手の投球姿はカッコ良かったです。
73.
ユーザー
GkI8P
 関東の代表校が一気に6校も決まるのは初めてですね。大体、栃木か茨城から始まって最後が、東京か神奈川で代表校が決まるってパターンが多かったのだけど。バーチャル高校野球で見た群馬大会の後に、録画で見た千葉大会では市船のキャッチャー花嶋が顔面にデッドボールを食らっていた。顔面デッドボールを見たのは、96年の選手権で熊本工の坂田選手が山梨学院の伊藤投手から顎にデッドボールを食らったのを見て以来かも。八千代松陰の投手が技巧派で球威がなく、病院送りになった坂田選手とは異なり応急処置で試合に継続して出られたのは幸いでした。どうでもいいけど千葉大会試合時間長すぎ、延長10回で4時間弱もかかるなんて、WBCの試合みたいだった。
 続いてみた神奈川大会では前の打席でホームランを打った横浜の奥村選手が相模の菅野投手から背中の上側にデッドボールを食らって、激昂しバットでグランドを叩いたあと菅野投手を睨みつけた場面が面白かった。乱闘が始まると思ったのか主審が奥村選手のところに慌てて行ったのも面白かったです。97年の選手権の決勝の最終回で3点差を追う平安の先頭打者の子が智弁和歌山の清水投手からいきなりデッドボールを食らって怒り、清水投手に向かっていこうという素振りを見せたため、慌てて主審が止めた場面を思い出しました。埼玉大会は浦学元監督の森士さんが解説をしていたけど、浦学以外で監督に復帰する気はないのかな?まだまだ若いし、引く手あまただと思うけど。
 栃木と茨城はNHKの放送がなかったので見られなかったけど、青藍泰斗のユニフォームはかっこいい。97年の文徳のユニフォームに似てますね。文徳は縦縞ではなかったけど。
74.
ユーザー
8Bd1f
 広島の崇徳は76年のセンバツ優勝メンバーの山崎を総監督にした効果か、広島大会の決勝まで行ったけど負けちゃいましたね。76年の崇徳は史上最強チーム論争があれば必ず名前が挙がるチームですが他の最強候補と違って76年を除くと、大して強いチームが出てないんですよね。PLなんか85年や87年以外のチームでも優勝したり優勝候補になったチームはありましたが、崇徳は76年だけなんですよね。78年と93年の選抜には出ましたが、正直、全国優勝を狙えるチームとは思えませんでした。法政二だって出場回数は少ないですけど、柴田投手の前の時代に春夏連覇を狙った王投手の早実を破って決勝まで行ったことがありますし、崇徳は76年だけが異様に強かっただけなんですよね。本当に不思議なチームでしたね。
75.
ユーザー
z8os0
 宮崎商のユニフォームの文字はユニークで良いですね。宮のうかんむりを変形して商と似たような文字にしています。読みやすさでいったら読み難い文字ですがデザイン的にいい感じです。64年に選手権で活躍した水谷実雄さんの高校時代の写真を見ても今と同じですし、伝統のユニフォームなんですね。水谷さんは宮崎商のエースでベスト4まで進出し、全国優勝した高知に0-1で負けています。その後、広島カープに行って山本浩二さんや衣笠さんと並んで主力打者として広島カープの黄金期を支えました。広島時代に首位打者、阪急で打点王とタイトルも取っています。ただ、阪急時代の84年に銚子商で全国優勝したロッテの土屋投手から頭にデッドボールを食らって大怪我をしてからめまい等の後遺症に悩まされて、翌年、引退。巨人の吉村と並んで不運な事故で才能を最大限発揮できなかった選手の代表です。プロ入り後の土屋って、ストレートが速いと思ったことはなかったのですが、やはりプロの投手だけあった球の威力はあったんですね。
76.
ユーザー
z8os0
 天理の下手投げエースって久方ぶりに見た気がする(今年の選抜で松村ってなげたっけ?全然覚えてない。)。78年夏の中西投手以来かな?不安定な投手が多かった天理にあって中西投手は初めて見た安定して実力を発揮できた投手です。中西投手は78春の近畿大会で優勝して、夏の甲子園も松商学園、南陽工、日田林工と古豪や強豪相手に3試合連続完封。最後は中京に負けましたが、天理が甲子園で一大会で3勝したのは、この大会が初めてだったそうです。この辺りから80年、85年、優勝した86年と、投手力が安定してバランスの取れたチームになった気がします。
 72年の天理って2勝で選手権のベスト4に進出しているんですね。2022選抜の大阪桐蔭みたい。中西投手で思い出したけど、78年の選抜に出た郡山の池上投手も下手投げで、選抜時は近畿No.1投手って言われていた気がする。同じ県に下手投げの好投手が二人いたのも時代ですかね。今だと下手投げが全くいない地方もあるかも。
77.
ユーザー
OO4aE
 昨日の綾羽と高知中央の試合は終了時間が22時46分。22時台に高校生が試合をしている画面は異様でした。個人的に一番異様だった試合は04年の選抜決勝 済美対名電戦で、ナイターでの優勝決定戦は50年以上高校野球を見てきて、この試合だけでした。昨日の試合で面白かったのは綾羽の安井投手で、初回から4回途中まで投げた間に相手に5回もデッドボールを与えていました。選抜だと77年の丸子実業の桃井投手、98年の高鍋の矢野投手とかド乱調でデッドボールを複数与えた投手はいましたが、夏の大会で1試合でしかも短い投球回数でこれほどデッドボールを与えた投手は初めて見たかも。次の横浜戦が楽しみです。
78.
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3BJZ2
 県岐阜商のユニフォーム、短期間で変わりすぎ。鍛治舍監督になってパナソニック風になったと思ったら、去年が創部100周年記念で戦前のユニフォームにまたまた変更。戦前からの名門で、こんなにユニフォームが変わるチームってないです。
 豊橋中央の高橋投手って珍投手ですね。アントニオ猪木の大ファンらしく、ここぞって時に気合を入れるために猪木の顔真似をしていたけど、マウンドで著名人のモノマネをする投手って初めて見た。2年前の選抜で東北の選手がヌートバーのペッパーミルのモノマネをして審判に注意をされていたけど、顔真似は問題ないんですね。佐伯体制だったらやばかったのかな。80年夏の大差がついた瀬田工対浜松商戦で、リリーフに出た瀬田工の木村選手が、投球動作に入って足を上げてから体をセンター方面に向ける、明らかにふざけた投球をしたら審判に怒られていましたね。猪木のモノマネってモノマネ芸人の定番なので、佐伯体制だったらふざけていると判断されたかも。豊橋中央はくじ運次第では旋風を巻き起こせたかもしれない実力校だったので初戦で消えるのは勿体ないチームでしたね。
 なんか知らんが拓大紅陵の定番応援曲のチャンス紅陵がやたらと流行っています。豊橋中央や佐賀北、叡明とかここまでに7,8校が採用している感じです。チャンス紅陵は80年代半ばから拓大紅陵や浦和学院がさんざん甲子園で演奏してきたのに、千葉県内や群馬のごく一部(前橋商、桐生一、関東学園大付)くらいでしか演奏されていなかったです。なのに令和の時代になってなぜチャンス紅陵が流行り始める?世の中には不思議なことがあるものです。
79.
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qMxMI
 今日の創成館対神村学園戦での創成館の投手リレーってノーヒットの奥田投手を降板させてエースの森下投手を7回から登板させたけど、似た状況の93年選抜の上宮対鹿実の試合を思い出した。この試合でも上宮の田中監督が8回までノーヒットだった上宮の牧野投手を降板させ、9回から黒川投手を登板させると黒川投手が打たれてノーヒットノーランがなくなった試合でした。試合後に鹿実の久保監督が牧野投手の降板を武士の情けと感謝していたけど、上宮側から見ると大差のついた試合だったので、今後の事も考えて黒川投手を投げさせただけで、鹿実に恥をかかせるのを避けたのではなかったのでしょう。この大会の上宮は前評判は低く、牧野投手も秋の大会の防御率は4点前後と悪く、あの好投ぶりは意外でした。大阪勢が甲子園で優勝するときって、大会前から優勝候補に挙げられていることが多いのですが、前評判が高くなかった上宮の優勝は珍しいケースでした。どうでもいいけど上宮のノックアウトマーチって大好きな応援曲だったのですが、どっかの高校、復活させてくれないかな。01年夏に出えた上宮太子はノックアウトマーチって演奏しなかったんですよね。監督も山上さんだったのになぜだ。
80.
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MdP5T
 本日、負けた開星の有名な試合って、守備陣が乱れて勝てる試合を落とした2014夏の大阪桐蔭戦なんでしょうが、個人的には松江第一時代の93年夏の新潟明訓戦です。3-1で新潟明訓が勝ちましたが、今まで見た一番レベルの低い試合を挙げろと言われたらこの試合を推薦するくらい低レベルの試合でした。群馬大会の2回戦を見ている気分になりました。最弱候補校が初戦でいきなり激突した稀有な例かなぁ~。76年夏の高田商対福島戦も酷かったですがぁ。ちなみに新潟明訓は次戦で横浜商大高に0-10で大敗でした。
 開星は野々村監督の選抜で21世紀枠に負けての末代までの恥発言でも有名ですが、98年の埼玉からの偽装引っ越し選手2人がいたことによる秋の中国大会優勝が取り消しになった件もありましたね。暴力事件で試合禁止になることは多々ありましたが、大会参加資格規定違反でセンバツ出場が吹っ飛んだ珍しい事件でした。有名な高校じゃなかったから選手側に問題があったのか学校側が企てた事件かメディアが調べることはなかったですね。野々村監督はなんだかんだ言っても、昭和、平成、令和と3元号で甲子園に監督として出ているし、選手からの人望もあるようですし、力のある監督なのでしょう。3元号で勝利監督になった坂口(大垣日大)、佐々木(クラーク国際)、上村(聖隷クリストファー)はマジスゴ。

 横浜対綾羽戦で期待した安川投手は初戦で凝りたのか制球も安定していてデッドボールは0。でも思わぬ伏兵が出てエースの藤田投手が横浜の3番と4番に連続デッドボール。横浜の4番の奥村選手は相模戦と違って怒りませんでしたね。この2つのデッドボールが試合を決めたから、むしろ喜んでいるかも。綾羽の投手陣は2試合で7デッドボールとマイナス方向に怖い投手陣でした。
81.
ユーザー
DcwWy
山梨よくやった
悪の巣窟朝鮮総連京都支部高校大粉砕ありがとうやったぜ最高や
82.
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7BRlt
 昨日、2連覇を目指した京都国際が山梨学院に4-11で大敗しましたが、夏の二連覇を目指した高校が大敗する例は少ないと思います。一番有名なのは83年夏の池田がPLに0-7で完敗した試合ですが、下には下があって、2010年夏の2回戦で連覇を目指した中京大中京が早実に6-21と馬鹿負けしています。前年の胴上げ投手森本がいて、春のセンバツでもベスト8まで行っており、力のあるチームだったのでしょうが、創部以来初のバカ負け。高校野球は怖いです。
83.
ユーザー
eQbMJ
  個人的には去年の夏の大会の華は大社で今年は県岐阜商でした。超高校級の選手はいなかったけど、一致妥結した強さがありました。県岐阜商って優勝は全部戦前で、球史を飾る名勝負も戦前ばかりで金属バット採用以降は空気みたいな感じがありました。自分も一番記憶に残ったチームは1977年春の関谷投手と強打線が光ったチームくらいで、2009年夏のベスト4入りしたチームも印象薄いです。78年の県岐商の試合は部活の練習等で見られなかったのが印象が薄い原因でしょうか?あとは87年夏の可児投手が翌年優勝する広商を完封した試合とか、89年春の西条とのどろんこ試合くらいかな?今年の県岐商は記憶に強く残るチームでした。
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XTCIn
 なんか今年は夏の甲子園を見ていて、1975や1976年の気分でした。この両年は当時住んでいた群馬の代表が山梨との北関東大会(山梨のどこが北関東?)で敗れて、甲子園には出られませんでした。今年は群馬から高崎の名前が2つもついている学校が出ましたが、メンバーに群馬出身者は0人。50年前も山梨代表を応援しましたが、それと同じくらいの熱量で健大も応援しましたが、山梨代表と同じで初戦敗退しても、全然悔しくない!ストレスフリーで健康にはいいかもしれませんが、何かつまらん。最低半数は地元出身者はほしいです。未来富山には群馬出身者が3人もいて他県代表の方が群馬県民が多いなんて変ですなぁ。
 山梨代表は50年前の北関東大会で初めて見ました。機山工とか甲府商、峡南とかどこも応援曲にソーラン節を採用していた記憶があります。海無し県の代表がなぜソーラン節と思いましたが、意外と野球応援にあっていました。75年に甲子園に出た巨摩にはヤクルトでちょびっと活躍した芦沢捕手、翌年出た塩山商には冬頭遊撃手って超高校級のドラフト候補選手がいて、個の力でも山梨勢に負けていたのかも。
85.
ユーザー
XTCIn
 県岐阜商が8回や9回の応援でアチチ(応援団の曲指示パネルに書いてあった)とか言う曲を演奏していました。温暖化対応でクソ暑さを表現しているのかなと思いましたが、どこか聞いた記憶があるなぁと思って調べたら、99年に世界的に大ヒットしたLivin' la Vida Locaって曲を郷ひろみが日本語で歌った曲だそうですね。ラテン風の曲って、昔、拓大紅陵や智弁和歌山が演奏したバリー・マニロウのコパカバーナや常総学院の常総サンバとか高校野球の応援にあいますね。ソーラン節には負けると思うけど。
86.
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KaJbh
 今年の夏の甲子園も熱中症で退場する選手が仙台育英や関東一高と言った強豪校でも相次ぎました。意外と球場の気温が30℃前後でも退場する選手がいましたね。甲子園で初めて熱中症で退場した選手は2000年夏の中津工業の長谷川投手かもしれません。ただ、1900年からの夏の平均気温の推移を見ると、今年を含めても1994年が暑さでは6位、1978年が7位で、2010年以降と比較してもこの両年はかなり暑い夏でした。78年や94年の夏の甲子園で熱中症で退場した選手はいなかった記憶があります。78年は見られなかった試合も多かったですが、新聞等で退場した選手の記録はなかったと思います。94年は全試合見ましたが、暑さによる退場者はいなかったと思います。夏はどんどこ暑くなっていますが、自分も含めて日本人が暑さに弱くなった気がします。外の気温は平成の初期以前より明らかに暑くなっていますが、外より多く時間を過ごす家や学校の教室等等の気温は冷房の普及で昔より下がって、日本人は暑さに弱くなったのかもしれませんね。昭和の頃は小中高と冷房なんかなく、自分の場合は大学も冷房はなかったです。
87.
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moryv
 先月の創成館対神村学園戦で6回までノーヒットだった創成館のサイドハンド奥田投手を見ていて、サイドやアンダーハンドの投手のノーヒットノーランを見たことないなぁって思いました。ノーノーをやるのは上手投げ投手ばかりでした。アンダーハンドで一番惜しかったのは1977年春の瀬戸内戦での早実 弓田投手かな。9回途中までノーヒットピッチングをしていました。下手投げの剛球投手って言われていました。夏は怪我でもしたのか谷田部って技巧派投手がエースになっていましたが、谷田部は優勝できるレベルの投手ではなかったですね。弓田が春の状態なら優勝も狙えたでしょうに。国体では弓田が復活して、決勝で夏の優勝チーム東洋大姫路を破って優勝。弓田をその後、88年か89年のビートたけしのスポーツ大将の大晦日特番で見ました。大晦日の神宮球場で延々と草野球を続ける手抜き番組(個人の感想です)です。プロ野球選手も参加していて、愛甲や高橋慶彦といった面々も出ていました。弓田は新潟の社会人の軟式チームにいたようですが、高橋らをきりきり舞いさせていました。高橋もボールが浮き上がってくると驚いたくらい球威がありました。弓田は普通にプロでも活躍できたと思いました。今何やってのかなとネット検索すると、何年か前に東京の豊南高校の監督になったそうですが、昨年、がんで他界したそうです。プロで投げているのを見たかったなぁ。
88.
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moryv
 名字由来netを見ると恒例の今年の夏の甲子園の参加選手のレア名字ランキングが出ていました。1位 恵土(津田学園)、2位 為壮(鳥取城北)、3位 銖藤(小松大谷)、4位 阿慶田(岡山学芸館)、5位 億貞(旭川志峯) だそうです。1から3位は全国でも10人前後しかいない珍名だそうです。4,5位も全国で20人前後しかいないとか。面白かったのは12位に岡山学芸館の好左腕 青中が入っていたことです。確かに初めて聞いた名字でしたが、青とか中とかありふれた漢字から形成された名字だったので、地方によってはいっぱいいるのかと試合を見ていたときは思いました。全国で50人前後しかいないそうです。あと山梨学院にいた群馬出身者の萬場(万場表記もあった)もランキング20位に入っていました。群馬にいた時、万場町も万場高校もあったので、人数の多い名字と思っていたのですが全国でも100人前後の珍名だそうです。
 テレビで守備に散った選手名紹介で、下の名前を見ていると言わゆるDQNネーム(一般的にはキラキラネーム?)が増えたなぁとしみじみ思いました。とても読めない名前ばかりで、学校の先生も大変だなと同情します。東大合格者にはDQNネームは少ないと聞きますが(林先生談)、アホな私立の選手の親は学のない人が多いのかも。ちゃんと読める大輔とか真澄とか貞治とか翔平っていい名前だと思いますがね・・・。
89.
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jw7D2
 今年の智弁和歌山の渡辺投手は選抜時には、近年稀に見るコントロールの良い投手で昭和の好投手を見ているようで好みの投手でしたが、夏に見たらコントロールがイマイチな令和の好投手になっていました。アエラの甲子園増刊には、選抜後は球威アップを図って筋トレに励んだそうですが、筋肉量の増加によって体を上手く制御できなくなってしまったのが制球力が低下した原因でしょうか?春から夏にかけて球威が落ちた投手は何人か記憶がありますが(秋田経大付の松本とか)コントロールが悪くなった投手ってあまり記憶がないです。82年夏の早実 荒木はコントロールが3年間で一番悪かったと思いましたが、腰が悪くて父親が手製のベッドを作ってせんべい布団を敷いた状態でないと眠れなかったとか野球雑誌に書いてあり、腰痛がコントロールを乱した可能性もあります。故障を抱えていない投手でコントロールが悪くなった渡辺投手は珍しい事例かも。
90.
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BVP1C
 夏の甲子園のテレビ放送を見ていると、投手のグラブが目に入ります。今年はアシックスとミズノ、ゼットのグラブを使っている投手が多かったような気がします。山梨学院と横浜の投手陣はローリングス製品を使っていました。この4社が日本の高校球界では主流のメーカーなんでしょうかね。先日、日本とU-18の決勝であたったアメリカチームのデカ投手はアメリカの大手ブランドのウィルソン製グラブでした。ちなみにレコーダーにあった85年のPL対宇部商の録画を見ると桑田はミズノのグローブ、清原もミズノのバットを使っていました。桑田がカドヤスポーツの陰険デブと関わるのは夏の甲子園が終わってから?カドヤスポーツ改めワールドペガサス製のグラブは桑田が現役の時は結構、甲子園でも使う投手がいましたが、今は滅多にいませんね。ワールドペガサスのHPを見ると未だにグラブとバットで桑田真澄モデルが有るのが面白いです。もう60歳近くの二軍監督なんですけどね。70年代はスポルディングも野球グラブを売っていたのですが、巨人の定岡をアドバイザリースタッフにしたのが間違いだったのか、撤退したようです。巨人時代の定岡に憧れる野球少年っていたのでしょうか?栄枯盛衰を感じます。
91.
ユーザー
XzXvx
 今年の夏のアエラ甲子園増刊は長嶋さんの特集記事もありました。記事には長嶋さんの高校時代の最後の公式戦である南関東大会の熊谷高と佐倉一高の試合を評した朝日新聞千葉版の記事のコピーも載っていました。試合評は「時間の長い割に内容のないダレ気味の試合だった」と厳しめの評価でした。昭和20年代のメディアって高校野球の記事でも厳し目だったようで、1981年の週刊朝日の甲子園増刊は昭和21年の戦後最初の選手権を特集していて、当時のスポーツ紙の出場校評価で、優勝候補に次ぐ実力校を黒馬的存在(もろダークホースじゃん)、今で言うCレベルと言った弱い部類のチームは「イチコロ組」ってひどい分類になっていました。今なら問題になる記事ですね。
 昭和50年代もひどいチーム紹介があって、youtubeで昭和51年の夏の甲子園の開会式を最近見ていたら、岡山東商業の紹介でNHKのアナウンサーが次のように言っていました。「安定した投手力はいつも優勝候補にも挙げられますが、不思議と最初の試合で負けてしまいます。」 これ、昭和51年度の岡山東商の紹介じゃなくてその当時の何年かの東商の説明じゃん。しかもその時のチームは選抜では例の捕手のパスボールがフェンスで跳ね返ってくるラッキーなプレイで弘前工に勝っているし。
 昔に比べて、今のマスメディアは洗練されて無難だけど、昭和の頃のほうが面白かったですね。
92.
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5ReI8
 駒大苫小牧出身の田中投手が日米通算で200勝。甲子園の優勝投手で200勝を達成したのは戦前で春夏1回づつ優勝した中京商 野口投手(通算237勝)、戦後の春に1回優勝した岡山東商の平松投手(通算201勝)以来、3人目ですね。高校時代の田中投手はスライダーは物凄かったですが、ストレートは伸びがそれほどなくプロでここまで活躍するとは思いませんでした。ただ、高校時代と比べてプロでこれほどコントロールが良くなった投手もあまり見たことがないです。最初に制球力を重視する楽天 野村監督のもとで鍛えられたのも良かったのでしょうか?
 記録を見ると田中投手は駒苫時代は甲子園で完投したのは3試合くらいですね。駒苫が複数投手制のチームだったから、怪我が主な原因で200勝できなかった桑田や松坂ほど甲子園で肘や肩を酷使しなかったのも200勝まで届いた原因でしょうかね。高校野球ファンとしてはとにかくめでたいです。
93.
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KonKO
 一昨日、大阪大の坂口先生がノーベル医学生理学賞を受賞しためでたいニュースで、坂口先生が長浜北出身だと知りました。長浜北って、83年の選抜で好投手田島が話題になった高校だな~って思い、ノーベル賞受賞者を輩出した甲子園(鳴尾浜、八事球場もあり)出場校を調べると、下記に示したように結構ありますね。出場が戦前とか戦後まもなくの時代とかのパターンが多いですが。湘南や北野は甲子園で優勝していますし、松山東も松山商と統合されていたときに全国優勝していますね。番外ですが数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞をとった広中先生は全国優勝経験のある柳井高校出身で、1970年にフィールズ賞をとった後、柳井高校での講演でフィールズ賞を取るより甲子園で優勝するほうが難しいとおっしゃったそうです。友歳投手がフィールズ賞を取れるとは思わんけど・・・・。

理系
湯川先生(物理)&朝永先生(物理)--洛北(京都一中時代に出場)
小林先生(物理)--明和高校(明倫中時代に出場)
鈴木先生(化学)--苫小牧東
根岸先生(化学)--湘南
天野先生(物理)--浜松西
梶田先生(物理)--川越
吉野先生(物理)--北野

文系その他
佐藤栄作(平和)--山口
大江健三郎(文学)--松山東

番外 フィールズ賞(数学のノーベル賞)
広中先生--柳井
94.
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JuT7T
今年の選抜で大阪勢が戦後初の出場校0になり、戦後の毎回出場地域は東京のみになりました。でも東京って、一時期関東大会に出ていたそうなので、関東大会でも好成績だったのかなと調べると、胡散臭い結果でした。

1948年秋--明治が桐生工業に5-9で初戦敗退、翌選抜の出場校は関東優勝の日川となぜか東京の慶応二(どっから出てきた?)。本当になぜだ?

1949年秋--慶応が足利工業に1-3で初戦敗退、翌選抜の出場校は関東優勝の桐生となぜか東京の明治(どっから出てきた?)。この明治は49年の秋の都大会で準決勝で1-2で慶応に負けています。本当になぜだ?

1950年秋--明治が湘南に2-6で初戦敗退、翌選抜の出場校は関東優勝の宇都宮工と準優勝の湘南となぜか東京の明治。

1951年秋--日大三が関東大会優勝、翌選抜の出場校は順当に関東優勝の日大三と準優勝の桐生工

1952年秋--早稲田実業が関東大会優勝、翌選抜の出場校は順当に関東優勝の早実と準優勝の銚子商

1953年秋--早稲田実業が湘南に1-5で初戦敗退、翌選抜の出場校は関東優勝の湘南となぜか東京の早実

1954年秋--立教が3-9で浦和商に初戦敗退、翌選抜の出場校は関東優勝の桐生ととなぜか東京の立教

1955年秋--日大三が二勝し、決勝で桐生に1-2で敗退、翌選抜の出場校は順当に関東優勝の桐生と準優勝の日大三

1956年秋--東京勢来なくなっちゃた・・・

上記のように東京勢は8回中5回初戦敗退しようが、必ず選ばれます。中には48年や49年のように関東大会に出場してない高校が選ばれた事例もあり、関東大会に東京勢が出場する意味がないほどの依怙贔屓ぶりです。前は、東京の方から関東大会に出るのをやめたのかと思っていましたが、むしろ東京以外の関東勢の方から、東京は関東大会に来なくて結構と申し出た可能性が高いです。この依怙贔屓が選手の教育上よろしくないと当時の関係者が思っても不思議ではありません。この依怙贔屓を見て思い出すのは2011年の東日本大震災時の輪番停電です。計画停電の対象地域から東京は外れて、他の地域は定期的に停電を喰らいました。永田町や霞が関を外すのは理解できますが・・・。関東民の怒りが爆発したせいか、取ってつけたように世田谷や足立区を計画停電の対象地域に追加したのは笑いました。当時の偏ったセンバツ出場校の選定に関東の高校野球野球ファンは怒らなかったのかな。まだまだ貧しい時代で、子どもの野球のことなんかどうでも良かった可能性もありますね。
95.
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oUMb5
 今日の関東の気温は12月中旬並の寒さ。1998年の秋の関東大会の準々決勝も12月中旬の寒さの中で実施されました。敷島球場の桐生一と柏陵の試合を見ましたが、寒さのせいでコンディションも不良だったのでしょうか、翌年の夏に全国優勝したチームとベスト8まで勝ち残ったチームの試合とは思えない寒い内容でした。特に桐生一の正田投手は球の走りもコントロールも悪く、ホームランも打たれて2-3で敗戦。第二試合の市川と真岡の試合も途中まで見ていましたが、長袖一枚の服装では寒すぎて、翌日は仕事があったので最後まで見ずに帰りました。
 甲子園で一番気温が低い状態で行った試合って何度くらいで実施したのでしょうか。候補としては1965年の選抜の東京農大二高の試合かな。ベスト8まで行ったので3試合のどの試合かは不明ですが、雪の中での試合があったそうです。雪が降ると暖かくても気温は3℃程度になりますから、この辺の気温が甲子園で一番低かった気温かな?
96.
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QOS7B
 時間がだいぶ経ったけど、今年の日本シリーズの第一戦は2010年の選抜でベスト4まで行った広陵出身のダイエー有原投手と2016年の智弁学園の選抜優勝投手だった阪神村上投手の対戦でした。甲子園で上位まで進出した投手の対戦は珍しいかも。1990年の日本シリーズ第三戦で伊野商時代に1985年の選抜で優勝した西武の渡辺と甲子園で二回優勝しただったPL出身の巨人桑田が投げあったのは奇跡的だったのかな。惜しかったのは2002年の日本シリーズで、桑田を尊敬していた西武の松坂は桑田との投げ合いを希望していたけど、対戦相手は上原。見ていた方も残念だった。

 今年のワールドシリーズは昭和感があった。ブルージェイズの大投手シャーザーが投手交代を告げに来た監督を怒鳴り声で追い返したシーンなんかもろ中日の星野仙一投手じゃん。日本でも最近ああいう投手はいないですね。山本の3試合登板も平成だけど94年の日本シリーズ桑田(2先発、1リリーフ)と似た感じだった。桑田は初戦で滅多打ち食らったけど。山本は7試合で3勝って、日本シリーズで4勝した南海の杉浦さんや西鉄の稲尾さんに近いなぁ。平成後期だけど、田中マー君も2013年のシリーズで先発二回とリリーフ1回で登板してますね。監督が星野さんですからね。1983年の日本シリーズだと松山商出身の巨人西本が3試合先発、1試合リリーフと昭和感満点の登板をしていましたね。
97.
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LWPj3
 去年の7月頭に17年間使っていたプラズマテレビが故障がちになったのでテレビを買おうかと思い立ちました。どうせならバーチャル高校野球を見られるテレビがいいなとネットで調べましたが、GOOGLE TVというスマートテレビはアンドロイドOSを搭載しているそうなので、タブレットPCのようにブラウザーアプリも入っているかと思いシャープの液晶テレビを買いました。その結果、ブラウザーアプリなんか入ってなくネトフリ等の動画配信アプリやyoutubeのアプリが入っているだけで、バーチャル高校野球なんか見れません。ただ救いがあり、家庭内LANでテレビとつながっているPCやスマホで、chromeブラウザーでバーチャル高校野球見ている際に、PCでは右クリックしてキャスト機能を呼び出すと、パソコンの画面とGOOGLE TVの画面をミラーリングすることができ、結果的にテレビの大画面でバーチャル高校野球を見ることができました。個人的にはスマホのちっこい画面やパソコンのややちっこい画面で高校野球は見たくないので、GOOGLE TVは良い機能かなと思います。シャープ、ソニー、中華メーカ-のTLCだとGOOGLE TVの機能が大体ついているようです。液晶テレビって音がしょぼい印象でしたが新しいやつは進化しており、スピーカー部分が厚くなっており、まともなスピーカーが入っていて、自分程度の耳では出費を覚悟していた外付けのスピーカーやアンプは不要でした。PCの電気代がプラスされるのは減点対象です。前の37インチプラズマテレビは常時280Wの電力を食っていましたが、去年、買った50インチの液晶テレビは消費電力が50wと大分省エネです。画面の温度もプラズマは赤外線温度計で測ると45℃はありましたが、液晶は30℃程度で冷房の効きがだいぶ良くなる利点もあります。スポーツ観戦にはプラズマのほうが動画がやや自然で良かったですが。

 価格コムの掲示板みたいになってしまいましたが、今日の明治神宮の山梨学院対帝京戦を見ると、帝京のエースは父親がナイジェリア人のハーフである仁禮パスカルジュニアとか言う187cmの大型左腕でした。身長の割に球が遅く、テイクバックした時の左手で打者のタイミングをずらす動きをする変則投手でした。オリックスの星野を思い出しました。変則度は今年の春の浦和実業の石渡投手ほどではなかったです。帝京は応援曲も昔と変わっていて、夏の甲子園ではやっていたチャンス紅陵(愛してるバージョン)を演奏していましたね。やめてほしい・・・。
98.
ユーザー
z512c
 今年は、明治神宮大会をBS朝日のサブチャンネルとBS4Kで放送していたんですね。今日、BS朝日のベストヒットUSAの録画を見ていたら、CMで告知があった。新聞のTV欄を見てみると、確かにそれぞれ一行で書いてある。気づくかこんなもん。早速、中京がコールド負けした試合と崇徳が負けた試合を見たけど、BS朝日のサブチャンネルでもバーチャル高校野球よりも画質がだいぶ良いですね。4Kは遥かに高画質です。サブチャンネルはアナログ放送時代と同じSD画質ですが、バーチャル高校野球はどれだけ画質が悪いのか。野球の試合を見るくらいなら問題ないですが、データをだいぶ差っ引いているのか、投手の球筋をよく見ると、飛び石で消える魔球になっているように見えます。大昔の少年ジャンプのアストロ球団を見ているようです。それでも特に夏は故郷の県の試合を見られるだけありがたいですがぁ。
99.
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Sa044
 明治神宮で優勝した九州国際大付は、全国大会では初優勝ですか。個人的には八幡大付時代からあまり印象に残る試合は少なめですね。2011年の選抜で故郷代表で春夏通じて初出場だった前橋育英が3発ホームランを食らって大敗した試合が思い出されます。ビデオ録画で試合を見たのですが、試合後の荒井監督の敗戦の弁を聞こうかと思っていたら、東京の浄水場で福島原発事故由来の放射性セシウムが検出されたとかの緊急ニュースで野球放送がバッサリ切られたのをよく覚えています。後は2014年の夏の九国対東海大四の試合で、優勝候補の九国が東海大四の西嶋投手の超スローボールで揺さぶられて1-6で敗れた試合も面白かったです。さらに面白かったのが、フジテレビの元アナウンサーだった岩佐さんがツイッターで「東海大四のピッチャーのスローカーブ・・・ダメとは言わないが、少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやってると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がするが。ハハハ。」って投稿したら大炎上。さらにメジャーの大御所ダルビッシュ投手まで参戦した炎上騒ぎが個人的には超面白かったです。いかにも昭和のおじさんの投稿で岩佐さんの投稿はしょうもないもんだなと思いました。

 明治神宮大会でブラバンが来ていたのは帝京と山梨学院、平日の決勝だけ来ていた神戸国際大付だけでしたね。神戸国際は初戦はプロ野球の応援団みたいに謎のおっさんトランペッター二人だけでしたが、決勝は10人以下のえらく小規模なブラバンが来ていました。学生は二人くらい?逆に大学はどのチームもブラバンが来ていましたね。高校と大学では明治神宮大会に対する学校側の意気込みが違いますね。
100.
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ishpW
 今年の夏、Yahooニュースを見ているとNumber Webの記事があり、その内容は池田高校の元コーチだった川原さんという方の蔦監督への批判みたいなもんでした。蔦監督が有名になるにつれて、選手の練習より講演会に出てお金を稼ぐことを優先していたことを言っていました。蔦監督のことを金の好きな欲望ジジイとまで言っていましたしたが、そういうことは生前に言ったほうが良かったのでは。ただ、こうした批判内容に新鮮味はなかったですね。84年に滑り止めの大学の受験で東京の新宿に行った時、当時、売り場面積が日本一だった紀伊國屋書店新宿本店に寄った際、スポーツコーナーを見ると、蔦監督と池田高校を批判していたハードカバーの本が売っていました。内容は川原さんと同じで蔦監督が講演会で荒稼ぎしていることと、公立校なのに野球部寮があり、池田はまるで私学といった批判でした。当時はこういった批判はは有名税と言ったものなのかなと思いデマかと考えましたが、内容的には本当だったんですね。川原さんによる批判記事は今でもNumber Web等で見られます。
101.
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2H3ge
 一昨日、高校バレー男子で準優勝した清風高校は大阪のスポーツ有名校で、特に話題になったのは1988年のソウル五輪で男子体操の高校生コンビ池谷と西川選手が清風高校に在学中で活躍したことでした。自分は小学生の時から新聞のスポーツ欄で高校総体で清風が体操やテニスで全国優勝した記事をよく見ました。高校駅伝でも一時期は大阪代表の常連でした。ただ野球に関しては聞いたことがないので、調べてみると清風には硬式野球部がないんですね。手持ちの資料を調べると1947年から4年間は大阪大会に参加していたようですが、それ以降は廃部になったようです。高校の宣伝効果は野球が一番高いと思いますが変わっていますね。他にスポーツ強豪校で硬式野球部がないのは、08年にサッカーで全国優勝した広島皆実、ラグビーで89年に全国優勝した茨城の茗溪学園、サッカーの全国選手権で3回優勝した浦和南、高校総体のソフトボール男子で6回全国優勝した群馬の新島学園。新島学園は自分が中学生の時は公立上位の群馬にあって私立校としては進学実績が一番良かったので、滑り止めに受験したかったのですが、遠すぎて通学できん。不思議なことに新島学園は野球部がないのにOBにプロ野球選手が一人いて大嶋匠選手が早大のソフトボール部からドラフトで日ハムに入団してますね。大成はしなかったけど一軍で数試合はプレーしたそうです。高校野球の経験無しにプロに入団した選手は64年の東京五輪に100mの陸上選手で出た飯島選手(元ロッテ)と大嶋くらいでは?
 今住んでいる千葉だと、日出学園に硬式野球部がないのが不思議です。軟式野球部は夏の選手権で全国準優勝の経験があり、今でも県内上位の野球部ですが、何故か硬式野球部がない。硬式野球部はハイリスクハイリターンで下手すると学園経営を難しくすると考えているのかな。
102.
ユーザー
412RZ
 去年のBS10の番組ダグアウトに笘篠弟が出演した際に、高校時代の興味深い話がありました。笘篠弟は上宮出身でPL桑田より1学年上ですが、桑田のカーブを投げる時のフォームの癖が上宮側は分かっていたそうです。投球に入ってキャッチャー側に向けたグローブがクイッと上に向くとカーブだったそうです。この癖は桑田がプロに入っても治らなかったそうなので、巨人側もチェックするはずのなので相当微妙な癖だったのかしら。桑田本人はワインドアップモーション時の両腕を上げた時の両腕の間隔の差でストレートか変化球を投げるかがバレていたと、球辞苑で話していました。桑田が甲子園で大量失点した83年の高知商戦はボールを投げた後に指をグランドにぶつけて痛めたことが原因で、同じく大量失点した84年の取手二戦は指のマメが潰れたことが原因とされています。この二試合を除くと84年の秋の大阪大会の上宮戦で5失点したのが最多失点かもしれず、特に体調に異常がなければ、上宮側この投球フォームの癖がバレていたのが、大量失点の原因かも。
 桑田は大正中学時代に一人の生徒とともに上宮進学を中学側に勧められたと85年のドラフト騒動の際の週刊朝日に出ていましたが、多分、その一人は西山秀二捕手だったんでしょうね。桑田家側が成法中に転校までして断固拒否して上宮進学はなくなりましたが、上宮に行っても面白かったかも。83年の上宮はセンバツ出場校の中でも近畿勢では一番強いと言われて、実際に初戦で優勝候補の興南を破っていて、そこに桑田が加われば、アンダーの松島と桑田の強力投手陣が形成され、打線も強化されるので、夏の全国優勝を狙えたでしょう。84年度の上宮は投手の江本、野手で笘篠弟、西山捕手、小森と4人が後にドラフトされ、そこに桑田がいれば、PLもやばかったんじゃ。西山は20年近くプロで現役を続けられ、ヤクルト古田と結構、現役時代が被っているのに二度のゴールデングラブ賞を取った名選手なので、桑田との強力バッテリーを見たかった。桑田はPLで清水コーチから投球術を習って成長したそうですが、あのコントロールと球のキレがあれば投球術が下手でも十分に打者を抑えられると思いますので、上宮に行っても活躍できたと思います。
103.
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UdPWg
 日大三って昔から不祥事については聞いたことはなかったのですが、今回の事件。同じく暴力事件は聞いたことがなかった早実で7年前くらいに部員の子作りシーンが流出した事件があったけど東京の球児はエ◯動画を流出させるのが好きなのでしょうか?なんか陰湿で陰険な嫌な感じです。
 小倉さんが監督を続行していたら防げたのでしょうか?日大三の監督さんて実績がすごい人が多いですね。始めて見たのは79年の夏の小枝監督のチームで天理に初戦敗退したけど下手の中瀬投手を中心に洗練されたいいチームでした。小枝監督は拓大紅陵に移って80年代中盤から黄金時代を築きました。92年夏には全国準優勝。85年夏に出たときは二松学舎で選抜準優勝の経験があった青木監督が率いていましたが、オーソドックスで特徴を感じないチームでした。関東一から小倉監督が移って強打の日大三ってブランドが確立されたイメージです。.広商や中京以外で、これだけ多く甲子園で決勝進出した人が監督を務めたチームも少ないと思います。71年の選抜で日大三を優勝させた萩原監督はその後、近鉄や巨人でトレーナーをしたそうです。この人は江川を熱心に日大三に勧誘したそうですね。
104.
ユーザー
UdPWg
 暴力事件が多いチームと言うとかつては天理、倉吉北、仙台育英、PLの四天王ですが、寮がある高校がやばいですね。荒々しい生徒が多いらしい報徳は暴力事件のイメージがないですが、寮がなく通いだったからかもしれません。最近、寮ができたようですがぁ、大丈夫か?
 四天王でも全国優勝を狙えそうなときは日常生活に問題のないしっかりした部員が多く事件もなかったのでしょうが、戦力的に全国優勝を狙えた81年の天理と2001年のPLは暴力事件で予選にも参加できず例外になります。江本がいた時の高知商も全国優勝を狙えたそうですが不祥事で選抜出場辞退。これも例外かな
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kidc3
 3/8の球辞苑はカットプレイがテーマでした。高校野球で有名なカットプレイは84年夏の決勝で取手二高の石田投手がやったカットプレイかも。6回裏のノーアウト二塁でPLの黒木がレフト前ヒットを打った際、本来はキャッチャーのバックアップに入らないといけない石田投手がマウンド付近に立っていて、レフトからのキャッチャーへの送球をカットして、レフトの本塁への送球を見てセオリー通りに二塁に向かった黒木を二塁送球でタッチアウトにしたプレーです。いかにも取手二高らしいいい加減なプレーで、結果オーライでPLの勢いを止め、試合結果に影響を与えたプレイでした。
 作家の井上ひさしさんが週刊朝日(numberかも)に書いていましたが、日本野球史的に最高のカットプレイは1942年のプロ野球大洋対名古屋戦で大洋の二塁手苅田久徳さんがやったカットプレイです。苅田さんがやったカットプレイは外野からの送球を素手でキャッチし、そのままキャッチャーに送球してランナーをタッチアウトにしたそうです。捕球から送球までがあまりに素早かったので、外野手の送球を加速したようなプレイだったそうです。この試合は延長28回まで行った伝説の試合だそうで、苅田さんは超人的なカットプレイで伝説の試合を演出したそうです。苅田さんの守備は二塁手としては歴代随一の声もあるようで、昭和44年前後の古い野球雑誌が実家にあってプロ野球歴代ベストナインが特集されており、王さん、長嶋さん、野村克也さんらとともに2塁手で苅田さんが選ばれていましたね。当然のように野球殿堂入りされています。
106.
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azAM3
 開会式の政府側の式辞は文科大臣がすることが多いけど、不倫かつ議員会館でズッコンバッコン疑惑が報じられた松本文科大臣は流石に出席できなくて、スポーツ庁の長官が式辞を述べてましたね。
 中京のエースの安藤くんは週刊ベースボール甲子園増刊の取材で高橋監督がイケメン推ししていただけあって、本当にイケメンでしたね。受験生向けの中京高の広報誌のモデルも務めたそうです。中京のエースって78年の武藤や83年の野中みたいなゴツいイメージが強いけど、安藤は09年の堂林を超えるイケメンですね。甲子園レベルのイケメン投手って、超高校級投手より貴重かも。出身県の群馬でイケメン投手と言われたのは78年の桐生の木暮や上州の玉三郎と言われた(出身は栃木)80年の前橋工の小川(まだ刑務所にいるのかな)くらいしか思い浮かばないし、今住んでいる千葉だと、00年の東海大浦安の浜名投手くらいしかイケメン投手はいないのでは?神奈川だと83年のY校三浦が女の子たちのキャーキャー人気は高かったけど、顔面偏差値は並の上くらいでイケメンじゃなかった気がする。愛甲や松坂、ジャンボ宮城は明らかに違うし、イケメン投手は神奈川では大昔の法政二高の柴田くらいでは?東京も早実の荒木くらいしか思いつかん。荒木は水島新司先生がイケメンすぎて絵に書けないって言っていたのが可笑しかった。実際、水島漫画の荒木は、実物に似ていなかった。大阪もイケメン投手は思いつかない。79年の浪商 牛島も女子人気はすごかったけど、顔面偏差値的には疑問があります。こうなるとイケメン投手が2人出た群馬は地味にすごいかも。個人的には実力も加味した歴代イケメンNo.1投手はダルビッシュですね。イケメン的にあれを超える投手は出てこないかも。
107.
ユーザー
y1aoH
 長崎西の2番手で出たエースの名前は熊。結構珍しい苗字ですね。芸人さんで鰻ってのがいるけど、動物の漢字オンリーって名字はあまり無いです。名字由来netを見ると全国で1500人程度はいるそうです。
 熊で思い出すのは1985年夏の甲子園が終了後に、日本代表が結成されましたが、投手で選ばれたPLの桑田が高知商の中山に対して「くーやん」ってあだ名で呼んだそうです。中山が桑田に「くーやん」って何だと質問したら、「お前、熊や」って返されたそうです。体型で熊扱いしたのか思っていました。しかしぃ、さらに時がたって中山がしょうもない犯罪をやってしまった時、被害地域の神奈川の女子小学生の間で「ベンツに乗ったパンダ顔の男に気をつけろ」って注意警報が広まったそうです。パンダも熊の遠縁なので、桑田は顔で中山を熊扱いしたようです。桑田は巨人入団後に江川を見て、まるで象だと思ったそうで、結構、動物に例える傾向がありますね。

  横浜を完封した神村の龍頭投手も珍名ですね。上述のサイトで調べると全国で460人程度しかいない珍名さんのようです。横浜が技巧派投手に完封されたのは96年春の大阪学院 椎葉投手以来かも。
108.
ユーザー
y1aoH
間違っていた。大阪学院の椎葉は横浜に1点取られていた。最近、よく利用していた高校野球データベースが見られなくなっているのが痛い。
109.
ユーザー
y1aoH
横浜は5年前の選手権で智弁学園に投手リレーで完封されているけど技巧派じゃなかったような?確実な技巧派投手での完封負けは78年夏の県岐阜商の野村でした。
110.
ユーザー
CZCwz
 東北は監督が変わって、髪型は自由のままだけどベンチ入りメンバーは全員坊主頭でしたね。三重高校も自由だけどセカンドの選手だけ長髪でしたね。未だによくわからないのが中京大中京と三重高校の野球部の関係です。中京が1997年に筆記体のユニフォームにすると三重高校も追随。もとに戻すと三重も追随。中京が髪型を自由化すると三重も自由化。中京野球部が決めたことは三重もやらないといけない決まりなのでしょうか?同じ梅村学園系列だけど不思議な関係です。
 坊主頭は安全面からも好ましくない気がします。頭髪は物理的な衝撃や、日光の紫外線、温度変化、化学物質の汚染等から頭部を守るために存在しているのに、それを短く刈るなんて愚の骨頂としか思えないんですよね。地震とかで頭にものが落下してきたときに、坊主頭と長髪ではだいぶ違うと思いますけどね。デッドボールが頭にあたった場合、ヘルメットをかぶっていても長髪のほうが若干脳に与える衝撃が弱くなるのでは。
111.
ユーザー
OPkbS
 大阪桐蔭が10度目の甲子園優勝。川本投手は身長192cmの左腕。190cm台の超大型投手の優勝投手は右腕では仲根、南、藤浪とかいたけど、左腕では初めてかも。これまでは桐生一の正田が180cm台後半で一番大柄な左腕の優勝投手だったと思います。
 大阪桐蔭は決勝で無敗ですが、妙に運がいいとこもあり10回中2回は相手のエース(91年沖水の大野、08年常葉菊川の戸狩)、が故障してまともな投球ができない状態だったり、もう2回は一人で連投して疲労でヘロヘロの状態(18年金農の吉田、23年近江の山田)だったりとか、4試合とも滅多打ちにしてますからね。今年は新たに投球制限でカウントの早めから勝負しないといけない投手が相手と、新しいパターンが増えました。でも新基準バットになってから大阪桐蔭打線の怖さはなくなりましたね。振りは相変わらずパワフルで鋭いですがいかんせん飛距離が出ないです。前のバットだと今大会ももっと楽に優勝していたでしょう。これからは前よりは優勝回数を重ねるペースは減る気がします。
 大阪桐蔭の投手って8年前の根尾もそうだったけど、今回の川本投手もコントロール良くないですね。プロで活躍できるのでしょうか?大阪桐蔭出身の投手でプロで活躍したと言えるのは昭和の時代に在学した今中と2012年の優勝投手藤浪くらいかな。藤浪は阪神でデビュー当初は活躍したけどノーコン病で思い切り伸び悩んでいるし、お先は暗いですね。素質的に大谷に負けないと思いますが・・・。
112.
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Kko0E
 先の選抜では山梨学院の菰田選手がファースト守備時にランナーと交錯して左手首を骨折しました。大会で注目の選手が大怪我して以降の試合に出られなくなるのを見たのは初めてかも。過去には62年の夏で選抜で優勝した作新学院のエース八木沢が赤痢で出場できなかったり、64年の夏は高知の4番でエースだった後のミスターロッテの有藤が初戦の秋田工戦で顔面デッドーボールを受けて大怪我して試合に出られなかったことが有名です。有藤は前の年は甲子園で初戦敗退だったようなので、菰田のような注目選手ではなかったかもしれません。
 菰田は夏に間に合うのかな?2017年に前橋育英の4番の飯島が春の関東大会で浦和学院の投手からデッドボールを受けて左手首を骨折しました。なんとか夏には間に合いましたが、見るからに痛々しくて、ホームランもほぼ片手で打ちましたが、実力は発揮できませんでした。菰田は飯島より1月半ほど早く骨折したから、時間的には間に合いそうですが、投手としてはともかく打者では本来の実力は発揮できないかも。
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CyH7d
 今年の選抜の神村学園の龍頭投手みたいにバットの基準が代わってから技巧派投手の活躍が目立つ気がしますが、技巧派投手の予想外の完封試合がいくつか記憶に残っています。
(1)1982夏準決勝 広島商の池本投手が優勝候補の中京を1-0で6安打完封。池本はサイドハンドからアーム式に腕を振るような投手で、それまで完封は1試合もなかったのに、優勝候補相手にまさかの(失礼)完封。朝日新聞に池本ははとらえどころのない球を投げると書かれていましたがバッターボックスでどのように見えるのか、そういった記事も読みたかったです。
(2)1984春の決勝 岩倉の山口投手がダントツの優勝候補だったPLを1-0で1安打完封。それまでの4試合の投球ぶりだととても完封するとは思えませんでしたが、朝日の試合評では1球のミスもない完璧な投球と書かれていました。この試合、PLは完全試合をくらってもおかしくなく、取手二や伊野商戦はエラーが絡んだ失点が敗因になっており自滅と言ってもいいですが、この岩倉戦はKK時代のPLの唯一の完敗かなとも思っています。
(3)1988春の決勝 宇和島東の小川投手が東邦を5安打完封。試合の前の予想では小川投手が準決勝の桐蔭学園戦で16回も投げており、東邦有利の予想でしたが大会No.1の津久見 川崎投手を打ち込んだ東邦打線を完封。これも意外な結果の試合でした。
(4)最近?の試合ですと2019春の決勝 東邦の石川投手が習志野打線に3塁を踏ませず6-0で3安打完封。石川投手は140km台の速球を投げられる本格派投手の触れ込みでしたが、実際に見てみると野手投げで、ストレートも大したことなく、どう見ても技巧派投手にしか見えませんでした。習志野打線は2回戦で大会No.1の星稜奥川投手を攻略しており(試合後に揉めたけど)、非常にしぶとい打線で完封されるとは予想しませんでした。決勝の石川投手はストレートはそれまでの試合より遅かったですが、コントロールが完璧で習志野打線も全然打てませんでしたね。
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4IE5s
 巨人の阿部監督、chatGPT先生が一因で逮捕されちゃった。こんなへんてこな監督辞任劇は初めてみました。阿部監督は宅配屋シンちゃん事件と呼ばれた間抜けな不倫で家族を傷つけた過去があり、娘からその辺のことをつかれて激昂したのでしょうか??今は怪我をさせない程度の暴力でも逮捕せれるんですね。あれで逮捕されていたらうちの父親とか10回以上、逮捕されているわ。

 昔の高校野球で今だとやばい事例は山ほどあるけど、週刊誌に載っていた事例として1978年の週刊朝日の甲子園増刊に出ていた、東邦の坂本投手の話があります。77年に夏の準優勝投手になった坂本ですが、色々騒がれたこともあり、それ以降は不調だったようです。4月の習志野との練習試合では暴投、四球と大荒れで試合にならなかったそうで、相手にすまないと思った坂口監督は坂本に習志野ベンチへ行って土下座をさせたとのことです。当時、記事を読んだ時はきつい監督だなぁと思いましたが、今読むと土下座の強要罪で逮捕案件じゃんと思いました。

 4年前くらいにサッカーの中田英寿の中学時代の逸話が朝日新聞に出ていて、練習試合に負けた中田らに当時の監督がバツとしてランニングを命じたそうです。走り始めた仲間に対して、中田は残っていて、監督がなんで走らないんだと詰問したら、中田は「今日の敗戦の責任の一端は監督の作戦や指示にもあると思います。監督も一緒に走ってください。」って言ったそうです。監督さんも偉い人で中田の言に一理あると感じたそうで、選手と一緒に走ったそうです。中田は頭がいいので誰に対しても噛みつくのではなく、相手を見て言うべき事はは言ったそうです。この中田理論?によれば、習志野に土下座をすべきだったのは坂本だけでなく、坂本をうまく育てられていなかった坂口監督になります。個人的には強要罪もありますし大人の坂口監督一人で土下座をすべきだったと思います。
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yWrdb
 3月に放送した2025年度最後の球辞苑 フェンス特集にレジェンドとして元阪急の大熊さんが出ていたのは嬉しかった。阪急の黄金時代の名外野手で特にフェンス際の守備がうまいことから「フェンスの熊」って呼ばれていたそうですね。大熊さんは1961年夏の全国優勝校浪商のサードで、レフトは巨人で活躍して、同じくフェンス際の守備が上手かったことから「塀際の魔術師」と言われた高田さんでした。同じチームから二人もフェンス際の名手が出るなんて、怪童尾崎投手もいたし61年の浪商は本当に怪物チームだったんですね。もっとも61年の高田はレフトの控えで90年代から00年代にかけてロッテで活躍した薮田投手の父親がレフトのレギュラーで、病気で体調をくずしたことで高田が試合に出ることができたとプロ野球レジェン堂で高田本人が言っていました。

 自分が見た高校野球での外野手の好守って、一番古い記憶は78年春の桐生対豊見城戦で豊見城が初回に3番神里の二塁打で先制したあと、阪急時代に打点王のタイトルを取る強打の4番石嶺がセンターに打った大飛球をセンターの和田が好捕した場面です。あれが抜けていたら流れが変わって豊見城が勝ったんじゃないかと。次は85年夏のPL対津久見戦で九州屈指のスラッガーだった津久見の上島のセンターへの大飛球をPLの内匠が好捕したプレーです。このプレーには野村克也さんも激賞していましたしプロレベルのプレーでした。上島は駒大で確か1年の春から4番を打っていたような記憶があります。野球人口が減った今の時代なら、高卒時点で余裕でプロに行けたでしょう。

 チームとしての硬い外野守備陣が高校野球で話題になることは少ないですが、個人的には2003年夏の桐生第一の外野守備陣が上手かった記憶があります。とにかく外野手の前に落ちそうなヒット性の打球をヘッドスライディングで突っ込んで度々、好捕していた記憶があります。もともと前評判は低かったチームですが硬い外野陣の活躍もありベスト4まで行きました。
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pFoxD
 投手が監督からの敬遠指示を無視して痛い目にあった有名な試合は、1955春の決勝 浪商対桐生戦で桐生の今泉投手が浪商の4番坂崎に対して全打席敬遠を指示されたのに6回にカウントが2ストライクになったことから勝負してしまい逆転2ランを打たれ、その後同点に追いついたが、延長で敗れた試合。1979春の決勝 箕島対浪商(またか!)戦で、今度は浪商の牛島投手が8回裏に相手の4番北野に対して広瀬監督から敬遠指示を出されたのに無視して勝負し、サイクル安打となる2塁打を打たれ決勝点となる8点目を取られた試合があります。

 有名じゃないけど3つ目として上述の津久見上島が出てくる試合で、1985年夏の津久見対東海大工業戦で1-1で迎えた9回表、2アウトランナー3塁で上島を迎えた際、東海の監督さんは敬遠を指示しましたが、東海の好左腕長縄は捕手と相談して勝負を選び決勝点となるセンター前ヒットを打たれ、後続打者にも打たれて4失点で敗戦。

 甲子園に出てくる監督さんの戦術眼は大したもので敬遠指示を無視した投手は皆打たれていますね。今泉投手なんか、卒業後、桐生高校のグランドを訪れるたびに、稲川監督からなんで坂崎と勝負したんだと監督が亡くなるまでずーっといわれたそうです。稲川さんからすれば勝てた試合を投手の独りよがりな判断で落としたので恨み節も言いたくなるのかな。
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 1985年選抜の津久見は初戦で優勝候補の東洋大姫路の豊田投手をメッタ撃ちにして9-3で大勝したあと、次戦の天理に0-5で完封負けしますが、天理の喜多投手に11安打を浴びせているのですね。11安打完封負けって、完封負け試合の最多安打記録かしら?1985年と1988年の津久見は戦力的には優勝も狙えるチームだったと思いますが(85はPL強かったので無理か)、85の春の88の春夏は実力を出しきれずに負けた印象があります。これらのチームを小嶋監督が率いていたらどうなったのでしょうか。津久見は小嶋監督が退任してから84年には大津監督が素行不良で退部した元部員から日本刀で切りつけられて大怪我して退任。85年は春が高橋監督、夏は山本監督と監督がコロコロ変わっていて、部の運営も上手く行っていなかったのでしょうか?結局、津久見は平成令和と甲子園とは無縁でしたが、今年は優勝候補に上がっているので名門復活に期待です。
 横浜商も古屋監督が退任したあと、父母会と監督が上手くいかずに監督の辞任運動が起きたりとごたついていることが報知高校野球に載ったこともありましたが、ゴタゴタがあると弱体化するのは津久見と一緒かな。
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 一昨日、大阪桐蔭を破った大阪立命館は元が初芝高校だったんですね。初芝は1975年の選抜に出場しているけど、全く記憶がない。一緒に出た近大付も記憶にない。74年夏のPLも見た記憶がなく、記憶に残る一番昔の大阪代表は1975夏の興国ですね。強くもなく弱くもない特徴のない普通のチームの印象しかなかったです。
 昨日は明石商が春の近畿チャンピョンの報徳をコールドで、倉敷工業が春の中国チャンピョンの門馬監督率いる創志学園を1点差で破っており。公立校が頑張っているのも嬉しいです。報徳なんか甲子園に出ていれば優勝候補になっていたでしょうに。長崎もベスト4のうち3校が公立で、公立が頑張っていますね。もともと長崎の公立は強く、2021年夏に優勝も狙えた専大松戸を15安打で破った長崎商の強打線はすごかったですね。
 昨日、奈良では選抜準優勝の智弁学園、山梨では山梨学院も敗れており、この二チームも甲子園に出ていれば優勝候補に挙げられたと思いますし、飛ばないバットになって実力差が点差に出にくくなったかなぁ。有力校が地方で負けすぎて、本大会がレベルの低い大会になるのも嫌ですが。
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bcMMF
 昨日、千葉テレビで専大松戸と市船の試合をヌボーって見ていたら、解説は1992夏の拓大紅陵の主力打者だった立川でした。プロ野球引退後、格闘技に行ったりしてアマチュア野球に関わっていいないのに高校野球の解説をするのは珍しい。立川といえば個人的に1992夏のベストゲームだった準々決勝の池田戦での9回表の逆転2ランが思い出深いです。昨日の解説では決勝の西短戦で最後のバッターになった思い出も話していて、ファウルフライになってしまい内野ゴロだったら1塁にヘッドスライディングしようとか考えていたけど、1塁に走れないファウルフライでしょうがないからしゃがんで悔しさを表していたとか話していましたね。
 92年夏の池田は85春、88夏と似たチームで投手力は良かったけど打力は普通でしたね。よく考えると池田はほとんどのチームで投手力は良かったけど91夏の田原投手だけは並以下でしたね。91年のチームも好投手がいれば優勝を狙える打力はあったと思いました。
 千葉テレビで見た懐かしい顔としては習志野と千葉商の試合を見ていたら、千葉商の監督は77夏の甲子園に出たときのエースだった野崎でした。一昨年から監督に就任したそうですけど、公立校だから監督としての給与は出てないでしょうからボランティア的に監督をしているのでしょうか?
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RY4G4
 全国的には公立校が頑張っているけど、関東は0。埼玉大会の浦学と花咲の試合を見ていたら、両校とも地元出身が極端に少ないですね。埼玉の素質のある野球少年は何処に進学しているのでしょうか。唯一公立で決勝に行った前橋商も勝てない試合内容じゃなかっただけに残念。
 前に書いた津久見は復活できなかったけど相手が大分商なので良かった?広島も公立同士の決勝で、本当に公立の頑張りが嬉しいです。8年前の金足農、一昨年の大社、昨年の県岐阜商といった地元民主体の公立校が活躍すると甲子園は本当に盛り上がりますから、今年もそうなると嬉しいな。
 公立の出場校の中でも東筑は凄いですね。去年は東大3人京大4人と、群馬でいうと70年代の桐生クラスの進学校かなと思いますが、00年代を除くとコンスタントに甲子園に来てますね。有力私学の多いマンモス地区でこの結果はマジですごいです。今年は秋の日本一だった九国を準決勝で破っているのも素晴らしいですね。 東筑は1985年センバツ出場のチームはエースの檜山と高の二人がプロ入りしていますが、進学校から同時に二人プロ入りするのは80年代以降ではないのでは?桐生が55年春に準優勝したときはメンバーから複数プロ入りしたようですが、部員の一部は定時制の生徒が入っているのではとか言う人がいて、プロ入りした生徒が文武両道の人かは不明です。檜山はプロでは活躍できなかったけど、高卒のまま行政書士と司法書士の資格を取ったんですね。進学校出身だけあって頭はいいんですね。
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VNtQC
 小学生の時は大人向けの週刊誌を買う発想がなく、ここ数年、思い出しては、発売時に買っていなかった1978年以前の週刊朝日の甲子園増刊をヤフオク等で買っているのですが、昔の甲子園増刊には興味深い記事があります。1974年の東東京代表の城西(高橋慶彦がエース)の紹介ページには、城西のキャプテンが二松学舎との決勝の最終回、最後の守りに入ったセンターが試合が終わっていないのに泣いていた(1987日本シリーズ第6戦の西武 清原状態)らしく、「バカヤロウ、終わってから泣け」とセンターを思いっきりを殴ったことが堂々と書いてあります。当時、高野連は佐伯体制でしたけど問題なかったのでしょうか。佐伯時代は野球部以外の生徒が起こした不祥事でも出場辞退に追い込まれましたが、どうもその基準がわかりません。教育的指導なら監督から生徒への暴力は元より、部員間の暴力も問題無しとされていたのでしょうか?1988年の福岡第一なんか選抜後に九州のバースと言われた山之内が、素行不良の部員に口で注意しても治らなかったのでぶん殴ってしまったら、3ヶ月の対外試合禁止にされてしまいました。夏の大会には間に合いましたが、監督や部長も交代、山之内も確か主将だったはずだけど降格。教育的な暴力?(矛盾する言葉だ)に関しては佐伯時代は緩かったのでしょうか。
 2011年の甲子園増刊の記事では習志野の吹奏楽部の石津谷先生(吹奏楽部の世界では超有名)の記事が問題になりました。記事では、ナインの背中を押すため攻撃中は管楽器のベル(音が出る部分)をバッターボックスに向ける。習志野のチャンスで相手校がタイムをかけてマウンドに集まればベルの向きをマウンドに向ける。要はマウンド上の会話をしにくくする、気の弱い投手ならこの爆音で崩れますよとも書いてあり、かなり問題視されました。その結果、守備中に伝令や内野陣が集まって会話している際は、ブラバンの演奏を低音量にしたり止めたりする今の流れになってしまいました。あれって高野連の規則に書いてあるのでしょうか?それとも各応援団の自主規制でしょうか?

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e2VkE
 東筑の平山選手が先頭打者ホームランを打ちましたが、公立の進学校の選手のホームランは久方ぶりに見た気がします。印象に残っているのは1978年春の桐生 阿久沢さんの2試合連続ホームラン。1979夏の済々黌 坂口投手が東北の中条(元巨人)から打った満塁ホームランです。数が異様に少ないのは、公立の進学校の甲子園出場自体が難しいことや金属バットになってから山程ホームランが出るようになって、特徴のあるホームランじゃないと記憶に残らないからでしょう。ネットで調べると静岡の西川選手が2003年夏の長崎日大戦でホームランを打ったそうですが、全く記憶にないです(多分、見ていたはず)。普通のホームラン?だったのでしょう。静岡は裁量枠で脳筋選手も入学しますので純粋な進学校の野球部とは言いにくい面もあります。
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iKC4P
東東京を4割打線で勝ち抜き優勝候補に挙げられた関東一が香川の英明に3安打に抑え込まれて敗戦。似たような試合として、1992夏の帝京対尽誠学園の試合を思い出しました。今日の関東一は守備陣の乱れによる自滅の面が大きいですがぁ。英明も四国の中では一番強そうでダークホースに挙げられている強豪ですからしょうが無いのかな。
  昌平対白樺は地味な対戦と当初は思いましたが、終盤はすごく面白かったです。8回表のゴロを横っとびで補給したセカンドのグラブトスを素手でキャッチしてベースを踏んでからそのままファーストに投げてゲッツーを達成した白樺内野陣のプレーは日本のプロ野球でもめったに見ないプレーでメジャーを見ているようで、高校野球では初めて見るものでした。9回表の昌平の攻撃で二塁牽制で3アウトになったと思ったら、ビデオ検証でセーフになり、直後に決勝点となった適時打がでた場面も、当たり前ですが初めて見るものでした。初めて見るプレイや状況が2回もあった試合はめったにないですね。
  去年までとは異なり、今のところ足がつったりする選手がいないですね。どの対策が効いたのでしょうか?マスメディアには検証してほしいですね。
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jBWL3
 日南学園と明徳義塾の試合はミスもあったけど好試合でした。得点から95年夏の日南学園と帝京の試合を思い出しました。日南学園は初出場だったけど選抜のベスト8進出が評価されたのか優勝候補に挙げられていました。春見たときは、そんなに強いチームには見えませんでしたが、帝京戦を見ると優勝候補にふさわしいチームでした。結局、優勝した帝京が一番苦しんだ試合が日南学園戦でした。
 最近は初出場で優勝候補になるチームはあまり見ませんね。95年は日南以外にも観音寺中央は春夏ともに初出場でしたがどちらも優勝候補に挙げられたし、91年の大阪桐蔭も初出場で春夏ともに優勝候補になっていました。84年夏の拓大紅陵も夏は優勝候補でしたし、04年の済美は春は優勝候補だったか不明ですが、夏は優勝候補でした。13年の前橋育英は優勝候補に次ぐダークホースで初出場初優勝でしたね。
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DSCmk
 佐野日大と神村学園の試合は龍頭と鈴木という大会を代表する技巧派投手同士の投げ合いが見事でした。コントロールの良い技巧派の好投手同士の投げ合いって甲子園でもめったに見ないですね。記憶に残る試合をしいてあげれば、1986夏の東洋大姫路の長谷川と拓大紅陵の木村との投げ合いかな。長谷川と木村は球威もありましたが。
  神村は朝日新聞が挙げた優勝候補の一角でしたが、関東一に続いて負けました。残るは横浜と履正社だけになりました。自分が試合を見た栃木勢が優勝候補を破ったのは76夏の小山が東海大相模を1-0で破った試合、88夏の宇都宮学園が2-1で近大付を破った試合くらいかな?宇学は95夏にも春夏連覇を目指した観音寺中央を追い詰めたけど9回に4点を取られて6-8で逆転負けした試合もありました。

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feQks
 先日、横浜の渡辺元監督がなくなったそうですね。御冥福をお祈りします。渡辺監督の特徴は最初の優勝から最後の優勝までの期間が長いことかな。最初は73年選抜で優勝して最後は06年の選抜優勝です。33年の間隔があります。他の名将だと、箕島の尾藤監督が70春-79夏で9年、智弁和歌山の高嶋監督が94春-00夏で6年、PLの中村監督が81春-87夏で6年、帝京の前田監督が89夏-95夏で6年、池田の蔦監督が82夏-86春で4年と短期間で集中して優勝しているイメージです。渡辺監督に近いのは取手二、常総の木内監督で84夏-03夏と19年ですかね。渡辺監督が長い期間にわたって高い監督の能力?を維持していたことがわかります。取りこぼしも多くもっと優勝できたと思いますがぁ。尾藤監督や前田監督は最後は甲子園に出ることも叶わなくなりましたから、マンモス地区でコンスタントに甲子園に出続けたのはすごいですね。常々、時代時代の選手の気質に合わせて指導法も変えなきゃいけないと仰っていましたが、それを実践できた稀代の名監督でした。
 渡辺監督のインタビューで記憶に残っているのは、81年夏の神奈川大会決勝で、久方ぶりに復帰した東海大相模の原貢監督に勝った試合のものです。「原監督にやっと勝てた」と、しみじみ語っていました。意外なことに原監督の相模には負けっぱなしだったのですね。渡辺監督の最後の試合が15年の神奈川大会決勝での相模戦だったのも因縁を感じます。
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MQ3lG
 群馬勢の甲子園優勝にはドラフト1位投手が必要というジンクスが固定化されつつあるのかな。桐生一が優勝したときは正田、前橋育英の時は高橋光、一昨年、健大高崎がセンバツ優勝した時は石垣と、いずれもドラフト1位でプロに入団した投手がいました。今年の決勝を見ていて、8回に石田の逆転2ランが出たときに、智辯和歌山打線が、健大高崎の変則左腕北田に全然タイミングがあっていなかったので、これは勝ち試合で健大投手陣にはドラ1になりそうな投手はいなさそうなので、変なジンクスは終わるかなと思っていたら8回裏にたったの1安打で逆転されて、そのまま敗戦。なんだかな~。このジンクスはしばらく続きそう。
 ジンクスを過去に広げるのも変ですがぁ、78年の桐生は投手に木暮、打者に阿久沢さんと選抜No.1投手とNo.1スラッガーがいて、他の選手もレベルが高く、全国優勝する力はありましたが、木暮はドラフトに全くかすらず、選抜ベスト4が最高成績でした。木暮はなんでドラフトにかからなかったのかな?確かに荒れ球気味でコントロールも良くなく、球速も140kmは出たいなかった気もします。ただ前年の選抜に出た米子東(立大時代に西武にドラ1で入団)の野口よりは全然、良かったですけどね~。顔もイケメンでスター性はあったと思いますが、当人にプロ志望がなかったのでしょうか。当時は本人の意向は無視して、ドラフト指名することも多かったですけどね。大学でもそこそこ活躍したけど、ドラフト指名はなし。78年度は100%ドラフトにかかると思っていた能代の高松投手も指名されず高校の左腕投手に関してはプロ側はコントロール重視だったのでしょうか?
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SNehm
 以前、ジャンクスポーツで中日、楽天でホームラン王のタイトルを取った山崎が二軍でホームランを量産しても一軍に昇格すると活躍できず、すぐに降格するミスターウエスタン、ミスターイースタンと呼ばれた選手がいて、自分も当初はミスターウエスタンと呼ばれていたと話していました。巨人だとKK世代の高松商出身の大森とか熊本工業出身の井上が有名かな。こうしたミスター連中が一軍で活躍できない原因を選手間で話し合ったことがあったそうで、どうもナイターに対応できないミスターが多いらしいですね。二軍は通常日中に試合をしますが、一軍はほとんどナイターで試合をします。ナイターの試合では、昼間より暗くバッターボックスに立ったときボールがかなり見えづらいそうです。今年の夏の甲子園は2部制の採用日が多く、3試合目の中盤からナイターになる場合も多く、ナイター試合もかなり多くなりました。山崎クラスでもナイターに慣れるまで時間がかかったようですから、高校生では大変でしょう。今年は選抜より選手権のほうがホームラン数が少なかったのはこんな原因もあるかもしれません。
 甲子園でもナイターでの有名なホームランは少ない気がします。試合数も少ないですが。有名なのは79年夏の箕島対星稜戦での延長での嶋田と森川の同点ホームランがあります。自分的には79年春のPL対宇都宮商戦でのPL小早川の右中間への大ホームランとPL阿部のサヨナラを含む2発のホームランが思い出深いです。他にナイター試合の有名なホームランといえば96年夏の三重海星対早実戦での海星稲垣の逆転サヨナラ2ランくらいかな?あの頃、海星は強かったですね。ナイター試合じゃないけど98年夏に東洋大姫路戦で86年のエースだった長谷川滋利の遠縁に当たる長谷川投手に3本塁打をあびせて大勝した試合が印象的でした。話は逸れましたがホームランをばかすか打つイメージのPLや池田、最近だと大阪桐蔭や智辯和歌山もナイター試合は少ない気がします。KK時代や春夏連覇時のPLもナイター試合はなかったような?84年夏のPL対明石戦は第4試合だったけどナイター試合じゃなかった気がします。
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QzaUB
  今夏の甲子園は東筑、大分商、社、市立福山の公立4校は力がありそうで去年の県岐阜商、一昨年の大社に次ぐ躍進を期待しましたが、悪いくじ運を吹き飛ばすほどの力はなかったですね。無念。代わりに有明が旋風を起こしてくれました。私立校の旋風は68年の興南、90年の山陽に続いて3校目かな?有明高校のある荒尾市は熊本地震の時の震度は4程度で被害がなく、校舎や寮がぶっ壊れていたら甲子園どころではなかったかも。福岡県境にあるから熊本出身者より福岡出身者のほうが多かったけど、有明の快進撃を避難所のおばーちゃん達が喜んでいるのを見ていると地元的には良かったのでしょう。有明はコントロールの良い齋藤投手と工投手の2本柱に、堅い守備と機動力のある打線でどんなチームと当たっても接戦に持ち込める野球をしていました。智弁和歌山や横浜でも有明相手には大勝はできなかったでしょう。
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HcIBT
 去年のBS10のダグアウトって番組で1981年の巨人でリリーフエースで日本一に貢献した角が昭和の時代の投球フォームのステップ幅が7~7.5歩で、今の投手の6~6.5歩より長い事について話していました。江川とかステップ幅が長い投手は投げる時に軸足の膝に土がついていたよねとかの話題のあと、ステップ幅が長いことの利点として、球持ちが良くなりスピードガン以上に打者からストレートが速く見えることと、低めのストレートが伸びることを指摘していました。
 こんなことを書くのも先日の夏の甲子園の準決勝の智弁和歌山と横浜の試合で横浜の織田が智弁の楠本に投げた低めの内寄りの152kmのストレートをライトスタンドに放り込まれたシーンが記憶に強く残ったからです。甲子園で150km以上のストレートをホームランにしたのは初めて見たかも。角のコメントによれば今のステップ幅の短い投げ方だと低めに伸びのあるストレートを投げるのは難しいようです。楠本は決勝でも健大高崎の北田の低めのカーブをすくい上げてヒットにしおり、低めにはめっぽう強い打者かもしれません。それに智弁は準決勝前の休養日に織田対策で和歌山に帰ってピッチングマシンを170kmに設定して、速球に目を慣らしており、伸びのない低めのストレートは格好の餌食だったのかも。最近の球場のマウンドはアメリカに合わせて固くしており、昔のようにステップ幅を長くして投げると体に負担が大きいそうですね。投げ方を工夫しないと低めに伸びのある球は投げられない時代ですかね。昔は平松とか桑田も軸足が地面につきそうな投げ方をしていましたが、全員がそうではなく400勝投手の金田さんなんか、ステップ幅の短い今風の投げ方をしていましたね。
 150km台のストレートをホームランにしたのは初めて見たかもと書きましたが、85年夏のPL清原が高知商の中山からスタンドの上段に大ホームランを売った有名なシーンがありました。あの時の中山の球速は当時のスピードガンで146kmとか言われいましたが、今のスピードガンなら150km以上出ていたでしょう。清原の後輩の野村弘樹がその夜バットを見せてもらったら中山の剛球と清原のパワーがぶつかったせいかバットが曲がっていたとか。これは有名な話か。
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RNwE2
 個人的な感想ですが、21世紀から高校野球を見始めた野球ファンに印象に残る強打のチームを聞くと、日大三、智弁和歌山、大阪桐蔭とか出てきて、天理の名前は出てこないのでは。昭和の時代から高校野球を見ていると天理といえば強打でしたが、平成以降は強打を前面に出していない印象です。天理を初めて見たのは1975年の選抜の掛川西戦でした。へっぽこ投手の猪口(野手で巨人入団)のヘロヘロの投球が印象的で大して強くもない掛川西に5-9で負け。弱いチームという印象しかなかったのですが、夏に出てくると初戦で、その年の選抜ベスト4の堀越の好投手鹿倉を滅多打ちにして9-0で大勝。次戦も浜松商に大勝、春とは別の強打のチームに生まれ変わっていました。このまま優勝するんじゃないかと思っていたら、新居浜商の村上に4安打にひねられました。1977年選抜の天理も初戦で優勝候補対決と言われた作新学院戦で鈴木康友がセンターバックスクリーンに度肝を抜くようなホームランを打って強打の天理を印象付けてくれました。この頃までの天理は強打のチームって印象でしたが、1978年辺りから投打のバランスの取れたチームに変わっていった感じです。1986年夏に初優勝した時は初戦で選抜で旋風を起こした新湊との試合での8回裏に集中打で6点取った時は強打の天理ってイメージでしたが、打ち勝っての優勝というよりは本橋と緑川の二人の好投手が頑張っての優勝と言う印象が強かったです。この年で見れば打線的には浦和学院や松山商の打線のほうが天理打線よりは上だったかも。その後の90年夏や97年春の優勝も二人の好投手が頑張っての優勝ってイメージが強いです。
 2017年の夏は結構、打ってベスト4まで進出したけど、この年は花咲徳栄や東海大菅生の強打ぶりがすごく、広陵の中村の本塁打記録更新等もあって、何か目立たない感じでした。よく考えると天理が大会No.1の打線と言われたことはないような気がします。前述の75年夏は習志野打線が猛威をふるいましたし、77年春は箕島の柔と剛を兼ね備えた黒潮打線が素晴らしかったです。週刊朝日の甲子園増刊に良く載っている大会史での打率、安打数、本塁打数等で天理が歴代トップになったこともないですね。あと、意外にもプロで天理OBの打者は門田さんを除くとそんなに活躍してないです。ジャンクスポーツで96年夏の甲子園に出た関本が天理OBのプロ野球でのランク付けでは門田さんがダントツのトップで2番目が自分になると話していたくらいですから。現在、オリックスで太田が頑張っているから関本はすぐにも3番目になりそうですが。プロで活躍する野手が少ないのも強打天理の印象が薄い原因かな。
 余談ですが、70年代の関東の野球少年の間では天理に好投手がいないのは、いい投手が入学してもバッテング投手にして球数を投げさせすぎて潰していたからだという噂がまことしやかに流れていましたが真実だったのでしょうか?あと関係ないけど奈良の五條中学ってめちゃくちゃ野球の強い学校があるという噂も流れていました。まあ、全中が始まる前の時代の話です。
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o8vVS
 2ヶ月以上前ですけどNHKでの茨城大会の決勝は大相撲の放送があったためか深夜の録画放送でした。ビデオ録画して後で見ると解説者が1999年の選抜で準優勝した水戸商のエースだった三橋でした。ついに90年代の球児も解説者になる時代になったんだなぁと感慨深かったです。三橋は98年の秋の関東大会で敷島球場での埼玉代表の東京農大三高との対戦を見ていました。農大三高には延長で勝ったけど、次の横浜戦で負けて関東の5番目のチームとして選抜されました。秋の段階ではとても選抜では優勝できるチームには見えませんでした。選抜決勝で沖縄尚学に負けたあとに甲子園で多分、初めて発生したウェーブとかも思い出深いです。夏は二戦目で岡山理大付のドカベン森田に三橋が大ホームランを打たれ6-0で完敗でした。三橋は82年の夏に活躍した熊工の奥村投手を思い出すような下手の好投手でした。放送で残念だったのは録画放送だったので、イニングの合間に解説者の甲子園での思い出話とかがあったはずだと思いますが、試合以外の部分はカットされていたので三橋の高校時代の話は全然ありませんでした。
 当時、農大三高の試合は初めて見まして、故郷の農大二高の兄弟校だから同じ応援をするのかなと期待していたら同じだったのは得点シーンの大根踊りだけでした。農大二高の応援は殆どがオリジナル曲で子供の時から大好きで、あれは東京農大の応援を真似ていたのかと思っていましたが、農大三高のありふれた応援を見るに農大二高だけのオリジナルのようです。
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o2hrm
 先日、yahooニュースで差別用語が多すぎて放送できないアニメとしてアパッチ野球軍があげられていました。アパッチ野球軍って名前を平成以降初めて思い出しました。自分が小学生の頃、夏休みのNET(今のテレ朝)が午前中に特撮物やアニメを良く放送していましたが、アパッチ野球軍もその中に入っていました。四国のド田舎が舞台で、ダム工事を巡る村内の対立とか小学生には難しく、正直、つまんないアニメでした。主題歌だけはいい曲でしたが・・。出てくる生徒も戦後まもなくの賭博場にいそうなヤクザみたいな格好したやつばかりでダサかったです。試合もユニフォームなんか着ないでこのダサい普段着で試合をしていました。最後の方に出てくる練習試合の相手QL学園には笑いましたが。懐かしくてネットで調べると、一番驚いたのがアパッチ野球軍が水島新司先生の初期の長期連載作であるエースの条件の続編だったことです。エースの条件はスイッチ投手が主人公(ドカベンのわびすけの先達ですね)の高校野球漫画でしたが、悪い大人がいっぱい出てくる社会性が強い作品で、この点も子どもには面白くなかった原因です。アパッチ野球軍はエースの条件に続いてこのスイッチ投手が主人公で、この作品では教える立場になっています。この2作品の原作者はあかんたれ等のドラマ原作者で有名な花登筐で、子どもや青少年向けの漫画やアニメの原作者としては一番向かない人だったのかも。アパッチの原作漫画の作画も水島先生から別の漫画家に変わっていたのもアパッチ野球軍がエースの条件の続編と気付けなかった原因です。絵柄が水島先生のそれとは違っていましたから。
 エースの条件やその後の水島作品の男どアホウ甲子園にも野球賭博をするおっさんたちが出てきますが、当時は賭博が大問題だったようですね。実際、プロ野球でも黒い霧事件が起きたし、江本孟紀さんの話だと大阪球場の南海の試合では、外野スタンドで投手が投げる珠のストライクかボールかを当てる賭け事をしている連中がいて、試合中に警察によく検挙されていたそうですね。
 アパッチ野球軍にはカルト的なファンが多くいるようでDVD-BOXが20年くらい前に定価27,500円で売り出されましたが、需要が高いためか現在はアマゾンの中古で118,000円と4倍以上に高騰しています(2026/10/16時点)。全然関係ないけど八千代松蔭で1998年の夏の甲子園に出た多田野が立大時代に出た変態ビデオ 真夏の夜の淫夢の中古VHSビデオが中古屋で80万円台の値段で売り出されたとネットニュースで話題になりましたが、先ほど駿河屋で見てきたら35万円に値下がりしていました。その代わり初回ロット版が150万円で売り出されています(2026/10/16時点)。この値段でこんなもん買うやついるのか?20年以上経っているのに、この作品はいまだに人気あるのか真夏の夜の淫夢wikiとかいうサイトが有り、子供の時から知っていた農大二高の故 齋藤監督(事件当時は立大監督)の「たまげたなあ」とかの迷台詞等の説明がいっぱい載っています。
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C2M9F
 先週、終わった秋の関東大会では14試合でホームランが5本と前年の大会より10本減りました。これは去年のメイン会場である山梨の小瀬球場と今年のメイン球場の群馬の敷島球場の広さによるものと思われます。小瀬球場は田舎にしては妙に狭く、両翼は92mしかありません。これに対し、敷島球場は99mとかなり広めです。去年、小瀬で15本もホームランが出て、新基準のバットを高校生が使いこなし始めたのかなと思っていたら、今年の選抜や選手権ではホームランは10本も出ませんでした。あれ?と思って調べるとぉ、小瀬球場狭すぎでしたぁ。あと誤差レベルかもしれませんが小瀬球場の標高は250m、対する敷島球場の標高は100m程度で、気圧は17.7hPa小瀬の方が低く、グーグルのJEMINI君に聞くとホームランの飛距離は小瀬の方が1m弱は伸びるようです。敷島球場の面積が小瀬と同じくらいなら小瀬のギリギリのホームランが敷島ではフェンス直撃でホームランにはならない感じですかね。
 74年から高校野球を見始めましたが、当時の群馬は守りの野球が主体だったことと広い球場のお陰で、まあ、ホームランが出ませんでした。初めて見たのは77年の夏で、群馬のベーブ・ルースと言われた高崎商の栗田選手が優勝候補対決の前橋工業戦で打った満塁ホームランが始めてみたホームランでした。群馬大会では1本しかホームランを打っていない高崎商も初戦でダークホースだった能代の二年生の速球投手だった高松から1イニング2ホームランを打つなど、狭い甲子園では地元にいたとき以上に打ちました。84年辺りになると池田高校に習ってまともなチームは筋トレに力を入れ始めて、群馬大会でもよくホームランがよく出るようになった印象があります。